例年より3週間遅く行われたテニスの全豪オープン。女子シングルスは大坂なおみ選手が圧倒的な勝ちっぷりを見せて2年ぶりに優勝しました。大会期間中、大会会場があるビクトリア州で新型コロナウイルスの新規感染者が出たためにロックダウンが発令され無観客開催を余儀なくされた日もありましたが大会の全日程を終えることができました。日本ではロックダウンは憲法違反の可能性があるので発令できないと言われていますが、全豪オープンでとられた感染症対策は東京オリンピックなどでも十分活用できるのではと期待されているそうです。

そんな大会で気になったのがチャレンジ制度がなくなったこと。微妙なところにボールが落ちたときなどに主審が下した判定に不服がある選手がビデオ判定を求める制度ですが今回は形を変えたようです。言ってしまえば、今回は常時ビデオ判定をしていたのです。ライン際に落ちたら必ずインかアウトかをチャレンジで使われるホークアイが判定して、モニターに出た判定結果を主審が言う流れになっていました。だからチャレンジをする必要がなくなったわけです。今回は新型コロナウイルス感染防止策で三密をさけるためか、線審は配置されなかったのでチャレンジ制度で使っていたシステムに代わりをやってもらおうというわけになったそうです。

チャレンジできないことに不満をもった選手もいたことはいたようですが、大きな混乱はなかったようです。これをきっかけにして線審はもういらないという方向に傾くのかどうかはわかりません。人間の眼を補完するための存在と考えられたシステムですから、次回からまた線審が戻ってくるかもしれません。その時に「人の目があった方がいい」となるのか、「チャレンジだけでいい」となるのかという問題になるのかもとも思います。果たしてこの後のテニス業界はどうなるでしょうか?

ではまた次回です。
[Web全体に公開]
| この記事のURL
あと5か月に迫った東京オリンピックとパラリンピック。大会をけん引する組織委員会の会長がギリギリで交代するという前代未聞の出来事が起こりましたが、橋本聖子オリンピック担当大臣が引き継ぐことで決着がつきました。

選手としては夏冬合わせて7回出場したりオリンピック選手団の団長も務めたりして、人生の至る所でオリンピックと関わりがあった橋本さん。聖子という名前も、1964年の東京オリンピックの聖火を見た父の善吉さん(マルゼンスキーなどを送り出した馬主で生産牧場の社長)が思いついたとか。そして2021年にオリンピック・パラリンピック組織委員会の会長というんですから、オリンピックの申し子と言われるのがよくわかります。

そんな橋本さん、日本の競馬にも関わっていたのです。実家が競走馬を生産する牧場だからということもあってか、国(農林水産省)とJRAの橋渡し役をいろいろしているそう。武豊騎手が週刊大衆で連載しているコラムで打ち明けたところでは、海外競馬の馬券発売にも橋本さんが深く関わったというんです。日本の強豪馬が相次ぎヨーロッパや中東の大レースに参戦するようになったのをきっかけに、日本の馬を見るだけでない方法で応援する手段として馬券発売が待望されるようになり、JRAが海外の馬券を売り出せるように競馬法やJRA法の改正を国会で審議できるように橋本さんに働きかけたというわけです。大掛かりな設備の入れ替えが必要ではないネット投票のみではありますが海外馬券の発売が実現しました。

オリンピックともども競馬にもこれからも深く関わっていってほしいと思うのは私だけではないでしょう。では、また次回です。
[Web全体に公開]
| この記事のURL
9日にJRAから騎手試験の合格者が発表され、女性が2人いることが判明。中央競馬に女性騎手が3人いることになり、現在は解説者として活躍している細江純子さんが現役でいたとき以来二十数年ぶりの多さになったとか。これで騒ぐことなくガールズケイリンのように女子だけの大会が常時できるくらいの人数になるのが理想でしょう。

