1月26日に千秋楽を迎えた大相撲初場所は徳勝龍が初優勝を果たして幕を下ろしました。奈良県出身者としては98年ぶり、再入幕力士としては初の快挙ということで大きな話題になりました。

優勝を決めた翌日の紙面、その数日前からの紙面を見ると「20年ぶりの幕尻V」「史上最大の下剋上」という見出しが躍りました。西17枚目での優勝は幕内で最も低い位置での優勝に間違いありませんが、「20年ぶりの幕尻優勝」というのは注釈が必要なんです。史上初の幕尻優勝とされるのは2000年春場所で東14枚目にいた貴闘力ですが、この時の番付を見るとすぐ下の西14枚目には若の里がいます。実は、若の里は15日全休で出場しておらず、貴闘力の幕尻優勝は出場力士の中の幕尻という注釈がつけられるわけです。一方、今回の徳勝龍は番付の上での幕内最下位、正真正銘の幕尻ということで形の上では史上初の幕尻優勝ということになります。

優勝を決めた後のインタビューも話題になりました。「優勝は意識していませんでした…うそです! バリバリ、インタビューの練習をしていました」と笑わせ、場所中に急死した恩師を思うコメントをするうちに声を詰まらせ…。喜怒哀楽を素直に露にしたインタビューということで、「こんなインタビュー見たことない」というコメントがあらゆるメディアに踊りました。本人曰く「まだ33歳ですから」という言葉も飛び出しました。まだ見ぬ高みへの徳勝龍の挑戦を楽しみにしたいです。

一方、大関2人にとっては辛酸をなめる場所になってしまいました。優勝争いを引っ張った正代、徳勝龍に敗れ優勝を逃した貴景勝は「大関を名乗る資格がない。次の場所、また強くなって帰ってくる」と語り来場所へのリベンジを誓いました。大関での優勝は横綱昇進への道が一気に開けることもあるだけにリベンジ以上の決意があるといってもいいでしょう。そしてカド番の豪栄道は5勝10敗で大関陥落が決定し、28日の現役引退発表にまで至りました。豪栄道本人としては、前々から大関の座を守れなければ引退するつもりだったそうで、よく頑張ったとも思ってしまいます。今後は年寄武隈として横綱を送り出すことを目標にするとか。これからにも期待です。

では、また次回です。
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サッカーの五輪アジア最終予選を兼ねたU-23アジア選手権が9日からタイで行われていますが、日本が初の予選敗退という屈辱を味わいました。既にホスト国枠でオリンピック出場が決まっている状況での大会参加が初めてだからモチベーションを見いだすのが難しいという評論家の声が一部でありましたが、その不安が的中してしまったといえそうです。

サッカーのことを深く知らない人だったら、野球の侍ジャパンがもうホスト国枠で出場が決まっているのにオリンピック予選を兼ねたプレミア12に出て優勝したように、サッカーのU-23代表も圧倒して当たり前と思ったかもしれません。サッカーを深く知っている人も、久保・堂安のような主力抜きでもそこそこ出来るだろうと考えたかもしれません。しかし、蓋を開けたら1勝も出来ず予選ラウンド敗退ということで落胆と怒りの声がサッカー周りに充満しているようです。森安監督解任すべきという声で具体化しているところもあります。女子の高倉監督がU-20代表となでしこジャパンを掛け持ちしたりトルシエ監督がシドニー五輪と2002年ワールドカップの代表を掛け持ちしたりしましたが、今はトルシエ時代のようにいかないということでしょうか? ひとまず続投となりましたが波乱含みになりそうです。もし解任になったらA代表にも影響が出かねないので注意深く見届けないといけないかもしれません。

野球の侍ジャパン、女子ソフトの日本代表のようにオリンピック予選を兼ねた大会でオリンピック出場を目指す各国相手に強さを見せつけられたのは、やっぱり「世界一にならないと!」というモチベーションがあったからかもしれません。侍ジャパンは2009年の第2回WBC以来世界一から遠のいていたから渇望感が半端なかったし、女子ソフトは「(上野に頼らず)打倒アメリカ」という永遠の課題を抱えている。サッカーの場合はそういう外側に向いたモチベーションがハッキリしなかったから厳しい結果をつきつけられたのかなと思います。サッカーを深く知る人には「野球と一緒にするな」とか「そんなに単純ではない」と言われるかもしれませんが、アジア王者になってオリンピックに乗り込むと言うくらいのモチベーションがあってもいいのではないかと思います。

では、また次回です。
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13日に行われた第98回全国高校サッカー選手権の決勝は静岡学園が3-2で逆転勝ちし青森山田の連覇を阻みました。首都圏開催になって初めてとなる90分での2点差逆転勝ちというおまけつきです。

