K-1 WORLD GP 2009 FINAL
2009/12/5@横浜アリーナ
シュルトV4・・・この現状をどう読むべきか。K-1WGPシリーズの片寄った現実が如実に浮かび上がる。それでも日本の世間にとってはK-1イコール格闘技、と見る向きはいまだ圧倒的。いい意味でK-1が格闘技普及、啓蒙の象徴的存在としてこれからも存在し続けない限り、日本での格闘技そのものの未来が危ういと言っても過言ではない。師走の風物詩として定着したWGP決勝大会も、後発の大晦日イベントの台頭により、格闘技業界でのインパクトが薄れてしまったことは否めない。しかし格闘技界にとってK-1は“テレビ格闘技”のプロモーション隊長として、なくてはならないブランドである。K-1WGPはどうあるべきか、あくまでも格闘技業界の未来のために論じていきたい。
今年で17回を数えたK-1WGPの歴史において、“連覇”“複数回優勝”は珍しくないどころか圧倒的な実績となっている。アーツ、ホースト、ボンヤスキー、シュルトの4人合わせて14回。すべてオランダ人。日本企画のシステムと共に日本をメイン舞台に開催されているK-1はまるで“日蘭友好促進大会”になってしまっている。
ベスト8もほとんどがヨーロピアン。空手やキックボクシングの競技発展の歴史を鑑みれば、立ち技打撃系格闘技先進国が上位を占めるのは当然の結果ではあるが、ワールドのグランプリ感に欠けてしまっていると思うのは私だけだろうか。
ワールドのグランプリから遂に日本人が完全に姿を消してしまった。MMA隆盛国のアメリカですらどこにもいない。韓国の巨人も、ハワイの巨体もいない。
そういえば、アメリカはラスベガスでの大会はなくなり、日本の開催回数は減っていた。一方でヨーロッパ諸国を中心に予選大会は行われている模様ではあるが、残念ながら日本のファンがリアルタイムで追うことができていないのが実態である。
オランダを筆頭としたヨーロッパ諸国がK-1のリーディングカントリーであることはこの先も変わらないだろう。ただし、優勝するメンツ、トーナメントに顔を連ねるトップクラスのファイターはどんどん新陳代謝していかねばならない。
4人で14回優勝という現実から、彼らの強さが突出していると見るべきか、 実は競技人口が少なくマンネリに陥っていると見るべきか。
17年の歴史はあっても中身の進化はスローでバリエーションに乏しいと思われても仕方はあるまい。
一体全体、K-1はどれだけ世界認知が広がっているのか。どれだけK-1の舞台を目指す競技人口がいるのか。その実態が正確に伝わっているかいないかでK-1そのものへの信用度は大きく変わってくる。
グランプリへの選考基準、エントリー過程などシステムの詳細を明確化することも必要である。
そういう部分を追及していくとK-1WGPの価値が脆くも崩壊しかねない。
そりゃそうだ。“主催者推薦枠”“ファン投票”“敗者復活”など、一般的スポーツ競技常識では考えられない独自ルールが乱用され続けてきた。
とどのつまりは、K-1は競技ではなくイベントなのだ。だから名前とキャラクターあるメンツが揃えばイベントは成立する。その場に応じた特策も主催者判断で通用してしまう。
しかしこんなK-1を喜んで受け入れてきたのは我々ファンである。ファンのニーズなくして現在に至るまでK-1は存続しなかった。でもそろそろファンは気付き始めている。決勝大会の舞台が東京ドームから横浜アリーナに移った。会場に足を運ばせる求心力が弱まった故の規模縮小であることは明らかだ。
K-1がなすべき改革は2つのいずれかだ。
・石井元館長が提唱した競技化、世界機構化『FIKA(仮)』
・徹底したイベント化路線で“他流試合”の強化
今から本格的に競技化を進めるとなると、よほどの根気と時間が必要となる。それでも正道空手を広めてきたように、長い目で着実に世界規模での競技人口普及を目指していけば、実は下地はできているのでそれほど年月を要さないかもしれない。
もしくは競技云々の発想はかなぐり捨てて、『K-1』創始当初のコンセプト“他流試合”をもっともっと組み、K-1の名とルールの元で夢のカードをこれでもかっというくらいに実現していく。
今やMMAが世界規模で急速に拡大しているが、かつては旬なMMAファイターをK-1がタイムリーに招聘してきた。今回はバダ・ハリvsアリスターが際立った興味を生み出していたのが顕著な例だ。MAXでも魔裟斗vr川尻が尋常なき熱をもって歓迎された。
問題はMMAファイターにとってK-1ルールで闘うことのメリットを持ってもらえるのか。負けてもともとというチャレンジに留まらない価値を付けるにはギャラで釣るのが最善策だが、ギャラが高騰していくのは真の格闘技メジャー化に必要不可欠な要素である。
より多くの人々が注目し、メディアでより大きく取り上げられ、格闘技そのものに使われるお金が集まれば、さらに特定のファイターにニーズが集中していけば、それ相当の対価をファイター個人が受け取るのは当然だ。そんなファイターに憧れて、格闘技を志す者が増え、格闘技が競技として成熟していくのが理想の発展経過ではないか。
上記の二案を比べれば、後者が現実的な近道だろう。
ならば、打倒シュルトにヒョードルをブッキングできないか。K-1対MMAの全面対抗戦を企画できないか。
大晦日にシュルトにMMAをさせるよりも、あくまでもK-1が主体となる企画を推進していくことがK-1ブランドを守り発展させることになるはずだ。
シュルトのV5を阻止するのはビッグネームのMMAファイターであれ。
そのくらい開き直ったK-1になれば、世界規模でのファン獲得は見えてくるはずだ。
あの頃のK-1リバイバル。それが答えだ。