私は、ご飯を食べても余り太らない体質だった。プエルトリコでは、ご飯五杯、ちゃんこ三杯の後に、ご飯三杯、ちゃんこ三杯を食べていた。それでも太らなかった私は、そのあと寝る前に、バナナを三本食べてから寝ていました。それで少しは、太ったのですが、まだまだ足りません。そこで、ご飯とご飯の間にピザを食べることにしたんです。しかし私は、しらない土地を一人で歩けるほど器の大きな人間ではありません。そこで、初めてできた後輩モッコリー大佐に白羽の矢がたったわけで。半ば無理やりアミーゴの横にあるピザ屋に行き、一緒にピザを食べて、コーラを片手に将来の夢を語り合ったものです。そんなモッコリーのお母さんは、ディズニーランド好きで、なんと名古屋に住んでいるにもかかわらず、何度も何度も通っているようで、私もディズニーランド好きなので、話は、色々な方向に向き、アッとゆうまに、ご飯の時間なっていました。ただモッコリーは、感情の起伏が激しく、すぐに嫌な顔をしたのです。例えば、ピザにキノコが入っていた時。最悪でしたね。キノコを食べられないモッコリー。コーラしか飲まねえんだもん。

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皆さん、知ってるか知らないかしらないけど、私は、あまり地方には行かない。今回は、サイコが怪我をしたために駆り出された。しかし、何回乗っても飛行機にはなれません。怖くて仕方がない。一緒に乗っていた、三郎とハイジャックにあった時のシュミレーションをしながらなんとか博多に到着。そのままスターレーンに直行。まだDDTが始まるぐらいで時間があったので、スターレーンの中を探索しました。そして、脱衣麻雀を致しました。そこから、ウォーミングアップをして、着替えて。興行が終わって、ホテルに行って、中洲にイッて、と考えていたんですが。興行の後の片付けやら何やらでバタバタ。中洲に付いたのは、もう十二時前。しょうがないから、居酒屋でご飯だけ食べて帰りました。そのあとまだ食べ足りない、Mr.Xとご飯を食べて、風呂に入って、床に就こうとした瞬間。テレビを見たんですけど。ペイチャンネルが、ただで見れたので悔しいので、ずっと見てやりました。羽田について、帰りに落とし穴がありました。有楽町で立ち寄ったゲーセンで鞄を忘れたことに気付き、すぐに取りに行きました。店員さんに、「この脱衣麻雀のところに、鞄ありませんでした?」

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七色のキーロック使いと呼ばれ、第一回K‐メタルリーグにも出場して、突然姿を消した男。松本ダイスケこと、モッコリー大佐。モッコリーは、プエルトリコの空港から一人でタクシーに乗ってやってきたすごい男だ。何故モッコリーと呼ばれているのかを今から説明する。シャワーからパンツ一丁で出て来たときに、股間がエラくモッコリしていたからだ。そう、少し大きめのナスビでも入っているかの様だった。モッコリーは、ボクサーパンツをはいているんだけど、たぶんトランクスだと裾から亀頭がこんにちはしちゃうからはけないんだろう。モッコリーは、一度もちんこを見せてくれなかった。物凄くいやがったのです。シャワー中こっそり覗こうとしても絶対に見させてはくれなかった。そんな、モッコリーと、私のプエルトリコでの思い出と、千葉での思い出をこれから思い出しながら少しづつ紹介していきたいと思う。

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彼の良い所は、いまだに見つかっていません。たぶん、いばらき君は、マイナスイオンが出てるんではないでしょうか?とても癒し系とは言えませんが。もしかしたら、声の高さに秘密があるのかもしれません。聞き取りづらいですが。それとも、動きに何かあるのかもしれません。たまにイラッとしますが。私は、彼を、コリアンもしくは、コリアンボーイと呼びます。別に彼は、韓国人でも、ヨン様でもありません。ましてや、チャン・ドンゴンでもありません。生粋の茨城県民です。初めて、彼を見てからずっとコリアンでした。いまだに浸透はしてませんけど。たぶん、ご両親に呼ばれた、本名の次に、コリアンと呼ばれていると思います。何故なら、私は、用事がなくても、ずっと呼んでいますから。前に、金南石という韓国人が、うちにいたときも、コリアンと呼んでいて、韓国人の方を、戸惑わせてしまった事もありました。コリアンは、私のピザ仲間の松本ダイスケこと、モッコリーと仲良しだ。もしかしたら、私は焼きもちを焼いているだけなのかもしれない。次は、元K‐DOJOの選手松本ダイスケこと、モッコリー大佐の事に触れてみたいと思う。

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便所三郎は、株の才能があったようで、連日、連勝百万円あった元手が既に壱億円までふくれあがっていました。毎日、接客とデイトレードの繰り返し。便所三郎の愛に溢れる接客と、会計はホスト持ちという事もあり、便所三郎は、半年でNo.1ホストになっていました。けれども、いくらタフな便所三郎であっても、体力の限界はくる。頑張れば頑張るだけ、便所三郎の体力を奪う。そこでへこたれないのが便所三郎なのです。くる日もくる日も、ハードワークを続け便所三郎は、ついに倒れてしまいました。病院の一室には、毎日お見舞いの行列ができていました。そう、今まで、便所三郎の愛に助けられたホストクラブのお客さんや、道を踏み外しそうになった時便所三郎に助けられたこえだめ一家の仲間や、便所三郎派のホスト達が毎日、毎日お見舞いに来ていたのです。その時、気付いたのです。自分は人の為に今まで生きてきたつもりだったけど、こんなにも自分の為になっていたのか。その日以来、便所三郎は、クラブ愛から、忽然と姿を消してしまったのです。

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