大鵬さんが「大鵬関」だったころ、つまり現役だった頃はリアルタイムで見ていませんが、優勝32回(そのうち6連覇2回)、千代の富士が塗り替えるまでは戦後最長だった45連勝…と、データだけ並べても偉大さはよくよくわかります。大鵬さんのデータを見ていると「引退直後は史上1位だった」というものが多いのが特徴かと思います。大鵬さんが現役を引退してから40年以上経過しているわけですから、力士が長く第一線で戦えるような環境は時代を追うごとに整っていくわけで、大鵬さんの記録は1位でなくなってしまうのは当然の成り行きになるわけです。ただ、これは新聞記事で見た話ですが、どんな相手にも順応できて相撲が出来る「負けない大鵬」というスタイルを批判の中で確立させたことは、大鵬さんだからこそのものかもしれませんね。もう少し細かく言うと、大鵬はセンスの人とか天才といわれ、ライバルといわれた柏戸は努力に努力を重ね、立ってすぐに前へ押し込み相手を圧倒する「電車道」というスタイルを確立したように言われたようです。それに、この「電車道」というスタイルを確立したこそが理想の横綱という見方もありました。それが「大鵬批判」のよりどころににもなっていました。ライバルの存在というのも躍進の一つの要素かもしれません。
そして、大鵬さんがすごいと思ったのは定年後の発言力です。日本相撲協会では65歳定年制を敷いていて、親方・行司・呼び出しは65歳で強制的に引退させられます。その後はといえば、親方の場合、部屋に後継者がいればその親方へのアドバイスをおくるGM的な存在になったり、解説者としてメディアに露出したりします。大鵬さんの場合は後継者がいたので後継者へのアドバイスをおくる立場でありましたし、親方時代から続けていたスポーツ紙での解説の仕事もしてました。そして、相撲博物館の館長として相撲協会とのかかわりもありました。そのせいもあったのかもしれませんが、八百長や野球賭博など、世間をにぎわせた不祥事に対して遠慮なくはっきりとした意見を発信していました。それが相撲協会を何度となく動かしたようにも見えます。相撲協会の理事長になっていない人がここまで影響力を発揮することなんて、今までなかったでしょうね。
100年に一人現れるかどうかわからない、そんな存在だったかもしれません。改めて、ご冥福をお祈りします。
それでは、また次回です。