格闘技コラムメディア『STAND』のコラムがSPORAでも読める! STAND代表・シンジニシムラが日米を中心とした世界の格闘技シーンをタイムリーに斬っていきます!
DREAM.11
2009/10/6@横浜アリーナ



日本のメジャーMMAプロモーションが揃って実施した2009年のメイン企画・フェザー級グランプリが遂にファイナルを迎えた。“じみつよ”な日本人色が強かった戦極に対して、TBS系列全国ネット中継向けに分かりやすいキャラクター演出で味付けされたDREAM。国際色の豊かさに勝ったDREAMは、ブラジル人王者の誕生で今後ワールドワイドでの混戦模様を伺わせてくれた。

“大本命”KID脱落のハプニングによりファイナルステージに進んだ日本人二名、高谷と所は王者を追うコンテンダーグループとしてKIDと肩を並べたと言ってよいだろう(所は敗者復活ではあったが人気面のバリューも加味して)。
その中でランキングを作るならば、所をパワフルなパウンドでねじ伏せた高谷がKIDと並ぶ日本代表のツートップとなろう。


高谷は今回のグランプリで最も名を上げた。軽量級でありながら一人打撃を武器にKOを積み重ねて決勝まで勝ち進んでみせた。
シビアな日本人対決をも力で乗り越えてみせた。テイクダウンに苦しんだ前田戦はワンパンチで大逆転、フラッシュダウンを二度も喫した所戦は仕返しとばかりに打撃の違いを思いしらせた。
目の前の獲物を捕らえて離さず詰め寄るプレッシャー。随所にみせる舌なめずりが高谷の野性味を際立たせていた。


KIDに土をつけたことで一躍注目の人となり、MMAキャリアは浅いものの優勝候補の呼び声をも集めたジョー・ウォーレンを、まるで総合格闘技黎明期にタイムスリップさせたかのような下からのアームバーで電光石火フィニッシュしたビビアーノも野性的コンプリートファイターに進化していた。
KID戦で見せた機敏さと瞬間極めモーションに加え、高谷と真っ向から勝負できる打撃が加わったのだから手がつけられない。


誰が予想できたかこの組み合わせ、高谷とビビアーノによる決勝戦はスプリットの接戦になったが、打撃一本の高谷よりも多彩な攻め手を繰り出したビビアーノが支持された。


でもこの結果で良かったと思う。
もし日本人がグランプリを制しベルトを獲得していたら、KIDと闘わずして“ヒエラルキー”が変わってしまうことになる。
しかし日本がトップとはならなかった。ならば、これまでKIDがフェザー級の“絶対君主”としてプロモーションの顔となってきたが、日本人ではなく外国人が実の頂点を極めたことで、KIDは頂きを目指すために日本人同士の競争を強いられることになる。
DREAMでまだ実現していないKID対日本が開戦する。本当はファンが観たかったのはこれだ。


かつてKIDに大接戦の末僅差判定で敗れているものの、ビビアーノが王者となったことでKIDとの再戦も必然となろう。
だがその前にKIDがやるべきことは王座挑戦権を掴むための日本人ナンバーワン決定戦へのエントリーである。


ならば、まず真っ先に実現すべきカードはKIDvs高谷だ。
マッチメイクの“色”は絶妙であり、DREAMのフェザー級日本人メンバーを見渡せば“KID対戦権”を与えて然るべき存在は準優勝の高谷が筆頭である。


早ければ大晦日から、少なくとも2010年のDREAMフェザー級戦線は本当に待ち望んでいたKID絡みのカードが実現していかねばならない。


ベルトの価値かKIDの価値か、この二つが混沌として絡めば絡むほど、DREAMフェザー級は面白くなっていく。
フェザー級黄金期の到来にときめく準備をしておこう。
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DREAM.12
2009/10/25@大阪城ホール



MMAがいちスポーツジャンルとして差別化されるためにアメリカでは多角形の金網に囲まれた“ケージ”が舞台として定着している。これはボクシングやプロレスとの違いをまず初めのビジュアルで示している。このケージがいよいよグローバルスタンダードになる時が来たということか、もはや日本は日本と独自スタイルに拘りすぎていると世界に取り残されてしまうことは明らかだ。

