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叶わぬ想い・・・もしかしたらUWFが観たかったのかもしれない

Dynamite!! 〜勇気のチカラ 2008〜
2008/12/31 @さいたまスーパーアリーナ



つくづく格闘技とはときに非情な結末を産み落とすものだと痛感した。これまでも幾度となく願望に反した現実に打ちひしがれてきた。こればかりは仕方ないと分かりきっているつもりでも、格闘技に、選手に思い入れを持つ以上、毎度リングに夢を託して没入するのがファンの性。当然ながら大晦日にも自分勝手な贔屓心を多くの選手に預けてきた。しかし全てがうまく流れるわけではなかった。特にメインはやり場のない切なさに打ちひしがれた。

PRIDE時代に話が沸いてから待つこと5年、遂に実現した田村vs桜庭に求めていたものは何だったのか。おそらくそれは生ぬるい理想だったのだろう。

12年前にUインターの第一試合で立て続けに三度相いまみえた両雄は、純プロレスの枠に寄ってしまったUインターの“良心”を二人占めするかのようにスイングしたUWFスタイルを体現してみせた。
それから時は過ぎ、リアルファイトの時代になり、開花した桜庭の相手として持ち上がったのが田村だった。

田村がUインターを離れ、リングスに移籍し、リングスを抜け、PRIDEにやって来ていなければ、企画される必然のないマッチメイクだったのかもしれない。
たしかに桜庭はPRIDEで、田村はリングスで“グレイシー”を相手に結果を残してきた。
しかし、2003年に両者の一騎討ちプランが上がるまでは“元Uインター”というフィルターを通しても桜庭と田村との絡みはそれほど期待されてはいなかった。

PRIDEが撒いた桜庭vs田村という種が発芽し実がなるまでに要した月日は5年。
もし5年前に実現していたら・・・そんな問いに田村は不快感を露にし口をつぐんだ。
しかし今回ようやく両者が交わった15分間を見て、私なりの意見はある。
もし5年前でも同じ展開になったのではないか。

目まぐるしく攻守入れ替わるUWFスタイルの最高形の現代版再現を望んでいた者が大多数だろう。
オープンフィンガーグローブを着け、グラウンド顔面パンチがルールで認められていても、きっとあの頃のシーンが進化して再現されるはず。そう信じてしまったのがそもそもの誤りだった。

“回転体”と呼ばれた両者のスイングは皆無。
グラウンド顔面パンチを悲観していた田村がパウンドや鉄槌を桜庭の顔面に落とす。
桜庭は下になりっぱなし。でも、ここからあの劇的なサブミッションが瞬時の逆転ムーブとして繰り出されるのではと願いつつ、残り時間が減るにつれて焦りが諦めに占められていった。

試合後、今回の12年ぶりの再会の展開内容について桜庭は、
「田村さんがああいう闘い方だったから」
と半笑いで語ったが、桜庭が展開を変えられなかったことも事実だ。
わかってはいたが、UWFとMMAは非なるものなり。UWFマスターの田村と桜庭でさえMMAの中でUWFを創ることができなかったのだから、そう認めざるを得ない。今さら何を言っているんだという声を多くいただいてしまいそうだが、田村と桜庭にそんな理想を託してしまっていたのだから仕方ない。

もう一度チャンスがあるならば・・・大晦日のメインである必要はないし、桜庭本人は嫌がるかもしれないが、本当に最後の“U”のケジメが観たい。

田村潔司vs桜庭和志
UWFルールの真剣勝負

きっとあの頃の桜庭が田村が、年輪と円熟を重ねた二人が、最後にして最高の“U”を刻んでくれるはず。

大晦日の切なさをいつか叶う夢のために引きずっていく。
“U”が時代に残してくれたものは何よりも重くかけがえのないものである。
そんな“U”をあれで終わらせてはならない。
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