振り返ったら、こんなおれでも二回はあったかなぁ



最初の岐路は、中学入学のとき



それまで小学校でやってたブラスバンド(アルトサックス)を続けずに



文化部系ではなくバレーボール部に入ったんだけど



あのままアルトサックスを続けていたら、ど〜なっていたかなぁ



おれが文化部?



いやいや



遊びたい盛りの年頃のときの2年8ヶ月間



いわゆる3K系の肉体労働のバイトで金貯めてメキシコまで行ってプロレスラーになっちゃうくらいだから、ハマれば一直線だよ



もちろん結果はどっかの音大卒でさ



なにかしらの音楽関係の仕事で飯を食ってることだろう



酒は呑んでもワインのみ



冷蔵庫にはいつでも世界各国のチーズがあって



普段食べる野菜は、ズッキーニとかラディッシュとかアーティチョークとかいう横文字野菜が大半で



たまにプロレス好きの人に会ったら



「え!ブッチャーってまだやってるんですか!?」



と、驚愕し



奥さんは、同じ音大に通ってた同級生で専業主婦ときたもんだ



「あなた〜、今度の引っ越し先で、空いてる時間でピアノ教室やりたいんだけど」



「うん、それい〜アイディアだね」



って、おい!



これ書いてるときも隣のピアノがうるさいからって、ノリツッコミが自虐的過ぎるだろ!!



話は変わりまして〜



2回目の岐路は、21歳のときに知り合いにアムウェイに誘われた、あの日



19歳で某プロレス団体に入ったものの、3ヶ月で逃げ出してさ



それでも「いつかはプロレスラーになってやる!」と、かっこつけて息巻いてはいつつも



ただただダラダラと過ごしていたときに



同い年の元バイト仲間に声をかけられましてね



「辞めちゃったんだって〜?それは残念だけどもし暇なら久しぶりに会わない?」



そんな感じで誘われて(も〜完全なカモだよ、カモ!)



ただ飯食うくらいの感覚で待ち合わせたら



あれよあれよという間に



アムウェイ関係者に囲まれましてね



逃げ出すことも出来ずに3時間



そしてそのグループのリーダー的な立場のおじさんに、こう言われましたとさ



「プロレス辞めちゃったんだって〜、わっかるな〜その気持ちぃ」







それも、ありったけのにやけ顔で



てか



あんたと会ってまだ2〜3時間なんですけど



それもただ一方的にアムウェイのシステムの話をされただけなのに、おれのなにをわかるっつ〜んですかね?



と・・・



ま、実際は



「てめぇ、この野郎!」



くらいの勢いで、心の中でつぶやいてたけどね



お互いの生き方が合わなさ過ぎたから、おれがそこでアムウェイを選択することはなかったけど



この一言が「絶対にプロレスラーになってやる!」っていう原動力になるとはねぇ



この後メキシコに渡るまで5年かかるんだけど



ま〜、なんつ〜か



アムウェイって色んな意味で夢が叶うよねってことで



マジで感謝してますよ



あのときの上から目線がなければ、今頃自宅がピアノ教室で隣のプロレスラーに迷惑をかけてたらと思うとって、おい!!!



も〜なにがなんだか



おあとがよろしかったら幸いです



※写真と本文は一切がっさい関係ありません

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