その一方で定年の調教師の名簿も発表されました。現役時代をリアルタイムで見たことある騎手の名前も散見されます。今年はカツラギエースでジャパンカップ日本馬初制覇を果たした西浦勝一さん、障害レースで多くのタイトルを獲得した星野忍さんと元騎手2人が含まれています。JRAでは70歳になると調教師は定年となり厩舎は解散。所属していた馬と厩務員・調教助手はつながりのある別の厩舎に移籍。騎手の場合は厩務員同様に他の厩舎に移籍する人もいれば、どこの厩舎に属さないフリーの騎手になる人もいます。大相撲の親方が65歳で定年になり他の部屋つきの親方に部屋を引き継いだり一門の別の部屋に吸収合併されたりするのと同じようなことです。

武豊騎手の弟、幸四郎さんのように30代で転身する人もいることはいますが、騎手を引退して調教師に転身するのは40代後半から50代が一般的。ですから調教師でいられるのは20年前後。それに比べて大相撲の場合は30代で引退して親方になるのが一般的なので親方でいられる期間は30年前後。そういう時間感覚のせいなのか、調教師の定年というのはあっという間に感じます。20年そこそこの時間で大きなタイトルを手にする馬を育てるのもすごいし、30年そこそこで横綱になれなかった親方が弟子を横綱に育て上げることもすごいです。ですが、引退から定年までの短かさが凄いという実感を増幅させるかもしれません。

春が近くなるころ、凄さとか、いろいろと毎年のように感じます。では、また次回です。
[Web全体に公開]
| この記事のURL
先週に続いて大相撲の話。先月24日に千秋楽を迎えた大相撲初場所で25年ぶりの珍事が起きたんです。幕下で9人による優勝決定戦が行われたというんです。

なぜ起きたかを説明する前に大相撲の本場所での幕下以下の流れをお話しします。幕内と十両は初日から千秋楽までの15日間すべてで1日1番ずつとり8勝以上すれば勝ち越しになります。一方、幕下以下の力士は人数が多いため15日間のうち7日だけ土俵に上がり4勝以上すれば勝ち越しになります。初日と2日目で1番目、3日目と4日目で2番目という風に、十両以上なら1日で消化できる取組を2日かけてでないと消化できないからです。で、最後の7番目の相撲は13日目から千秋楽の3日間にまたがって行われます。優勝が懸かる力士の取組は13日目にまとめて行われるのが基本。原則的に同じ勝ち星の力士同士が毎回対戦するため(スイス式トーナメントと呼ばれるシステムを取り入れている)、6戦全勝の力士が13日目の時点で2人から4人残ります。2人なら直接対決して勝った方の優勝。4人なら直接対決が2つあって勝った者同士が優勝決定戦をやることになります。今場所の場合も6戦全勝が13日目で2人いましたが同部屋だったため本割の直接対決で優勝者を決めることができず、2人が勝ったら改めて優勝決定戦という状況になりました。そしてその2人が13日目に敗れたため、6勝1敗の9人に優勝の可能性が発生したというわけなんです。

さぁ、大人数の優勝決定戦です。普通なら純粋なトーナメントで優勝を決めるところでしょうが、大相撲には特殊なやり方があります。それが巴戦。決勝の段階で3人残し、特定の1人が他の2人を続けて破れば優勝となります。3人に絞るためのトーナメントも普通とは違っていて、不戦勝扱いになるシードの人をなるべく出さないような作りになっています。対戦の組み合わせをできるだけ作りシードは1人という感じ。しかも、夏の甲子園のように1番取り終えるごとに勝者が次の対戦相手を再抽選して決めます。で、最終的に3人にするという流れが大相撲の基本。しかし、今場所は新型コロナウイルスの感染防止の観点から再抽選はせず、1度の抽選で優勝者を決められるようにするため純粋なトーナメントで優勝を決めることになったようです。そうしたら、また奇跡が。優勝したのは十両経験者だった34歳の魁。2回戦からでなく1回戦から4つ勝って優勝したのです。こういう時だからこそのトーナメントで優勝できたのは本当に貴重な経験かもしれません。

7日に開催予定だった第45回日本大相撲トーナメントは新型コロナによる緊急事態宣言が発令された影響か、2011年の35回大会以来となる中止になってしまいましたが、本場所でトーナメントにまつわる奇跡が起きるとは! そんな思いで話してみました。では、また次回です。
[Web全体に公開]
| この記事のURL

4件中 1~4件目を表示


1