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アマポーラの後、ジュリーがなんで休んだかっていったら、やっぱりCO-CoLOっていう存在が全てじゃないですか。
自分が納得出来る音楽をやれれば、売れる売れないは関係ないっていう心意気。
当時のジュリーも「CO-CoLOっていうバックバンドを従えて活動してるんじゃなく、CO-CoLOのリードボーカルとしてやってます」って言ってましたもんね。
まぁ、そんなことはゴローさんには言わずもがなですけど。
CO-CoLOとして活動したのは、沢田研二のキャリアからしたら、ほんの3年くらいの短い期間でしたけど、当時中学一年になった自分が、カルチャーショックを受けるほどの「音」でしたからね。
普通、当時の中学一年の童貞野郎が、「アリフ・ライラ・ウィ・ライラ」とか「無宿」とか理解出来ないっすよ。
だけど、おれはハマったんですよ!
なぜなら、そこに「信念」があったから。
もう、あんなスーパースターは出てこないよなぁ。
どんなにキムタクが芝居が出来ても、「捨てぜりふ」とか「夢を語れる相手がいれば」は歌えない。
歌も歌えて、芝居も出来て、コントで志村けんと共演出来る。
沢田研二に不可能はない!
ねぇ、ゴローさん。