先日の後楽園ホール大会におけるグレートサスケのマイク。
「あいつらがΩ(オメガ)なら、俺はα(アルファ)だ!」
きっと聞いていた誰もがズッコケたことだろう。
しかしこのマイクの内容が、実は「Ω」というチーム名の由来そのものである事はあまり知られていない。
そこで、今日はΩという名の由来について書いてみよう。
時は2006年12月。
チームの創設メンバーであったYOSHIYA・バンビ・大石・そして私は、チーム名について何回目かの話し合いの場を持っていた。
いくつもの候補が上っては消え、また上っては消えていき…なかなかうまくまとまらない。
ならば…もう一度このメンバーが集まった理由を考えてみようではないか、と。
私と大石は、その年の上半期に3本のタッグベルトを取るも、その全ての初防衛に失敗。
それ以降はパッとせず、リング上の主役はトップ4と自称するTAKAや筑前達に奪われていった。
YOSHIYAも自分がコーチをしてきた、言わば教え子でもあるJOEや真霜にシングル王座の先を越され、自身はスラムローズとしての活動も影響し、トップ戦線に食い込めずにいた。
バンビは、以前に所属していた団体を離脱し、KAIENTAI-DOJOにて出直しの再デビュー。
つまり、四人に共通していたのは…、
「もう後がない。」
ってこと。
後がない四人が手を組んで、現状を打破する。
そのためには手段なんざ気にしない!!
それが四人が行動を起こした理由。
ならば開き直ってそれをそのままチーム名にしてしまおうではないか、と。
そこから考えていき、最終的に引っ掛かってきたのが…「Ω」。
「Ω」はギリシア文字の最後の文字。
つまりその後ろにはもう何もない…後がないのだ。
他にも「最終にして究極の」なんて意味もあったりして。
よし、ならば崖っぷちを背負ってもうひと暴れしてやろうぜ!
というのが「Ω」の由来。
いかがでした?
短いなりにも歴史を積み重ねている最中のΩ。
今日はグレートサスケの言葉に触発されて、その始まりの1ページを紐解いてみた。
2ページ目はまたいつの日か。
では、ごきげんよう。
「あいつらがΩ(オメガ)なら、俺はα(アルファ)だ!」
きっと聞いていた誰もがズッコケたことだろう。
しかしこのマイクの内容が、実は「Ω」というチーム名の由来そのものである事はあまり知られていない。
そこで、今日はΩという名の由来について書いてみよう。
時は2006年12月。
チームの創設メンバーであったYOSHIYA・バンビ・大石・そして私は、チーム名について何回目かの話し合いの場を持っていた。
いくつもの候補が上っては消え、また上っては消えていき…なかなかうまくまとまらない。
ならば…もう一度このメンバーが集まった理由を考えてみようではないか、と。
私と大石は、その年の上半期に3本のタッグベルトを取るも、その全ての初防衛に失敗。
それ以降はパッとせず、リング上の主役はトップ4と自称するTAKAや筑前達に奪われていった。
YOSHIYAも自分がコーチをしてきた、言わば教え子でもあるJOEや真霜にシングル王座の先を越され、自身はスラムローズとしての活動も影響し、トップ戦線に食い込めずにいた。
バンビは、以前に所属していた団体を離脱し、KAIENTAI-DOJOにて出直しの再デビュー。
つまり、四人に共通していたのは…、
「もう後がない。」
ってこと。
後がない四人が手を組んで、現状を打破する。
そのためには手段なんざ気にしない!!
それが四人が行動を起こした理由。
ならば開き直ってそれをそのままチーム名にしてしまおうではないか、と。
そこから考えていき、最終的に引っ掛かってきたのが…「Ω」。
「Ω」はギリシア文字の最後の文字。
つまりその後ろにはもう何もない…後がないのだ。
他にも「最終にして究極の」なんて意味もあったりして。
よし、ならば崖っぷちを背負ってもうひと暴れしてやろうぜ!
というのが「Ω」の由来。
いかがでした?
短いなりにも歴史を積み重ねている最中のΩ。
今日はグレートサスケの言葉に触発されて、その始まりの1ページを紐解いてみた。
2ページ目はまたいつの日か。
では、ごきげんよう。