広島東洋カープで、当時、メジャーを超える連続試合出場の記録を作り、「鉄人」と呼ばれて国民栄誉賞も受賞された衣笠祥雄さんが23日夜、東京都内で大腸がんのためお亡くなりになりました。71歳でした。
衣笠さんは京都府出身で昭和40年に平安高校から広島に入団しました。
プロ6年目の昭和45年の秋から現役最後のシーズンとなった昭和62年まで連続試合出場を続け、現役最後の年には当時メジャー記録だったルー・ゲーリッグの2130試合連続出場を抜き、国民栄誉賞を受賞されました。
その世界記録を樹立した時に花束を渡したのが、1月にお亡くなりになりました星野仙一さんでした。
(写真引用:時事通信社)
https://www.jiji.com/jc/d4?p=nbs630-jpp10756766&d=d4_stc
連続試合出場は2215まで伸ばして引退し、その後、平成10年にメジャーリーグのオリオールズでプレーしたカル・リプケン・ジュニアさんに抜かれました。
この星野仙一さんのご支援で、生駒ボーイズの選手は3人、Team Hoshino/カル・リプケン少年野球世界大会日本代表に選出され、世界の舞台を経験させていただきました。
(写真引用:Team Hoshino/カル・リプケン少年野球世界大会日本代表公式facebook他)
https://www.facebook.com/teamhoshino/
6期生OBの植田清太(慶応高ー慶応大)、7期生OBの生水義哉(関西学院高ー関西学院大)、11期生OBの生水義隼です。
その中でも、生水義隼はその大会の中で、サプライズで衣笠祥雄さんが偶然カル・リプケン・ジュニアさんに会いに来られた時と大会の時期が重なり、選手全員「鉄人」のお二人とのスリーショットの写真を撮らせていただきました。
(参考記事:フルカウント)
https://full-count.jp/2018/04/24/post123645/
このお三方とのご縁が生まれた2013年のチームは見事、世界一になることができました。
そして、生水義隼は3年後に衣笠さんの母校、平安高校(現・龍谷大平安高校)に入学し、100記念大会の甲子園を目指し、平安高校(現・龍谷大平安高校)通算甲子園100勝を目指します。
(写真引用:龍平 @ryuheian さん公式Twitter)
https://twitter.com/ryuheian/status/914409340584333313
同期では大阪桐蔭・森本昂佑投手がセンバツで頂点を勝ち取りました。
(参考記事:日刊スポーツ)
https://www.nikkansports.com/baseball/column/kunikarakoko/news/201803240000421.html
まさか星野さんと衣笠さんが続けてお亡くなりになるとは夢にも思いませんでしたが、このお二人とご縁が持てた2013年の代表選手の皆さんは、その感謝の想いを胸に、是非100回記念大会での再会を多く果たして欲しいと思いますし、生水義隼は平安100勝を果たして欲しいと思います。
もちろん生駒ボーイズのOBの選手たちにも多く甲子園で会えることを楽しみにしています。
最後に、星野仙一さんと衣笠祥雄さんのご冥福をお祈りいたします。