元横綱大鵬(本名・納谷幸喜)さんが19日午後に亡くなりました。NHKは死後40分ほどで速報を打ち、Yahooトピックスでは通信社から配信された現役時代の写真とともにトップページの1番上にこの項目を掲げました。それだけ衝撃的な出来事だったのかもしれません。

大鵬さんが「大鵬関」だったころ、つまり現役だった頃はリアルタイムで見ていませんが、優勝32回(そのうち6連覇2回)、千代の富士が塗り替えるまでは戦後最長だった45連勝…と、データだけ並べても偉大さはよくよくわかります。大鵬さんのデータを見ていると「引退直後は史上1位だった」というものが多いのが特徴かと思います。大鵬さんが現役を引退してから40年以上経過しているわけですから、力士が長く第一線で戦えるような環境は時代を追うごとに整っていくわけで、大鵬さんの記録は1位でなくなってしまうのは当然の成り行きになるわけです。ただ、これは新聞記事で見た話ですが、どんな相手にも順応できて相撲が出来る「負けない大鵬」というスタイルを批判の中で確立させたことは、大鵬さんだからこそのものかもしれませんね。もう少し細かく言うと、大鵬はセンスの人とか天才といわれ、ライバルといわれた柏戸は努力に努力を重ね、立ってすぐに前へ押し込み相手を圧倒する「電車道」というスタイルを確立したように言われたようです。それに、この「電車道」というスタイルを確立したこそが理想の横綱という見方もありました。それが「大鵬批判」のよりどころににもなっていました。ライバルの存在というのも躍進の一つの要素かもしれません。

そして、大鵬さんがすごいと思ったのは定年後の発言力です。日本相撲協会では65歳定年制を敷いていて、親方・行司・呼び出しは65歳で強制的に引退させられます。その後はといえば、親方の場合、部屋に後継者がいればその親方へのアドバイスをおくるGM的な存在になったり、解説者としてメディアに露出したりします。大鵬さんの場合は後継者がいたので後継者へのアドバイスをおくる立場でありましたし、親方時代から続けていたスポーツ紙での解説の仕事もしてました。そして、相撲博物館の館長として相撲協会とのかかわりもありました。そのせいもあったのかもしれませんが、八百長や野球賭博など、世間をにぎわせた不祥事に対して遠慮なくはっきりとした意見を発信していました。それが相撲協会を何度となく動かしたようにも見えます。相撲協会の理事長になっていない人がここまで影響力を発揮することなんて、今までなかったでしょうね。

100年に一人現れるかどうかわからない、そんな存在だったかもしれません。改めて、ご冥福をお祈りします。

それでは、また次回です。
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しょうがないし、これが妥当だと思いました。14日に行われる予定だった第91回全国高校サッカー選手権の決勝が大雪で中止となりました。サッカーって、落雷でもない限り、大雨だろうが大雪だろうが試合をやるものというイメージがありましたが、あの日の雪を見たら「やるほうが無茶だ」と思ってしまいました。

さて、全国高校サッカーで「水入り」となったのは1989年1月7日以来。そう、昭和天皇が崩御された(お亡くなりになった)ため、日本中服喪ムードとなりスポーツイベントというスポーツイベントがほぼすべて取りやめになったからです。この年の大会は9日に再開し、10日に決勝が行われ清水商(静岡)の優勝で決着がつきました。今回については高校日本選抜の選考やセンター試験などの兼ね合いがあったようで、日程の調整がつかなければ「両校優勝」という選択をしなけらばならない状況だったとか。

「両校優勝」って、やるほうにしても見るほうにしてもすっきりしない「最悪の選択」ではないかと思うんです。それを回避できたのは何よりで、決勝を戦う鵬翔(宮崎)も京都橘の両陣営は一様に歓迎しているようです。京都橘の監督が会見で「鵬翔の選手たちはあんな雪を見たことないだろうから…」と気遣う場面もあったとか。試合は19日(土)の昼に行うということで準決勝から2週間の間隔が出来るわけです。モチベーションを高めなおすことが出来るかどうかで優勝できるかどうかが決まってきそうですけど、全力を尽くして「あんな雪の中でやらないでやっぱりよかったね」といえるような試合が出来れば何よりだと思います。

