1年…

今日は2012年3月11日、あの日から1年経ちました。

2011年3月11日14時46分…観測史上最大のM9の地震が起きたとき、自分は石巻市総合体育館にいました。
※当時経験したことは、昨年3月の記事をご覧ください。
自分が被災地で何を経験してきたのか、まだ読んでない方は勿論、1度読まれた方もこの震災を忘れちゃいけないと思うので是非もう1度ご覧ください。


あの日から1年が経ったけど、まだまだ辛く苦しんでる想いをしてる方は多く、解決できない問題が大量にあると思います。

あの大震災で1番多くの死者・行方不明者が出てる石巻に居たことにより、今まで何も感じずに生きてることが当たり前だった自分にとって、体育館から5分坂を下った場所が津波の被害で壊滅状態になったのを目の当たりにして、自分達が居た石巻市総合体育館は遺体安置所となり、常に警察車両によってご遺体が運び込まれてたのです。
自分は、生まれて初めて心から生きたいと感じました。

津波に破壊され尽くした石巻の街を歩くと車は横転し、建物は崩れ、道はヘドロだらけ、電気は止まり夜は真っ暗。水道・ガスも勿論完全に止まる…。

街が映画の世界のようで、冗談ではな怪獣が暴れたんではないかと勘違いする光景でしたが、信じられないし信じたくはないけど、それが自分の目で見て自分が居る場所の光景でした。

避難所へ戻っても情報が入ってこなく、何も出来ない無力な自分達…。
ただ解ってるのは連絡が一切取れない環境で、石巻から出る橋が封鎖されてて、石巻から出れないこと。

ただ橋は3日目には通行可能になり、我々には帰れる場所があったので石巻から出ることが出来ました。これで帰れるんだと希望が沸いた自分。

だけど、同じ避難所には家が流され帰る場所がなくなってしまった方々ばかりで、自分達だけが石巻を出ていいのかと戸惑いがあったのも事実です。

自分はあの日あの石巻から帰ってきて、今はもう何不自由なく生活してます。

あんなにも被害が大きかった土地から無事に帰ってこれたからこそ、沢山の知人・仲間・親族に再会できたし新たな出会いもありました。
そして、まだ出会ってないだろうけど自分が出会わなければならない最愛の人とも出会うと思います…。

この1年で楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと沢山経験できました。
あの震災で犠牲になられた方はもうそれが出来ません。
残された家族のこと、恋人のこと、仕事のこと等無念で心配で仕方なかったと思います。

自分は生きていられる。

あの日から1年…再び誓う。

今を精一杯悔いなく生きようと!!!

被災地の皆さんに頑張ってとは言えません。何故なら並大抵の頑張りでは精神的にすぐにギブアップしてしまい、皆さん自分の限界以上の頑張りを毎日してるから。ただ絶望の隣には希望がいます!!だから、希望は絶対に捨てないでください。それに神様は乗り越えられない人には試練を与えないので…。これは石巻にいたときに自分が常に心で思ってたことなんです。
1日も早く被災地の皆さんが心から笑顔になれる日が来ることを祈ってます。。。

最後に改めまして、あの震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。安らかにお眠りください。

2012年3月11日 
阿部誠


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