格闘技コラムメディア『STAND』のコラムがSPORAでも読める! STAND代表・シンジニシムラが日米を中心とした世界の格闘技シーンをタイムリーに斬っていきます!
“猪木がWWE殿堂入り”のニュースで俄然注目されることになる“殿堂”について考えてみたい。


アメリカにはとにかく“殿堂”が多い。
スポーツ、音楽、映画、文化など、各ジャンルの歴史を重宝し、重要人物を称え、ジャンルが過去〜現在〜未来へと繋がり栄えることを意識づける役目を果たしている。


ミュージシャンやアクターならばハリウッドのストリートに手形プレートをはめてもらいたいだろうし、WWEでは表彰されることで伝説のスーパースターの地位を獲得することになる。


ジャンルの象徴となる特別なセレモニーによってそのジャンルの格式が上がる効果は確実にあると思う。
ならば日本でも、もっとこの“殿堂=ホール・オブ・フェイム”を活用したらよいのではないか。


特にプロレス・格闘技界は結果的にアメリカに遅れをとってしまっている。UFCでもホール・オブ・フェイマーが誕生している。
ならばUFCと同じ年にスタートしているK-1だってできるのではないか。歴史もあり、スター選手も多く、認知もある。条件は整っている。
日本発世界の殿堂作りをK-1で!ということで私なりに殿堂入りメンバーを選出してみたい。


K-1の創成期は、それはそれは刺激的だった。
グランプリがあり、リベンジが生まれ、異種格闘技が参入し、全国都市部に大会が広がり、世界に攻めていった。


初期K-1を彩った個性的なメンツは皆、殿堂入りに値するが、中でも最優先したいのが以下だ。これには現役ファイターも含まれる。


アンディ・フグ
佐竹雅昭
アーネスト・ホースト
ブランコ・シカティック
ピーター・アーツ
マイク・ベルナルド
スタン・ザ・マン
ジェロム・レバンナ
サム・グレコ
フランシスコ・フィリオ
モーリス・スミス


まだまだ勢いで書き続けられるとこれだが、自分にストップ。
これだけのそうそうたるメンツがオフィシャルに功績を称えられ、今後のK-1の発展にも寄与していく存在となれば、世代を越えたK-1文化創りになるはずだ。


グランプリ王者経験者や人気と実績で牽引した者も挙げられる。


ミルコ・クロコップ
マーク・ハント
レミー・ボンヤスキー
セーム・シュルト


しかしまだ彼らをレジェンド扱いするのは早いだろう。
ヘビー級だけではない。初期の中量級、現在のMAXも当然ながら含まれる。


魔裟斗
金泰泳
チャンプア・ゲッソンリット


などなど、枚挙に暇がない。
K-1と総合格闘技をまたいで活躍した例も多く、プロモーション単位で考えればもっと多くのファイターが挙げられるが、ここはあえて、“立ち技打撃系格闘技”として特化することをお勧めしたい。ワールドワイド向けのブランディングにもそのほうがベターであろう。


どこかの土地に殿堂施設を設け、いつでも来館可能にし、ミニイベントも随時行う。
そして年間の天王山・ワールドグランプリ決勝の前日にホール・オブ・フェイムのスペシャルイベントをファン参加型で盛大に開催する。
その場がK-1の全ての重みと特別さを感じ取ることができる貴重な機会となればこの上ない。こんなイベントがあればワクワクしない?


プロファイターはもちれんのこと、アマチュア競技層にとっても目指すべき名誉が生まれる。
そして何よりK-1そのものの価値が明確化する。
ファイターだけでなく、プロモーターサイドの殿堂入りもありだ。石井館長や谷川代表など。


あの頃のK-1をもっと大事に扱えば夢の可能性も膨らむはず。
WWEに、アメリカに、負けるな日本!
そんな思いを心の奥底にしまっているファンは多いはずである。
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K-1 WORLD GP 2009 FINAL
2009/12/5@横浜アリーナ



シュルトV4・・・この現状をどう読むべきか。K-1WGPシリーズの片寄った現実が如実に浮かび上がる。それでも日本の世間にとってはK-1イコール格闘技、と見る向きはいまだ圧倒的。いい意味でK-1が格闘技普及、啓蒙の象徴的存在としてこれからも存在し続けない限り、日本での格闘技そのものの未来が危ういと言っても過言ではない。師走の風物詩として定着したWGP決勝大会も、後発の大晦日イベントの台頭により、格闘技業界でのインパクトが薄れてしまったことは否めない。しかし格闘技界にとってK-1は“テレビ格闘技”のプロモーション隊長として、なくてはならないブランドである。K-1WGPはどうあるべきか、あくまでも格闘技業界の未来のために論じていきたい。


