GWSP6最終戦

この日を持って安沢たくが引退しました

新潟一番星は最後に輝いて流れ星となり消えていきました

たくの最後の入場は、上越たく時代のように走ってリングに飛び込みロープワーク

俺にとって、やはりたくの入場はこれが一番印象深いのでそれだけで胸が熱くなった

最後の試合は旭、KAZMA、狐次郎、そしてレフェリーはナルシーの四期生達

俺が初めて会った時、当たり前だが彼等はみんな練習生だった

辛い練習に耐えながらいつかリングに立つ事を夢見て励ましあった仲間達

そのメンバーが奇しくもたくの引退試合で集結している

これもまた不思議な気持ちでした

九州からわざわざ駆け付けてくれたヴォイスィー

表には出なくても沢山の懐かしい顔ぶれがバックステージにはいました

たくへの最後のコールは涙で声が震えて不本意なものでした‥

りょう太さんからの手紙もちゃんと読めていなかったかも知れません‥

今は改めて安沢たくが自分にとって大きな存在だった事を実感しています



5年前、練習生だった彼を自分は殆ど印象がありませんでした

気付けば自然に話をして仲良くなっていた

たくはいわゆる劣等生だった

特に体が大きい訳でもない

技術がある訳でもない

物覚えも良くない

いつも怒られている所ばかり見ていた

でも、ただ一つ

たくはいつでも一生懸命だった

いつも歯を喰いしばって頑張っていた

たくのデビューは会社からは望まれては居なかったかも知れない

桂スタジオで機材待ちの時間にデビュー

デビュー戦の映像も残っていない

俺がマイクも無く地声でコールして、たくはデビューした

それでも俺は頑張っていた、たくのデビューが何より嬉しかった

たくが逃げた時

色んな選手やスタッフが一晩中あいつを探した

雨の中ビショビショになりながら

新潟で地震が起こった時は真っ先に電話をした

あいつは今でもその時俺が入れた留守電を大事に保存してくれている

そして、たくは帰ってきた

戻ってくるのには相当の勇気がいったと思う

それだけで俺はたくのプロレスへの愛を感じた

納得のいかない顔をした者、怒った者、殴った者と色々いた

でも誰もが心の中では嬉しかった筈だ

時を同じくして俺はコミッショナーになった

インフォメーションでは毎回困らせられたり

TAKUみちのくの改名の時なんかはファンから一緒に顰蹙を買った時もあった

でも、不器用ながらも前に進もうとしているたくを応援したかった

新潟大会の時は二人で寝ずに日帰り営業なんかもあった

たくの悲願でもあった刈羽村での大会は本当に素晴らしい興行だった

プライベートでも一番遊んだのも、たくだった

梶と三人で行った東京タワー

いつまでも忘れない思い出です

いや、たくと過ごした全ての時間が大切な思い出です

俺のコールでデビューしたプロレスラーは

俺のコールで引退しました

リングアナって職業は、プロレスラーの大切な最初と最後を見守る職業なんだなって今更ながら感じています

引退セレモニーが終わってからも、たくはずっと

「すいません」と連呼していた

それはたくの口癖なんだよね

でも俺は安沢たくにありがとうの言葉しかありません

沢山笑顔を貰いました

沢山勇気を貰いました

沢山感動を貰いました

ねぇたく。

俺は君に何かしてあげれたかな?

やっぱり今はもっと色んな事をしてあげれば良かったと後悔が心に残ります‥

明日から道場にも、興行の日のリングにも安沢たくは居ません

きっとこれからそれを実感してもっともっと寂しくなると思います

だけど俺は笑ってリングに立ちます

俺がへこんでいたら

また、たくが「すいません」って謝っちゃうもんな

プロレスラーだった5年間を誇りに

これからも頑張るんだぞ!