そこでDREAMなりのケージはいかなるものになるのか。
これは実に新鮮だった。アメリカでは揃えたように黒が基調になっているが、日本のメジャーが選んだのは正反対の白。これは通常使用しているリングと同カラーであり、オリジナリティーを表現できていた。
ケージの角数は6。UFCが登録商標を押さえているという八角形のオクタゴンとの違いともなり、業務提携を結んだストライクフォースと同じ仕様で協同路線も活性化することだろう。
さらにディテールの違いもあり、一見同じ金網だが素材が違うという。この細かさが日本らしいではないか。


中継では“WHITE CAGE”と紹介された白いヘキサゴンは、PRIDE崩壊後に実はいまだに心にこびりついているモヤモヤ感に風穴を開けてくれた気がする。
総合格闘技はもはやMMAなのだ。日本が業界の最高峰ではなくなった今、しかし世界有数のMMA人気エリアである以上、思い切ってリングを捨てる勇気は必要だし、やってしまった以上は今が絶好のタイミングである。


リングの方が観やすい、ケージの方が観づらい。そりゃそうだ。しかしこれは慣れというもの。テレビで流す分にはカメラワークが観づらさを解決してくれるし、ライブ会場ならばスタンド席のレイアウトよい会場を選び、中継と同じくカメラによるスクリーン演出でフォローすればよい。


金網だと野蛮に映り地上波テレビが嫌がるという。本当にそうならば事実上テレビ局の保有コンテンツとなっている以上プロモーションの存続に関わる死活問題となるため慎重にならざるをえない。
しかしMMAの舞台として金網多角形がグローバルスタンダードであるならば、最先端の情報を伝える役割を持つメディアとして、地上波テレビ局が拒否することはないのではないだろうか。


世界の流れに乗るという選択肢の一方で、日本は日本の独自価値観で行くという選択肢もある。
特にエンタメの世界では日本は独自マーケット。世界でヒットしたものが日本でもウケるとは限らない。映画にしろ音楽にしろ、昨今は和製ものが海外ものを凌駕しているという現実が証明している。
日本ではMMAは総合格闘技、戦場はリング。そう貫いても何の問題もない。MMAにも総合格闘技にも世界統一機構などなく、各プロモーションが各自のルールを設ければいいのだから。


でも明らかに理にかなっているのはケージだ。試合が途中で中断される“ストップドントムーブ”に日本のファンは慣れてしまったが、外国人が観たら「なんだあのルールは?ありえないだろ?」と思う。実際に私の身近でも同様の意見が海を渡って届いてきている。ロープの隙間から落ちてしまう、ロープが攻防の邪魔をしてしまう、そのような恐れと背中合わせの試合舞台はあるべきではない。
多角形ケージより優れた新たな舞台を開発できるのなら別だが、ケージが流通した今では日本も流れに乗ってしまうべきである。


ヘキサゴンのケージが受け入れられるために分かりやすいプロモーション案がある。
DREAMにとっては主催テレビ局・TBSではない他局の番組だが、日本で“ヘキサゴン”といえば、もれなくフジテレビの『クイズ! ヘキサゴンⅡ』である。
六角形のマットにぴたりとハマる『ヘキサゴン』のロゴマーク。
ヘキサゴンファミリータレントたちがケージで闘うわけはなく、せめてこのケージを使って番組収録なんてできないものか。
世間のファミリー層に対してケージというものの啓蒙ができ、認知が広がればオフィシャルの戦場としてテレビ局側がGOサインを出し導入できよう。


なんて実現性の薄い提案をしてみたが、私はいたって大真面目。
つまりは日本の総合格闘技はMMAとして、世界規準のものになってもらいたいのだ。
日本の舞台がケージとなり、最先端を行くアメリカとリンクすれば、日本にも有望なファイターたちが再び、もっと目を向けるようになっていくはず。


今こそ日本格闘技界変革の大チャンス。
今回新規製作したケージをスタンダードとし、2010年からルールも今回同様の5分3ラウンドとし、世界と繋がる新しいジャパニーズMMAを創っていってほしい。


“白いヘキサゴン”。日本発世界。日本格闘技の未来のためにも、今からやるしかない。
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日本ではWOWOWでしかテレビ視聴ができず、日本語版DVDとしてセルもレンタルもされていないので、おそらく一般世間には全くと言っていいほど浸透していないUFCだが、格闘技ファンであるならば何がなんでも見て知っておかねばならないことは何度も書いてきた。日本では身近なDREAMや戦極に真っ先に目が行くことは仕方ないが、知らぬところで果しない進化を遂げてなお急加速中のUFCにキャッチアップしない限り真のMMAの姿は見えてこない。日本で認知されていなくともUFCを目指すごく限られた日本のファイターがいることをもっと強く意識するときがきた。

