◆TAKAみちのく


今からもう10年前

当時、週刊プロレスに載っていた

『TAKAみちのくの毒針日記』

そこに書いてあった

yahooアドレスに携帯からメールを送ったら

不定期ではありましたが

返信がきました


嬉しかったなぁ


やがて目にした

リングアナウンサー募集


迷わずメールしましたが

身長体重を聞かれて

「デカイなぁ。レスラーやらない?」

「いえ、リングアナウンサーがいいです」

「そっかまたメールするよ」

このやりとりを7~8回(笑)


気づいた時には

メールの主は日本に帰ってきてました(笑)


そしてなんとか漕ぎ着けたアポイトメント

当時はざっくりと言われた住所を調べながら地図を片手に千葉Blue Fieldへ

まだ照明もスクリーンも花道も無く

閑散としたとして倉庫でした


玄関から入った俺の耳に

代表と事務員の人との衝撃のやりとりが

「誰だ?あれ?」

「代表、今日面接とか言ってませんでした?」

「あ~そうだっけ?」


なに~!?


そんなこんなで面接

簡単な自己紹介をした所で

代表から言われた一言

「君、ホストみたいだね。今女の子(カロリーナ)が一人いて、さっき来た奴(ヴォイスィー)が真面目そうだったから悪そうなリングアナ…。面白いなぁ。じゃあやってみる?」

時間にして僅か10分

アッサリと採用となりました


翌日には再び千葉に行き旗揚げ船のパンフ撮影

旗揚げ戦の一週間前には毎日千葉へ通って

リングアナウンサーの練習とリハーサル


こうして

味方冬樹はリングアナウンサーとしてデビューしました



自分にとってTAKAみちのくは

当然自分がKAIENTAI DOJOの社員である以上、社長ではあるんですが

産みの親でもあって

恩人でもあって

このKAIENTAI DOJOの中では一番付き合いの長い付き合いの人


感謝もしてるし

尊敬もしてる


けど

腹の立つ時もあるし

呆れたり

失望した時もある


そんな色んな感情や想いがあるっていうのが

10年という月日を一緒に過ごしてきたって事なんだと思う


今でこそ他団体さんに沢山呼んで頂いてますが

当初は

「TAKAさんの所の人なら大丈夫ですね」

ってよく言われてました

この業界において

TAKAみちのくお墨付きを貰っている人間は

それだけで顔パスだった部分があったと思います

それは所属選手も同様に


かつて他団体男と呼ばれて色んな団体に出ていた代表

その男の部下である俺も

他団体リングアナウンサーと呼ばれたい

いつの日にかそんな欲が出てきて

今日まで頑張ってきました



話しは少し戻りますが

代表との初めて面談した時の最後に

ある一言を言われました

俺はそれを今日までずっと守り続けてきました


その言葉への返答

ひとつの集大成が

10周年大会だと思っています


これが終わりじゃないけど

10周年大会は

全てを出し切ります


それが

俺なりのTAKAみちのくへの恩返しです


10年前

10分の話し合いで採用が決まった男が

10年間KAIENTAI DOJOで生きてきました


TAKAみちのくに

味方冬樹を採用して良かったって言われるように

KAIENTAI DOJO10周年大会のリングに誇りを持って胸を張って上がりたいと思います
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