3月13日:14時30分。
石巻高校の寝床を整理し荷物をまとめ同じ時間を過ごした方に挨拶をして、高校を出る。
この時何人もの人達から「帰るんですか?」と聞かれる。我々には帰れる場所がある。
でも避難所に残ってる人たちには帰る場所はない…。

電気もガスも水も食料もない。実際にこの日の午前中に来た給水は1人500のペットボトルに4分の1の量しかもらえなかった。

この人達を残して石巻を出るのは後ろ髪を引かれる思いでした…。

本当は「橋が渡れるようになったみたいです!!」と全員に言いたかった。
ただ自分達の行動は大袈裟ではなく一か八かの賭けでした。
石巻を出て東京へ戻れる可能性もあるし、途中で帰京を断念しなければならない状況になり、やっぱ石巻高校で待機してた方が正解だったとなる可能性も大だったのです…。

15時。
石巻総合体育館にリングスタッフ、営業高橋さん、菊地選手が集まり、体育館のスタッフさんに国道4号線までの行き方を聞き15時10分に総合体育館を出発。

街を走行してると車道には人が溢れ、石巻へ入ってくる救助車、自分達と同じく石巻を出ようとしてる車、信号がなく危険すぎる道と全然スピードは出せず時速20キロ位で走行し、何とか石巻を出る橋まで到着。

橋には自衛隊の大きな車が数台停まってて、崩れることは無いと判断し一気に通行に成功。

石巻を出る橋は渡れたけど安心することは出来ません。実際に4号線に出るまで教えてもらった道が通行止めになってたり、トラックだったからギリギリ通行できた程水位が高かった道が何箇所もありました。
最終的には石巻から1時間以上かけ何とか4号線に出ることに成功しました。

16時20分頃。
4号線に出ることに成功した後は東北道が通行止めだから、一般道で南下するのみ!!
道を選べば乗用車でも4号線に出れるのが可能なことを、避難所の方々に伝えたかった。
でも石巻から30キロ離れた場所でも我々の携帯は圏外。たとえ電波が入っても肝心の石巻は電波が入らないから伝えることは出来ません。
教えてあげたいのに教えられない…心の底から辛かったです。

古川から黒木さん達とは別々行動にするようにして、全日本プロレス黒トラックはまず仙台を目指すことにしました。

17時20分頃。
仙台に入りかけたとこで296氏の携帯から着信音が!!遂に我々の携帯が復活したのです。
そこでまず自分の家へ連絡をしてもらいました。
この時点ではまだ自分の携帯は使えませんでした。
母親の無事は確認してましたが、父と弟の状況を全く知らなかったのでこの自宅への電話で少々気が楽になりました。

17時30分頃。
自分の携帯にも電波が入り、一気に留守録・メールを受信したので受信に数分かかり、電話したいのにしばらく携帯が使えず…。

17時38分。
受信も落ち着き、まずは武藤社長に電話。
社長の声を聞いてようやく被災地から出れたことを実感する。

国道4号線をドンドン南下し行けるとこまで行くことにした。

19時30分頃。
福島市内で営業しているファミレスがあったから迷わず入ることに。
まだガス・水道が使えないようで、メニューは限られてましたがハンバーグを食べることが出来ました。
いつものように調理が出来ないせいか硬いハンバーグだったけど美味しかった…。

向かい側の席の人が、我々が石巻からやっとの思いでここまで来たことを知ると、乾パンとチョコレートをくれる。

世の中には温かい人もいるものなんですね。
そう言えば、まだ石巻にいた時に自分達がいない間に給水が来たことがあって、外をウロウロしてたとき一人の女性が自分と296氏に「全日本プロレスの方ですよね?さっきの給水のときにいなかったので良かったら私の水を分けましょうか?」と言ってくださったのです。自分達もまだ水は持ち歩いてたので頂きませんでしたが、生命の源である何よりも貴重な水を見知らぬ自分達に分けようとしてくれるなんて、何て優しい方なのでしょう!!!
人の温かさを感じました。また試合を見に来ようとしてた方にも声をかけられ逆に励まされたこともありました。避難生活中の嬉しかった出来事です。

23時頃。
電気、水が使えるホテルが那須にあったのでチェックイン。
部屋に入ると普通につく電気・普通に流れるトイレ・温かい部屋に布団。
数日前までは当たり前の生活だったのに大きな幸せを感じた!!それと同時に避難所の方々が一刻も早く数日前までしていた当たり前の生活を送れる日が来るのを願う…。

60時間ちょっと振りにシャワーを浴び、テレビのスイッチを入れると被災地の映像がバンバン流れてきた。
数時間前までいた石巻の映像も!!泣けた…。


13日:10時。
那須を出発。
何とかトラックの燃料を補充でき18時過ぎに横浜市内の全日本プロレス合宿所に無事到着することが出来た。
KAI選手、大和選手、征矢選手、中之上選手、温かいちゃんこを作っててくれた浜ちゃん、そして実家に帰ってたはずの曹駿の顔を見たら一気に張り詰めてた力が抜け、やっと生還できた実感が湧く。
お腹一杯浜ちゃんこ、社長の奥様お手製のカレーライスを食べる…。

20時頃。
自宅へ帰宅。
2匹の猫も元気そうで安心した。やっぱペットも立派な家族の一員なんですね!!

以上で自分が石巻で体験してきたレポートを終了させていただきます。

自分達は無事に帰宅できましたが被災地では、まだまだ大勢の方々が暖房器具も不足してる寒い避難所で辛い思いをしています。


避難所の皆さんは住んでた家を含め全てを失い、帰る場所が一瞬で消えてしまいました。
肉体的には勿論ですが精神的にも厳しい状態に追い詰められてるはずです。
数日間だったけど被災地で同じく避難生活をしていた自分が、今も避難生活をしている方にどうしても伝えたいことがあります。

絶対に希望は捨てないでください!!!

神様は乗り越えられない人間に試練は与えないのです。
絶望の隣には、いつでも希望がいます。
皆で手を取り合い助け合いの気持ちでどうか、どうか笑顔を取り戻していただきたい。

自分は悔しいくらい無力な人間です。ですから被災者を救助したいけど助けてあげることは出来ません…。
被災地の警察官、自衛隊を始め救助活動されてる皆さんには自分の分まで被災者の救助をよろしくお願いします。
そして地元の後輩が、ダイバーレスキューチームに登録しているため14日から気仙沼入りし、津波にさらわれた人々を海から上げてあげたいと連日頑張ってます。
そんな後輩の田村を自分は誇りに思います!!
田村、辛いだろうけど残された家族のため犠牲になられた方のため頑張って。

このブログを通じ、ちょっとでも被災地の方々の大変さを感じてもらえればと思い、自分が体験してきた石巻での出来事を書きました。
今回の災害は絶対に忘れてはならないのです。そして後世に語り継ぎ、いつ来るか予想できない今後の災害に備え、危機感を持ち続けましょう。

それと被災地では電気・水を全員が待ってます。
我々にできる身近な節電・節水を心がけていただきたいです。
また何円でもいいので募金活動へのご協力もお願いします。
1人の100円だって1万人分集まれば100万円になります。
1人の1000円が1万人分集まれば1000万円になります。
被災地では食料、衣類等ありとあらゆる日用品が足りません。
被災者のために何も出来ないならせめて募金活動、節電・節水を一緒にしましょうよ!!!
※この災害を上手く利用し募金詐欺をする連中が出ると思いますので、本当に被災者へ届く信用できる募金運動をお選びください。


最後にこの震災で亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。
あの震災で生き残れた自分はあなた達の分まで全力で一生懸命生き続けます…。

阿部誠

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