秋山成勲とヴァンダレイ・シウバの対戦が発表された。
秋山はUFCでまだ一戦、ヴァンダレイは黒星が先行している状況で、本場アメリカではアメリカンでなくタイトル争いに距離がある両者の対戦にどれだけ注目が集まるかは微妙なところだが、このマッチメイクこそ日本市場を意識したものであることは明白だ。


日本のPRIDEでブレークし、王者に君臨し、絶大なる人気を博したヴァンダレイ。地上波テレビCMにもキャスティングされた。
ヴァンダレイのアグレッシブなファイトスタイル、KOで決める勝ちっぷり、階級を越えた闘いに挑む勇気。日本のリングでヴァンダレイが残してきた数々のファイトはPRIDEの象徴として日本のファンの心に刻まれている。
現在のUFCでの不振ぶりは日本のファンにとっては悲しさを覚える一方で、目の前で起こった出来事ではないので実感も沸かないというのが正直なところではないか。


一方、そんなヴァンダレイの好敵手・桜庭の新たなライバルとなるはずだったのに、事もあろうか格闘技史に残る悪しき反則を犯し日本での地位を失墜させてしまった秋山だが、UFCを新天地としたことは正しい選択だ。
秋山が強いこと、世界に対抗しうる数少ない日本人ファイターであることは格闘技ファンの誰しもが内心本音で思っているだろう。しかし、日本国内大会に出場する限り憎しみのブーイングは避けられない。さらに秋山の実力に見合った対戦相手選びもままならない。
ならば事実上の最高峰に行って世界の未知の壁に挑むことで、いい形のリセットになる。世界クラスでの実力査定になる。何より勝てば称賛される。力で過去を払拭し未来を創る。
秋山へのアレルギーは拭えなくても、いちファイターとしては注目せざるを得ない。なんだかテレビゲームのいちキャラのような存在に思えてきた。


秋山vsヴァンダレイは“距離があるけど気持ちは届く”、日本人ファンをそんな心情にさせるマッチメイクである。
ライブで観たいに決まっているがそう簡単に現地に行けるわけがない、だからテレビで観るしかない・・・ワールドカップやオリンピックと似た感情と言ったら言い過ぎだろうか。


UFCで非アメリカン対決が今後より多く組まれていくならば、UFCがMMAのワールドカップやオリンピックとなる最短距離にいることになる。かつてのPRIDEがそうだったように・・・。


手の届かないものに羨望の眼差しを送り、それが自ずと世界最高峰を観ることになる・・・アメリカを本拠地とするスポーツがメジャーと呼ばれているようにMMAは『UFC』が代名詞となるのなら、秋山や岡見、宇野、吉田はイチローや松井と同様の立ち位置となる。


日本人がそこにいなければ国民はまったく興味を示さない日本のマーケットでUFCがビジネスをしていくには日本人ファイターの存在が必須である。
そこで、まだまだ実力未知数の秋山は適材だ。
秋山vsヴァンダレイが日本マーケット開拓のブレークポイントとなるか、UFCの手腕に注目だ。
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 “ニューイヤーイベント”という表現で正式な日の発表はまだお預けだが、遂に石井慧のMMAデビュー戦が決定した。しかもその相手は吉田秀彦。ここ数年ファイト内容に精彩を欠いてしまっていることは否めないが、現役格闘家の中では実績とネームバリューはダントツのトップクラス。
 “新旧五輪金メダリスト対決”として対世間に最も分かりやすい切り札マッチメイクはシビアな世代交代マッチでもあるが、どうもまだハートに火が点かない。

発表記者会見の当日、イチローがメジャー新記録を達成したことで、当日夜、翌朝はイチロー一色。スポーツ一紙だけは石井・吉田戦をトップで報じたが、これは単純にタイミングと運が悪かった。