今年で17回を数えたK-1WGPの歴史において、“連覇”“複数回優勝”は珍しくないどころか圧倒的な実績となっている。アーツ、ホースト、ボンヤスキー、シュルトの4人合わせて14回。すべてオランダ人。日本企画のシステムと共に日本をメイン舞台に開催されているK-1はまるで“日蘭友好促進大会”になってしまっている。
ベスト8もほとんどがヨーロピアン。空手やキックボクシングの競技発展の歴史を鑑みれば、立ち技打撃系格闘技先進国が上位を占めるのは当然の結果ではあるが、ワールドのグランプリ感に欠けてしまっていると思うのは私だけだろうか。


ワールドのグランプリから遂に日本人が完全に姿を消してしまった。MMA隆盛国のアメリカですらどこにもいない。韓国の巨人も、ハワイの巨体もいない。
そういえば、アメリカはラスベガスでの大会はなくなり、日本の開催回数は減っていた。一方でヨーロッパ諸国を中心に予選大会は行われている模様ではあるが、残念ながら日本のファンがリアルタイムで追うことができていないのが実態である。


オランダを筆頭としたヨーロッパ諸国がK-1のリーディングカントリーであることはこの先も変わらないだろう。ただし、優勝するメンツ、トーナメントに顔を連ねるトップクラスのファイターはどんどん新陳代謝していかねばならない。
4人で14回優勝という現実から、彼らの強さが突出していると見るべきか、 実は競技人口が少なくマンネリに陥っていると見るべきか。
17年の歴史はあっても中身の進化はスローでバリエーションに乏しいと思われても仕方はあるまい。


一体全体、K-1はどれだけ世界認知が広がっているのか。どれだけK-1の舞台を目指す競技人口がいるのか。その実態が正確に伝わっているかいないかでK-1そのものへの信用度は大きく変わってくる。
グランプリへの選考基準、エントリー過程などシステムの詳細を明確化することも必要である。


そういう部分を追及していくとK-1WGPの価値が脆くも崩壊しかねない。
そりゃそうだ。“主催者推薦枠”“ファン投票”“敗者復活”など、一般的スポーツ競技常識では考えられない独自ルールが乱用され続けてきた。


とどのつまりは、K-1は競技ではなくイベントなのだ。だから名前とキャラクターあるメンツが揃えばイベントは成立する。その場に応じた特策も主催者判断で通用してしまう。
しかしこんなK-1を喜んで受け入れてきたのは我々ファンである。ファンのニーズなくして現在に至るまでK-1は存続しなかった。でもそろそろファンは気付き始めている。決勝大会の舞台が東京ドームから横浜アリーナに移った。会場に足を運ばせる求心力が弱まった故の規模縮小であることは明らかだ。


K-1がなすべき改革は2つのいずれかだ。


・石井元館長が提唱した競技化、世界機構化『FIKA(仮)』

・徹底したイベント化路線で“他流試合”の強化


今から本格的に競技化を進めるとなると、よほどの根気と時間が必要となる。それでも正道空手を広めてきたように、長い目で着実に世界規模での競技人口普及を目指していけば、実は下地はできているのでそれほど年月を要さないかもしれない。


もしくは競技云々の発想はかなぐり捨てて、『K-1』創始当初のコンセプト“他流試合”をもっともっと組み、K-1の名とルールの元で夢のカードをこれでもかっというくらいに実現していく。
今やMMAが世界規模で急速に拡大しているが、かつては旬なMMAファイターをK-1がタイムリーに招聘してきた。今回はバダ・ハリvsアリスターが際立った興味を生み出していたのが顕著な例だ。MAXでも魔裟斗vr川尻が尋常なき熱をもって歓迎された。
問題はMMAファイターにとってK-1ルールで闘うことのメリットを持ってもらえるのか。負けてもともとというチャレンジに留まらない価値を付けるにはギャラで釣るのが最善策だが、ギャラが高騰していくのは真の格闘技メジャー化に必要不可欠な要素である。
より多くの人々が注目し、メディアでより大きく取り上げられ、格闘技そのものに使われるお金が集まれば、さらに特定のファイターにニーズが集中していけば、それ相当の対価をファイター個人が受け取るのは当然だ。そんなファイターに憧れて、格闘技を志す者が増え、格闘技が競技として成熟していくのが理想の発展経過ではないか。


上記の二案を比べれば、後者が現実的な近道だろう。
ならば、打倒シュルトにヒョードルをブッキングできないか。K-1対MMAの全面対抗戦を企画できないか。
大晦日にシュルトにMMAをさせるよりも、あくまでもK-1が主体となる企画を推進していくことがK-1ブランドを守り発展させることになるはずだ。


シュルトのV5を阻止するのはビッグネームのMMAファイターであれ。
そのくらい開き直ったK-1になれば、世界規模でのファン獲得は見えてくるはずだ。
あの頃のK-1リバイバル。それが答えだ。
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