静岡学園の優勝は24年ぶりではありますが、その時は決勝でのPK決着のルールがなかったため鹿児島実と延長引き分けでの両校優勝。単独での優勝は初めてです。今年度の高校ラグビーを制した桐蔭学園と同じ構図になりました。Jリーグのユースチームなどのクラブチームと高校のサッカー部が同じ土俵で戦う高円宮杯プレミアリーグを制した青森山田に勝てたことも今年度の初戦にOBのカズが激励してくれたことも選手・関係者にとっては本当にうれしかったでしょう。しかも、静岡学園らしいサッカーを最後までやり切れたという評価を多くのメディアや評論家から受けていますから大きな自信になったかもしれません。

さて、高校サッカーというのはクラブチームと高校の部活が共存共栄しているという特徴があります。野球の場合は高校生でクラブチームを編成する場合は社会人野球の範疇にあるものとされるし、私の知る限りではほかの競技はクラブチームは少数派という印象。サッカーに近い共存共栄ができているのはチーム数が少ない水球くらいでしょうか。チーム数が多い中で同じ土俵で戦えるような土壌があるのはサッカー独特のものがあるかもしれません。学校の部活とクラブという2つの系統でチームが成り立っているのが日本独特といえばそれまでかもしれませんが、微妙にタイトルの色合いが変化して部活だけの大会とクラブも部活も同じ土俵で戦うような大会の両方でモチベーションを高く維持できるようなことになるかもしれません。

高校サッカーというか、日本のサッカー独特だったのが同点優勝。実は延長でも決着がつかなければPK戦で決着をつけるというやり方が世界的に定着したのもまだあまり時間がたっていないようなんです。それ以前はといえば、トーナメント戦で勝者を決めなければならない場合は再試合が当たり前だったとか。それが決勝であろうと何日か後にやって白黒つけるまでやるというのです。しかし、日本の場合は決勝については再試合はやらずに双方優勝にするという考えが支配的だったようで天皇杯でも1度だけあったそうです。今は世界的になるべく選手に負担がないようにするためということか、延長で決着がつかなければ再試合ではなくてPK戦という流れが支配的になったようですね。

では、また次回です。
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2020年最初の投稿です。今年もよろしくお願いします。

まずは元日早々驚きました。新国立競技場で最初のスポーツイベントとなったサッカー天皇杯決勝。ヴィッセル神戸が鹿島アントラーズに2-0で勝ち、チーム創設から丸25年で初のタイトルを獲得しました。

記事を見て気付きましたが、三木谷浩史オーナーがヴィッセルの経営に関わったのは2004年で楽天イーグルス創設の前の年だったんですよね。初年度にはトルコ代表のイケメンストライカー・イルハン選手が鳴り物入りで加入したもののケガに泣いて1年で退団してしまい、違う方向で話題を提供してしまいました。その教訓を生かして欲しいという気持ちがあってか、イーグルスの初代GMになったマーティ・キーナートさんは現実主義での補強でメジャー屈指の強豪に成り上がったアスレチックスを描いた本「マネーボール」を三木谷オーナーに送ったとか。三木谷オーナーはイーグルスについて2年か3年である程度の実績を残したかったそうですが、考えたとおりにはなりません。クライマックスシリーズ進出まで5年、日本一まで9年もかかりました。

イーグルスが日本一になるまでには田中将大投手や岩隈久志投手、メジャーの名スラッガーだったアンドリュー・ジョーンズ選手、野村克也監督や星野仙一監督(後の球団副会長)のようないろいろなタレントとの出逢いありました。それと同じようにヴィッセルでもいろいろなタレントとの出逢いがやはりありました。とりわけここ数年の出逢いというのはチームに大きな衝撃を与えたかもしれません。ワールドカップ優勝経験者のイニエスタ選手やビジャ選手、ドイツ代表のポドルスキ選手と、一見すると現実主義からかけ離れているように見える大物が集まりましたが、彼らがチーム全体の意識を高くしたようです。彼らにインスパイアされた選手やスタッフの努力が実り、イーグルスから6年遅れはしましたが大きなタイトルを勝ち取ったわけです。

三木谷オーナーは「Jリーグは世界屈指の選手達が憧れ目指し、日本人選手が海外に渡るのを恥ずかしく感じるようなリーグになって欲しい」と3日付のスポーツ報知に掲載されたインタビューで語っていました。NPBについてもMLBと肩を並べる存在になって欲しいと考えているかもしれません。壮大な夢への第一歩がこのタイトルになるのかもしれません。アジアチャンピオンズリーグでヴィッセルがどんな形で存在感を見せるのか、楽しみになってきました。

では、また次回です。
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