せっかくのビッグマッチを盛り上げるべく、これからのプロモーションに力を入れていかねばならない。まあそれもどのテレビ局で放送されるかによってくるだろうが。

そもそも、吉田vs石井を観たいかどうか。
普段から格闘技を熱心に追いかけているわけではない一般大衆に対して響かせるカードである。

「あー石井ね、そうなんだ吉田と闘うんだ、観てみたいねー、吉田はトシだけどキャリアあるし、でも石井は若いしメダル取ったばかりだし、投げて勝っちゃうかなー」

なんていう軽いトークを引き起こしやすい、いわば吸引力はあるはずだ。

しかし一方で目の肥えたファンやマニアたちにとってはどうなのか。

決して知らない仲ではない(むしろ十分に親しい)柔道家同士の内輪の対戦に、ガチンコ真剣勝負が持ち合わせてしかるべきの勝負論が感じられるのか。
その点の曇りがどうも踏み込めない一因となっている私の思いはマニアサイドの心情を代弁しているつもりだ。

遡れば、石井がUFCと交渉期間中にダナ・ホワイトが出した「TUFに出演して経験を積んでいく」という提案にノレたマニアは多かったはずだ。
MMAの中心地がアメリカに移ってしまっている以上そこで勝負してナンボという風潮の中、石井のUFCスタートは絶妙に空気を読んだ選択になるはずだったのだが・・・

そりゃたしかに日本のほうがアメリカよりも石井の価値を高く買ってくれるし、ギャラも高いだろうし、注目も集まるし、居心地もよいだろう。
まずはキャリアを積み重ねる環境が整っている日本で慣れた後に満を持して本場へ・・・という青写真を描いていればまだよいが、そのようなステップを踏んでいくかどうかは業界の勢力図次第である。

現在のメジャーリーグやヨーロッパリーグのように明らかにベストな報酬が約束されている舞台を目指すのがアスリートのゴールである。だがそこに辿り着けるのはごく一握りのみ。
石井がメジャーへの道のりを日本からスタートするのか、今後再び日本が格闘技世界最高峰舞台の座を奪い返す時代を石井自ら創るのか。石井がわざわざ海を渡る必要なく、石井が日本復権の原動力になればと日本のプロモーターは願っていることだろう。

アメリカだろうが日本だろうが、石井がワールドクラスの実力を持ち合わせているのなら、積極的に海外選手と対戦させてほしい。
かつて吉田がPRIDEでそうしたように・・・しかしそんな強豪外国人は今やみんなUFCにいる・・・

現在は“事実上”UFCが世界最高峰と見なされているが、プロモーションごとに選手を抱え、興行を打ち、王者を制定している状態ではMMAは真のスポーツ機構とは言えない。ヒョードルもレスナーもプロモーション内のプライベート王者でしかない。
柔道という競技の真の王者になった石井がMMA業界の構造を見透かしているならば、実は闘う舞台にさしたる拘りはないのかもしれない。
今後永遠にMMAが統一機構にならないかもしれないが、せめて石井には“事実上”最強を目指してほしいものだ。

大晦日か1月3日か、まだ決戦日は決まっていないが、世間の目を集めるなら断然大晦日だ。しかしすでに同日は魔裟斗引退のDynamite!!がある。となると大晦日格闘技中継バトル再び、か?
はっきり言って重ねられるのはいい迷惑。両方観たいに決まっているのに、ただでさえ弱体化している格闘技界が狭い世界の中で争ってどうするんだ。これも格闘技界が統一機構ではないプライベートイベントだから起こる事態なのだ。

せめて日本国内では戦極とDREAMが一緒になればいいのに・・・
結局いつもこんな虚しい思いに行き着いてしまうことをどうにかしてもらいたいのである。

肝心の吉田vs石井について最後にひとつ。
かつての千代ノ富士vs花田がダブる。
しかしまだ吉田は千代ノ富士になってほしくない。
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戦極 第九陣
2009/8/2@さいたまスーパーアリーナ



見た目の華はなくても強い者が勝ち栄誉を手にする・・・・・・あくまでも格闘技の本質に根差した人選とマッチメイクを貫き、もう一方との“差別化”が形になりつつある戦極が、真夏の天王山で格闘技観を貫いた。トーナメントシステムの必然たる落とし穴、タイトルマッチのアップセットではない現実、日本人選手の明と暗・・・・・・戦極が残した結果から、日本格闘技界“じみつよ”時代の到来を宣言しよう。

“じみつよ”・・・・・・地味だけど強い。
地味なのは見た目だけでなく闘い方も含まれる。イケメンじゃなくてもいい、派手な技を使わなくたっていい。ルックスは持って生まれたもの、かっこよければラッキー。強さとは必ずしもリンクしない。派手な技は基本技術体得の先にある応用編。まずはイロハを身に付けて初めて試し合いに至り、星を重ねてレベルアップしていくものだ。

