日本代表の苦戦が続くサッカーワールドカップアジア最終予選。12日に埼玉スタジアムで行われたオーストラリア戦は2-1で勝利、本大会出場権獲得に望みをつなぎました。そんな中、日本代表の森保監督の言葉が注目されたそうです。

試合終了直後、選手や関係者が円陣を組んだところで森保監督が「俺ら生き残ったぞ! 絶対行くぞワールドカップ! みんなの気持ちが一つになって今日この結果が生まれたので、これを続けていこう」(デイリースポーツウェブ版12日配信、一部改変)と叫んだとか。テレビ中継で円陣を組んだ様子は映っていましたが、この声は収音マイクを捕らえていませんでした。更にテレビ中継が終わった後にはスタンドが集まったサポーターに挨拶しましたが、その時に「まずは今日の試合の応援ありがとうございましたということをサポーターの皆さんに、(声を)かけさせていただきました。これからW杯の出場権をつかみとるために、厳しい戦いがまだまだ続きますので、一緒に戦ってください、そして、カタールのワールドカップに一緒に行きましょうということで話をさせてもらいました」(デイリースポーツウェブ版12日配信、一部改変)と精いっぱいの大声で呼びかけたとか。普段ならこういう場合サポーターのコールリーダーから拡声器を借りて挨拶をしますが、コロナ禍の今では声を出しての応援できないため拡声器の持ち合わせがなかったのでしょう。

この記事を見て驚きながらも納得しました。あるシーンを思い出したからです。2015年にあったJ1チャンピオンシップ優勝戦の第2戦。ガンバ大阪に勝ちサンフレッチェ広島が年間総合優勝を決めた後、森保監督がお立ち台に上がると、「明治安田生命Jリーグチャンピオンシップに優勝しました。サポーターの皆さん、おめでとうございます!」と絶叫して見せたのです。この試合はNHK総合テレビで生中継していて、お立ち台で監督を待ち構えていたのはNHKのアナウンサー。冠スポンサーとはいえ具体的な企業名を出されてしまうのはNHKのアナウンサーとしてはひやひやものだったでかもしれません。当時はNHKの中継でスポンサーの名前が出たことが印象に残っていましたが、今は「サポーターの皆さん、おめでとうございます!」とはばからず叫ぶ森保さんのサポーター思いの一面が思い浮かびます。

Jリーグのチームのサポーターよりも大きな国民の期待を背負う代表監督という仕事は本当に荷が重いものかもしれません。ですが、サポーター思いであることを忘れなければいい方向に向くことを信じたいです。では、また次回です。
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2日に新装された千葉競輪場(ティップスタードーム千葉)のこけら落としとして「ピスト6チャンピオンシップ」が行われました。

一度は2018年4月限りでの廃止が検討された千葉競輪場。競輪選手会千葉支部の人たちなどによる存続活動が実り、全く違う形になったとはいえ存続が叶ったことを喜んでいるそうです。競輪場やオートレース場の廃止が度々ありました。これまでのレース場廃止といえば赤字による経営悪化でレース開催が難しくなり場外売り場だけ営業するというケースばかりでした。しかし、千葉競輪場の場合は国際規格の1周250mの木製トラックを備えた国内3つ目のドーム競輪場に生まれ変わったばかりか、「競輪」とは一線を画した「ケイリン」を実施することになったのです。