今まで本当にありがとう

またいつか笑顔で会おうな

大好きだよ!俺の大切な弟よ

安沢たく選手、5年間お疲れ様でした
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GWSP6最終戦

この日を持って安沢たくが引退しました

新潟一番星は最後に輝いて流れ星となり消えていきました

たくの最後の入場は、上越たく時代のように走ってリングに飛び込みロープワーク

俺にとって、やはりたくの入場はこれが一番印象深いのでそれだけで胸が熱くなった

最後の試合は旭、KAZMA、狐次郎、そしてレフェリーはナルシーの四期生達

俺が初めて会った時、当たり前だが彼等はみんな練習生だった

辛い練習に耐えながらいつかリングに立つ事を夢見て励ましあった仲間達

そのメンバーが奇しくもたくの引退試合で集結している

これもまた不思議な気持ちでした

九州からわざわざ駆け付けてくれたヴォイスィー

表には出なくても沢山の懐かしい顔ぶれがバックステージにはいました

たくへの最後のコールは涙で声が震えて不本意なものでした‥

りょう太さんからの手紙もちゃんと読めていなかったかも知れません‥

今は改めて安沢たくが自分にとって大きな存在だった事を実感しています



5年前、練習生だった彼を自分は殆ど印象がありませんでした

気付けば自然に話をして仲良くなっていた

たくはいわゆる劣等生だった

特に体が大きい訳でもない

技術がある訳でもない

物覚えも良くない

いつも怒られている所ばかり見ていた

でも、ただ一つ

たくはいつでも一生懸命だった

いつも歯を喰いしばって頑張っていた

たくのデビューは会社からは望まれては居なかったかも知れない

桂スタジオで機材待ちの時間にデビュー

デビュー戦の映像も残っていない

俺がマイクも無く地声でコールして、たくはデビューした

それでも俺は頑張っていた、たくのデビューが何より嬉しかった

たくが逃げた時

色んな選手やスタッフが一晩中あいつを探した

雨の中ビショビショになりながら

新潟で地震が起こった時は真っ先に電話をした

あいつは今でもその時俺が入れた留守電を大事に保存してくれている

そして、たくは帰ってきた

戻ってくるのには相当の勇気がいったと思う

それだけで俺はたくのプロレスへの愛を感じた

納得のいかない顔をした者、怒った者、殴った者と色々いた

でも誰もが心の中では嬉しかった筈だ

時を同じくして俺はコミッショナーになった

インフォメーションでは毎回困らせられたり

TAKUみちのくの改名の時なんかはファンから一緒に顰蹙を買った時もあった

でも、不器用ながらも前に進もうとしているたくを応援したかった

新潟大会の時は二人で寝ずに日帰り営業なんかもあった

たくの悲願でもあった刈羽村での大会は本当に素晴らしい興行だった

プライベートでも一番遊んだのも、たくだった

梶と三人で行った東京タワー

いつまでも忘れない思い出です

いや、たくと過ごした全ての時間が大切な思い出です

俺のコールでデビューしたプロレスラーは

俺のコールで引退しました

リングアナって職業は、プロレスラーの大切な最初と最後を見守る職業なんだなって今更ながら感じています

引退セレモニーが終わってからも、たくはずっと

「すいません」と連呼していた

それはたくの口癖なんだよね

でも俺は安沢たくにありがとうの言葉しかありません

沢山笑顔を貰いました

沢山勇気を貰いました

沢山感動を貰いました

ねぇたく。

俺は君に何かしてあげれたかな?

やっぱり今はもっと色んな事をしてあげれば良かったと後悔が心に残ります‥

明日から道場にも、興行の日のリングにも安沢たくは居ません

きっとこれからそれを実感してもっともっと寂しくなると思います

だけど俺は笑ってリングに立ちます

俺がへこんでいたら

また、たくが「すいません」って謝っちゃうもんな

プロレスラーだった5年間を誇りに

これからも頑張るんだぞ!

今まで本当にありがとう

またいつか笑顔で会おうな

大好きだよ!俺の大切な弟よ

安沢たく選手、5年間お疲れ様でした
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