http://blog.livedoor.jp/gaea_sakura/54380e7a.jpg" width="132" height="176" border="0" alt="54380e7a.jpg" hspace="5" class="pict" align="left"/>こんばんは。
今日はお休みだったので、本当に髪を切ろうと思ったら火曜日と言う事に気づき、一日中家で猫達とにゃんにゃんしていました。
日頃から、ペットの話ほど、興味のない人にはつまらないものはないと思っている私ですが、今日は“いも”の事を書こうと思います。 いもは5年前の冬、道場にやってきました。
出会いは、長与選手に食事に連れて行って頂いた時のことです。

食事をしていると、灰色の大きい猫が店の入り口にやってきました。
お店の人が言うには、そこの界隈のボス猫だそうで、並びのお店の人たちで可愛がっているのだそうです。
灰色の猫は、さすがに風格があり、撫でても愛想一つ振る舞いません。
撫でた手が臭くなっただけでした。

でも、冬になると、界隈のお店は正月休みで閉まってしまうので、お店の人たちは猫を心配していました。
すると、困った人や動物を放って置けない長与選手は、即座に「じゃあ、道場で引き取りますよ」と言い放ち、そして「こいつが面倒見ますから」と、いきなり私を指差しました。「えぇ〜、わ、わたし〜…」と思いましたが、お店の人の手前、断るに断れず、こうして私は半ば強引にその猫の飼い主になったのです。

車に乗せたら、猫はさすがに不安になったのか、鳴き続けるわ、暴れるわで、道場に連れて帰るのも一苦労でした。
お風呂に入れて乾かしたら、灰色だった毛は真っ白になり、肉球も綺麗なピンク色になりました。
そして、六本木の芋洗い坂に住んでいたので、長与選手から“いも”と命名されました。

当時、まだ道場住まいだった私は、猫用のケージを買い、その中で飼う事にしました。
慣れない場所で檻に入れられ、辛かったのでしょう。
何度も脱走して、その度に選手総出で徹夜で探し回ったりしていました。

そんな迷惑猫でしたから、最初は愛情のかけらもありませんでした。そんな私の気持ちが通じていたのか、“いも”も私になつこうとはしませんでした。
でも、不思議なもので、最初は義務的な感じでしたが、毎日面倒を見ていると感情が芽生え、いつしかいもは私のソウル・メイトになっていました。

そして私が道場を出ることになり、“いも”も一緒に狭いケージから我が家へ引越しました。
でも、その頃から、最初はまん丸だったいもが、ちょっとずつ痩せていきました。
道場に来た時にワクチンなどは打っていたのですが、私は心配になって健康診断に連れて行きました。
血液検査の結果は「猫エイズ」でした。
猫を飼っている人は聞いた事があると思いますが、免疫がなくなってしまう病気で、一度感染すると治りません。
そして、発症してしまえば、もう止める事は出来ません。

野良猫の80%はこの病気だといわれています。
きっといもも、六本木に住んでいた頃、喧嘩をして感染したのでしょう。
薬でエイズの発症を抑えることしか出来ない今、いもは風邪や怪我に抵抗力がないので、“とろろ”がじゃれて噛みついたりする時はハラハラします。

自分のペットが病気になった時や死んだ時、飼い主は色んな自問自答をすると思います。

「もっと早く気づいてあげれば、もしかしたら…」
「この子は、私に育てられて幸せだったんだろうか」

私も、今は精一杯のことをやっているつもりでも、それすらまだ不十分なのではないかと思う時もあります。

でも、たくさんの人がペットを飼い、出会いや別れを経験する中で、この様に自分のペットの事を、みんなに知ってもらえる場を与えてもらっている私は、とても幸せだと思います。

だから私は、同じ病気の猫を持つ人、そうじゃなくても、一度は自問自答をしたことのある人には言ってあげたいです。
「大きなお世話かも知れませんが、絶対にその子はあなたに飼われて幸せです。私が保証します」

“いも”も“トロロ”も、そして私も今日も元気です。少しでも長く、みんな一緒にいられるといいね。
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