ルックスやキャラクター優先の地上波テレビ格闘技バブルの崩壊を経て、世界規模の再編を余儀なくされた格闘技界。総合格闘技という和製名称はいつしかMMAとしてワールドスタンダードになり、アメリカが絶対メジャーな地としてムーブメントを牽引するようになった。
いわゆる4大メジャースポーツと並び称されることは喜ぶべき流れである。そこで格闘技発祥国・日本がどのように自国文化をアレンジしていくべきか、その過程にある日本メジャー舞台の一方を担う戦極はどうなのか。

メインイベントから振り返っていこう。
“じみつよ”を通り越して“キモツヨ”と呼ばれるようになり独自の地位を築き上げた北岡を、下馬評を覆して下してみせた廣田瑞人こそ、“じみつよ”である。
髪に赤と青のラインを入れてはいるものの、決して派手ではないルックスと闘いぶり。でもそれで勝って強さを証明できればいいのだ。

パンチ打撃に自信を込めた廣田は、旧PRIDEルールを継承したグラウンドでのヒザで力の抜けた北岡を追い詰めた。
勝利の瞬間の歓喜表現。コーナーに駆け登り両手を突き上げる。このときこそ、格闘技者が眩しく輝くとき。そして頂点の証であるベルトを腰に巻いたとき。“じみつよ”が誰よりも増してかっこよさを極める。

廣田という地味でも強い人材を大舞台にのし上げた戦極は日本格闘技界底上げ活動の真っ只中なのである。

新設のフェザー級王者が決まる日、企画当初からエースとしてフィーチャーされていた日沖発は見事なまでの“じみつよ”だった。さらに外国人を含めた全エントリー選手が徹底的な“じみつよ”揃い。DREAMの同級とはあまりにも好対象ぶりがかえって気持ちよかった。

ベスト4に残った日沖、サンドロ、小見川、金原・・・・・・うーん、なんて地味なんだ! でもそれでいいのだ。

“じみつよ”は試合の攻防で魅せる。表情ひとつ変えない日沖の怒涛の攻め手のバリエーションに沸きまくる。それを感情丸出しで凌ぐ金原。そう、自然発生的な感情は“じみつよ”が持つ奥の手要素だ。
サンドロと小見川は立ち攻防に終始し地味っぷりを極めたが、判定コールで決勝進出権を得た小見川は感情を爆発させた。ここに、格闘技という過酷なスポーツに挑む人間の心を知ることができる。

ワンデイトーナメントにつきものの大どんでん返し。日沖に圧倒されていた金原が実は日沖の戦闘能力を奪い取っていた。金原、事実上の勝利。これも“じみつよ”だから成せる業か。

一体誰が事前に予想できたか小見川vs金原の決勝戦。地味!あまりにも地味! それが戦極ワールド。それが格闘技。それでいいのだ。

フルラウンドの末、なんと金原が競り勝ち戴冠。この金原はトーナメント全試合をリミットいっぱいに闘い抜いた。誰よりも長く動き多くの汗をかいた。
金原は“じみつよ”王者の鑑と言える。地味だけどとことん強い。時代の顔になってもらいたいものだ。

まだまだ“じみつよ”がいる。
戦極ミドル級日本人トップ対決・三崎vs中村カズ。戦極らしさの象徴的カードの“じみつよ”度に嬉しくなる。

三崎は戦前に罪を犯してしまうという痛いオチを作ってしまっていたからか、まるでアマチュア戦のようにロゴマークひとつない単色スパッツ姿。それでも中村との圧倒的な力の差で激勝し、三崎は貯めに貯めた感情を解放した。

“じみつよ”と感情の振り幅が格闘技のあるべき姿を教えてくれているようだ。
何度も言うが、格闘技者はイケメンだから・・・・・・という入口で語られるべきではない。イケメンでなおかつ強いというのは天が二物を与えた稀なケース。
顔じゃなく、凡人には手が届かないほどに鍛え上げられた美しさと卓越した技術、そして大いなる闘志。それらを全て兼ね備えた“じみつよ”が格闘技者のマジョリティであり、そのベスト選抜をする舞台が戦極なのである。

とことん地味に、とことん強さを追求していきながら、日本でMMAがオリンピック競技と同等に認識されるスポーツになるように・・・・・・競技に根差していけば自ずと“じみつよ”になる。

戦極の“じみつよ”道が伸びた先に格闘技の未来がある。
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