どうも、ヒロ・トウナイです。

またもや台風が近づいていたんですね!

しかも、二つくらい同じところらへんを、それていったみたいです。

前回も、凄い大きい台風が来るとなって、警戒していたらかすめる位で行っちゃいました。

今回も大型だから、注意が必要と言われていました。

しかし、何とかまたギリギリをそれて行ってくれたみたいで、ホッとしましたね。

千葉BFは、来た方なら分かると思いますが、基本的には倉庫です。

雨はまだ、雨漏りしたかなぁ、程度で済みますが、風は怖いですね!

過去にも看板が吹き飛んだりして、結構天災にはもろい面を露呈していますからね…

天災は恐ろしいですねぇ…
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どうも、ヒロ・トウナイです。

注:今回のブログは、完全なる自分の趣味であり、自己満足です。
興味の無い方々は、読まない方がいいかもしれません…

この前も書きましたが、自分は歴史、特に「戦国時代」が好きです。

その中でも、自分が一番好きな人物が、「武田 信玄」です。

「風林火山」の旗印でも有名な、戦国乱戦でも"超"が付くほど有名な武将です!

おそらく、誰もが知っているのは、「織田 信長」「豊臣 秀吉」「徳川 家康」の、教科書にも出てくる有名三武将でしょう。

武田信玄は、その三人の次に来るのではないかと思う程の、有名武将です。

プロレス界でも、自分が知っているだけでも、もう引退されましたが、元新日本プロレスの垣原 賢人選手のロングパンツ時代に、「風林火山」の文字が入っていました。
そして、DRAGON GATEの鷹木 信吾選手のコスチュームの背中に、武田家の家紋「武田菱※画像参照」が記されいました。
まぁ、お二人に直接「武田信玄がすきなんですか?」と聞いた訳ではないんで、関連はわかりませんが、それほど多くの人達に印象を与えた武将だと思います!

信玄(この当時の名は、晴信)は、自らの父親で武田家の当主である武田 信虎を強制的に隠居、つまり自らの父で主である人を国外追放して、武田家の家督を相続しました(苛烈ですねぇ…)!

父の代で既に、甲斐(山梨県等辺)を統一していたので、「国」としての基盤はしっかりしていたのではないでしょうか。

その後の信玄の代になって、甲斐から信濃(長野県等辺)平定に進行。

順調に信濃平定に向けて、進行していた信玄でしたが、ここであの永遠のライバルとも言われる、越後(新潟県等辺)の龍「上杉 謙信」と激突したんですね!

それが有名な「川中島の戦い」です!

この戦いは激戦で、合計で五回も合戦が行われたそうです!

結果は、双方痛み分けの引き分けとなったそうです。

しかし信玄は、影の軍司とも言われ大河ドラマ「風林火山」の主役ともなった「山本 勘助」や、自らの弟で優秀な参謀であった「武田 信繁」等、優秀な家臣を沢山失いました…

しかし!

信玄は、尚も領土を拡大させます!

その後も、駿河(静岡県等辺)を平定し、この時点で甲斐(山梨県等辺)、信濃(長野県等辺)、駿河・遠江(静岡県等辺)、上野(群馬県等辺)西部、飛騨(岐阜県等辺)・三河(愛知県等辺)・越中(富山県等辺)の一部を領土にしているんです!

これは凄い広さの領土ですね!

そして、遂に上洛(京都の室町幕府 足利将軍家を保護し、権力を得ることが、当時の戦国時代での権力者となる方法とされていた)の為、京都目指して出陣!

途中、三河の大名で、後に江戸幕府を作り、天下人となった、「徳川 家康」と激突!

しかし、信玄はこれに完勝!

いざ京都をへ!と、進軍を進めたが、途中に病により進軍はストップ…

甲斐に引き返す途中、三河街道上で亡くなったそうです…
享年53歳だったそうです。

その後、武田家は当主を信玄の四男「武田 勝頼」に代え、再度上洛しましたが、途中「織田 信長」と激突!
有名な「長篠の戦い」で、織田の鉄砲隊に敗れ、戦国の表舞台から姿を消しました…

と、武田信玄は戦国時代に天下を取れませんでしたが、戦国最強とまで言われた「武田の騎馬隊」を組織し、優秀な家臣団を構成し、「風林火山」と言う、戦いの信念を旗印に掲げ戦うという、信玄が「戦国最強の武将」と呼ばれた程の、戦いの強さに惹かれた人も多いのではないでしょうか?

皆さんも、これで興味が湧いた人が居れば(ここまで読んでくれた人はいるのかな…)是非、武田 信玄という人間を調べてみては?

手軽ですと、Wikipedia何かで簡単に詳しく検索できる時代ですからね。

自分も結構そこで調べてますからねぇ…

長いこと、お付き合いありがとうございました。
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