簡単に言えば「ピスト6チャンピオンシップ」はオリンピックや世界選手権でやっているような「ケイリン」にお金を賭けるもの。1レースに参加できるのは最大6人で距離は1500m。1周250mですからトラックを6周します(「競輪」の場合は1レースに参加できる人数は参加選手のランクによって7人か9人に変動、距離は2000m程度でトラックの周回は4周から6周)。「競輪」はスタート台に自転車を固定した後に号砲の合図で走り出しますが、「ピスト6…」の場合はスタート台がなく介添え役の人が自転車を支え号砲に合わせて自転車を離してスタートさせます。「競輪」ではレース中に地域や世代で紐づけた「ライン」が3つか4つ形成され、そのライン単位で縦に横に動きます。そして残り1周半でジャンという鐘が打ち鳴らされ競り合いが本格化し最終的な勝負がつきます。しかし、「ピスト6…」の場合はラインを形成することはできないので6人がぞれぞれ戦略を考えて走り続けないといけなくなります。「競輪」でもトップ選手が参加して行われる7人制の「競輪レボリューション」やガールズケイリン(女子競輪)ではライン禁止のルールがあるのでとっつきにくさはあまりないかもしれません。もしかしたら、ガールズの車券はよく当たるという人は当てやすいかもしれません。ちなみに、車券は会場内で観戦していても(11月から観客受け入れを開始予定)競輪のネット車券購入サイト「ティップスター」を使わないと購入できません。

もう一つ大きな違いとして挙げられるのは選手が1日2回レースに出ること。「競輪」の場合は1日1回しかレースに出ることができませんが、「ピスト6…」では1日2回レースに出ることが義務付けられています。大会自体「競輪」より短い2日間の日程ではありますが、「ケイリン」競技の経験がない選手にとっては体力の消耗をどれだけ抑えることができるかどうかというのが大会を勝ち抜くための大きなポイントになるかもしれません。

存続活動をリードしてきた競輪選手会千葉支部の中村支部長には、この新競輪場を拠点に高校生向けのアカデミーを立ち上げたいという構想もあるとか。オリンピックや世界選手権で使われるものと同じ仕様のトラックを国内で使えるのは日本の自転車競技のレベルアップに深く関わってくるでしょう。煌びやかにショーアップされた空間での「ケイリン」の舞台だけでなく、インターハイ、インカレと並び立つような全国大会の舞台としても活用してくれればと期待したいです。では、また次回です。
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9月26日に大相撲秋場所が幕を下ろしましたが、翌27日のスポーツ紙1面には1909年以降の近代相撲史上9人目となる新横綱優勝を果たした照ノ富士でなく白鵬が。引退を決断したとのこと。せっかく2人横綱体制が戻ったと思った矢先に…。驚き以外のの何物でもありません。

漫画家・コラムニストで相撲協会の外部委員を務めたこともあるやくみつるさんが知り合いの記者から聞いた話として「白鵬は7月の名古屋場所で照ノ富士との全勝対決を制し45度目の優勝を果たしたものの、古傷だったひざの状態が悪化していたので秋場所に出場できるか微妙な状況だったらしい」と25日のラジオ番組で語っていました。宮城野部屋の力士1人に新型コロナ陽性反応が出たため部屋の力士全員が休場という措置がとられたので白鵬は「出場できない」状況だったのではなく、そういう措置がとられなくても休場する可能性があったというわけです。そうであっても、引退にまで追い込まれる状況にあったとは想像すらしていなかったから驚きは半端なものではありません。心配なのは名古屋場所で関取だったにもかかわらず横綱の付き人を務めた炎鵬。大学時代に白鵬本人に声かけられプロ入りし心底から横綱をリスペクトしてきた炎鵬ですから、横綱の引退で燃え尽きるなんてことがないか心配です。炎鵬ばかりでなく他の宮城野部屋の力士たちの精神的な支柱がなくなって精神的なダメージが残るなんてことがなければと。

白鵬の引退は30日の理事会で承認されたため確定しましたが普通なら提出を求められない誓約書を提出したとか。土俵内外での振る舞いについて何度も賛否両論がぶつかってきた白鵬だから、間垣親方として活動するにあたっては誤解を招く振る舞いをしないでほしいという気持ちがあってこそのことだったのかもしれません。親方にはまず、炎鵬、石浦、北青鵬といったこれからの宮城野部屋を支えるであろう力士たちの心の支えになってもらえればと思います。では、また次回です。
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12日に女子サッカーの新リーグ「WEリーグ」が開幕。この日行われた5試合の観客動員は1試合平均で計算するとJ2の平均よりも多いということで上々のスタートとなりました。ただ、これを「ご祝儀相場」に終わらせるわけにはいきません。

