自分のキックボクシングのキャリアの中で、とても縁深い人間の一人、中島貴志のことを書きます。
最初に話すようになったのは、自分が全日本キックの仕事を始めた90年かな。
きっかけは、この年に芝浦のGOLDってディスコで毎週金曜夜に行われていた、ムエタイのショーでした。
リングアナは、プロレスラーの藤原喜明さんが務められてました。
その企画には当時全日本の総長だった岡村達親さんが携わっていて、選手派遣を中島が所属する東京北星ジムさんが行うことになりました。
で、ふとしたときに岡村総長から「お前は毎週金曜、芝浦に来い」と言われた自分は、
やっぱり当時20代前半だし〜、ボディコン姉さん綺麗だし〜、キックもどんどん勉強したいし〜(ってキック3番目だし!)って、
不純純粋ないまぜなまま、とりあえず毎週金曜夜は芝浦に顔を出してました。
といっても、なんたって入社数ヶ月、会場での居場所なんてございません。
となると、やっぱりジムさんや選手のお世話でも…となるのが人の道、キック道(意味不明)。
ズバリ言って、自分は控室周りを無意味にうろつく兄ちゃんとなるしかなかったわけです。
となると、自分の居場所をキープするためにも、まずは若い選手たちと仲良くなる必然性が生じます。
当時の北星ジムは三回戦ホープの宝庫。中島貴志は五回戦昇格間近のプリンス的存在でした。
長野から毎週来てるっていう、ヒゲの濃いムエタイ熱血少年なんてのもいたなあ(後の全日本キックエース→GM)
延藤直樹は北海道から上京したてだったかな。
とにかくみんな、アニメ「アパッチ野球軍」のメンバーのように、がさつでギラギラしてる奴らでした。
自分も含めてね。
で、毎週金曜日の夜、彼らは公開イベント試合。ミーはボディコン姉さんを文字通り尻目にしつつ、ムエタイイベントのお手伝い。
次第に、若い僕らは、濃い時間を共有することになっていくのでした。。。

つづく
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