東京は文京区
18:30startの某興行にて
【ハヤブサメモリアルマッチ】
☆リッキー・フジ&中川浩二&五所川原吾作 vs フライングキッド市原&KAI&新井健一郎
↑↑↑
【当日会場にいらっしゃるFMWのファンの皆様へ】
「新井健一郎がハヤブサメモリアル?ちょっとピンと来ないなぁ」
そう思われて当然だと思います
自分は今から25年前にFMWに入門するも、デビュー出来ずに辞めた人間ですので
なので当時のことをざっと書かせていただきますので、大会前でも大会後でもお読みいただければ幸いです
と、思うと同時に
元練習生程度の私が明日、リングに上がらせていただくことをお許し願いたいと思います
高校卒業直前だった1991年の2月に、FMWの入門テストを受けることになりました
で、当時本川越にあった道場に行くと、全部で50名ほどの入門希望者がいて
思ってたよりも人数が多かったので、ちょっと面食らったのですが
とりあえず全員がライバルなので、どんなやつが受けに来ているのかざ〜っと見渡すと
本当に、このシーンは今でもはっきりと覚えているんですが
「あ、もうこの人たち、絶対に受かるわ」
というただならぬオーラを放つ、どうやら友達同士で受けに来たらしい2人組が眼につきました
それが江崎(ハヤブサ)さんと本田(雁之助)さんでした
江崎さんは、茶色の革ジャンにゴールドジムの蛍光イエローのショートスパッツ姿で
他の誰よりも背が高くて肩幅も広くて、脚も長いので
もうその時点でスターのオーラを放っていたかのような、とにかく断トツで目立っていましたね
本田さんはすでに身体が出来ていた上に、あの面構えなので
もうデビューして5年くらい経って、子供も2人いるかのような佇まいでしたから
で、お二人は私の思った通り一発で合格して、即入寮され
私は補欠の練習生として、巡業のないときに道場に通うようにと言われました
で、道場に通い続けて4ヶ月後の7月の頭に入寮を許され、正式な練習生となりましたが
最初は6〜7人いた補欠も、結局入寮出来たのは中川(GOEMON)さんと私の2人だけでした
(その6〜7人の中には、現在芸人としてご活躍中の鉄拳さんもいましたね)
↓↓↓
ということなので江崎さんは、私がこの業界に入ったときのすぐ上の先輩になります
結局、私は9月の頭には辞めてしまったので、2ヶ月ちょっとしか道場にいませんでしたが・・・
その後、紆余曲折を経て私は前説要員として、江崎さんのライブに参加させていただくことになりました
江崎さんは最初から温かく迎え入れてくださいましたが、正直自分はFMWを辞めるとき
そこそこ生意気な辞め方をしているので、そのうしろめたさをなんとか払拭しようと
あの伝説の肛門爆破を勝手に行い、その写メを江崎さんに送らせていただいたところ
「合格(笑)!」との返信をいただけたのは、今でも大切な思い出です
↓↓↓
※周囲の安全を確保の上行っておりますが、絶対に真似しないでください
肛門周辺がマタンゴのようになります
明日のメモリアルマッチで組ませていただく市原さんは、当時寮長をされていて
自分が辞めたいと相談したとき、ちゃんと話を聞いて引き留めてくださった優しい先輩でした
一緒に生活させていただいた2ヶ月の間も、なにか嫌なことをされたとか言われたというような事も、一回もなかったですね
リッキーさんは、当時すでにメインクラスの選手だったので完全に雲の上の存在でしたが
後楽園ホールの南側の中段の通路で、初めて自己紹介をさせていただいたとき
他の先輩方の誰よりも、優しく気さくに接してくださいました
同期の中川さんは練習でも雑用でもなんでもそつなくこなされますし、場の空気も汚さない練習生の鏡のような方でした
吾作さんは私が辞めてからデビューされた方なので、特に接点はないのですが
自分があのとき辞めずにいたら、大型の吾作さんに何回もブッ飛ばされていたんでしょうねぇ
というわけで、こんな自分ですが
FMWのファンの皆様、どうかよろしくお願いいたします