WEリーグは日本初の女子プロサッカーリーグとして誕生しました。ということで、Jリーグと同じようにA契約、B契約…という具合に、これまでのなでしこリーグよりもプロとしての契約を明確にできる体制を整えました。そして、新規参入チームを中心に代表経験者の引き抜きが活発に行われました。WEリーグに参入しなかったチームの代表経験者の引き抜きにはチームの戦力ダウンへの不安の声が聞こえたこともありました。でも、WEリーグ各チームの本気が見えてくる部分もあるかもしれません。

今シーズンは11チームで争われています。なので各節1チームは休みになりますが、単なる休みではないんです。WEリーグの理念を試合以外で体現するための日として、社会貢献活動をすることを義務付けているとか。こういう形をとるのは恐らく日本初かもしれません。WEリーグがサッカーファンだけでなく広く国民に知れ渡るようにするための努力を示しているのかもしれません。

オリンピックやワールドカップで盛り上がった時だけなでしこリーグが盛り上がったという見方があったことは否定できません。こういった反省があるからWEリーグではいろいろな取り組みをしてきています。これが実って本当に女子サッカーが市民権を得られることを期待します。では、また次回です。
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8日にニッポン放送のアナウンサーとして60年代後半から90年代前半にかけて活躍した深沢弘さんが85歳で亡くなりました。訃報が伝えられた直後からニッポン放送では、局内のアーカイブスに保存されているプロ野球中継の音声から深沢さんが実況したシーンを1日1-2本程度ピックアップして放送したり追悼番組を放送したりして名物アナウンサーとの別れを惜しみました。

誤解を恐れずに言うならば、会社の発展に多大な貢献を果たしたとはいえ、いち社員の訃報に対してここまで放送に時間を割いたなんて記憶にありません。去年1月に文化放送の現職アナウンサーだった松島茂さんが亡くなったときは同僚のアナウンサーたちが担当番組で追悼コメントを送り、お悔やみの記帳についてのPRをするだけで期間は1週間程度。それだけの時間でも別れを惜しむ気持ちは伝わっていました。深沢さんの場合は追悼コーナーや特番を編成する力の入れよう。最大限の敬意を表しているのかなと思いました。もしかしたら、この先こういう送られ方をする人はいないかもしれません。

深沢さんはニッポン放送のプロ野球中継の骨組みを作り上げた人という印象があります。試合が動いたことをリスナーにわかりやすく伝えるために得点が入ったときやホームランを誰かが打った時にファンファーレを流すことを提案したと聞いたことあります。それに、この解説者の声が聞こえたらニッポン放送の中継だとわかるようにするため専属の解説者として関根潤三さんを迎え、深沢さんとのコンビで存在感をアピールさせたなんて戦略もありました。そして、「ベンチがアホだから野球をやっていられない」という言葉を遺して引退したといわれる江本孟紀さんをニッポン放送の解説者に迎えた人こそが深沢さんでした。現役時代の長嶋茂雄さんの自宅での自主練習を深夜まで手伝っていたという「伝説」の持ち主でもあるそう。

スポーツジャーナリストの生島淳さんは「テレビのプロ野球中継が地上波だけだったころ、テレビ中継終了後に深沢さんと関根さんのコンビで放送されるニッポン放送の中継で試合の続きを聞くのが楽しみだった」とラジオ番組で話していました。そういうファンはきっとたくさんいるでしょう。ラジオで楽しくプロ野球を聞けるのは深沢さんのおかげ。その気持ちを忘れずにスマホのテレビでなく出先ではラジオで野球を聞き続けたいですね。では、また次回です。

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