こんにちは!大変ご無沙汰しております。ファイターズの調子がここに来て落ちてるのが気になりますが、それについては次回に書きますが、今日はこのコラムにピッタリと言うべき事がありましたので報告します。

それは僕が星野JAPANの代表合宿に手伝いで参加してるということです。
星野監督にはドラゴンズ時代に2年間お世話になったのですが、僕のプロ野球20年間の生活のなかで最も苦しい2年間でした。
理由はまず活躍できなかったからなんですが、それ以前にどうしても行きたくない球団がドラゴンズとカープでした。近鉄の終盤頃にはいつもトレード話があったのですが、当時の編成担当の人にトレードはいいけど、
ドラゴンズとカープだけはやめて下さい、とお願いしていました。
それが97年のシーズン前に電撃トレード。それも金銭で・・・。

実は96年の12月にもトレードが決まり明日発表というところまで行ったのですが、僕が編成担当に「話が違う!勝手に発表してくれ!俺は記者会見行きません!」と電話でしたが怒鳴ってしまいました。その後球団でかなりもめたらしく結局そのトレード話はなくなりました。
後から担当に前代未聞だと言われましたが、それぐらい僕はイヤでした。

その後、球団との話の中で「とにかく今シーズン頑張れ」と言われましたが、
春季キャンプでふくらはぎを肉離れしてしまい2軍落ち。
オープン戦はファームでもあまり出番がなく何となく又トレードがありそうだなという雰囲気でした。
そこで当時の佐々木監督から電話がありオープン戦中の名古屋に呼び出され、ホテルの部屋で通達されました。
ケガでろくにゲームにも出てない身でさすがに反論できませんでした。
大阪に戻り荷物をまとめ二日後には車で名古屋に行きましたが、その道中の寂しさは今でも覚えています。友人からの電話や、車のワイパーに置手紙をしてくれた知人の事を思って泣きながら名古屋に行きました。

でもそんなにイヤだった名古屋でお世話になった星野監督と回り回って今こうして合宿しています。それも日本代表という形で・・・。
この代表合宿に参加できたのも元々はドラゴンズ時代に一緒に遊んでいた後輩が星野監督に進言してくれたからですし、本当に人生は分かりません。
もしあの時再度拒否してれば、後輩にも出会ってないし勿論監督には、2度もドラゴンズを拒否した男という事で相手にされなかったでしょうし、本当に分からないものです。
僕の座右の銘である「塞翁が馬」を僕自身が今、体験しています。
「塞翁が馬」というのは飼っていた馬が逃げた事から始まる中国の故事なんですが、僕の捉え方は「どんな事があっても、どんな状況でも頑張りなさい」です。
今こうして日本代表の一員として野球できる事を光栄に思い、少しでも力になれるよう頑張ります。
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