それでは、また次回です。
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全国高校サッカー選手権は5日に準々決勝が行われた後、12日の準決勝までは1週間のブレイクに入っています。ここ数年は成人の日(1月第2月曜日)に決勝を行うことが通例となっているためブレイク期間が生じますが、今年はカレンダーのあやで準々決勝と準決勝の間にブレイク期間が生じてしまいました。短期集中型の大会というイメージを持っているファンがまだ多いこの大会、見る方にもやる方にもまだ少し戸惑いがあるかもしれません。

昔はといえば、1月2日に試合が始まり、3日・4日と試合が続き、5日に中休みが入り、準々決勝以降が6日・7日・8日と続いてもう終わりという感じ。国内の大会ではありますが、最低でも中1日の間隔を試合と試合の合間に入れるようにというFIFA規定に引っかかり、選手の体調面に問題が起きたら…ということで12月30日開幕、成人の日決勝というゆったりとした日程編成になりました。ただ、年によってゆったりする間隔が変わってくるんですよね。準決勝と決勝の間に間隔が出来ることもあれば、準々決勝と準決勝の間にも準決勝と決勝の間にも間隔が出来ることもある。国立行きの夢をかなえたはいいけど、モチベーションを保つにはどうすればいいか迷うこともあるでしょうね。今年の大会に勝ち残った4チームはどこもこの「間隔」を経験するのは初めて。この時間をうまく使えるかどうかで優勝が決まるかもしれませんね。

さて、どんな日程がほどよいゆったり感があるのか? 2013年1月のカレンダーをにらみながら私なりに考えると…
12月31日 1回戦
1月2日   2回戦
1月5日   3回戦
1月9日   準々決勝
1月12日  準決勝
1月14日  決勝
なんて感じですかね。2日連続の試合はなしということを基本に考えてみました。準々決勝が何でもない平日に開催されるのはテレビ的にも客の入り的にもちょっと歓迎できないかもしれませんが、ほどほどの間隔でモチベーションを保てるだろうと思います。

果たして、国立ではどんな戦いが待っているのか? 次回にお話できればと思います。

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年が明けました。今年もどうぞよろしくお願いします。

さて、新年恒例の箱根駅伝。日本体育大学が30年ぶりの総合優勝を果たして幕を閉じました。抜け目のない安定感のある走りを10人全員が出来たことが勝因といわれています。チーム全体の底上げというのはやろうと思えばできることかもしれませんが、簡単に出来ることではありません。積み重ねがあってこそのものです。それが実っての優勝というのは賞賛に値すべきことで、下馬評どおりの結末にならず「番狂わせ」の一言で片付けるわけには行かないのではないでしょうか?

そんな中、往路最終の5区「山登り」で中央大学と城西大学の選手が相次いでリタイアしてしまいました。特に中央にとっては28年も維持し続けたシード権を失ったということで衝撃的なこととして受け止められているようです。「リタイアは何十年ぶり」といわれていたのはもう昔のことで、最近は数年に1回のペースでリタイアの話を聞いている気がします。
「駅伝優先でトレーニングを積んでいたらマラソンで世界と渡り合える力はつけられない」と陸上長距離の業界では最近よく言われるようになっていますが、上り坂下り坂を乗り越え、気まぐれに吹く風に打ち勝つ力ためのトレーニングを駅伝、もっと言えば箱根を目指す行程で積み重ねていくことこそマラソンで世界と渡り合えるための基礎になる力を得るいい手段でしょう。こういう言い方をすると古いといわれるかもしれませんが、箱根でリタイアせずに自分の区間を走りきり勝負できる力が長距離を戦う素養に通じるだろうと思うんです。

来年は90回の記念大会。大げさに言えばいよいよ箱根駅伝100回へのカウントダウンが始まります。世界と渡り合ったランナーを多く送り出した箱根から、これからどんなタレントが生まれるのか、楽しみにしていきましょう。

高校サッカーの話はまた近いうちに。それでは、また次回です。

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