こんばんは。
今日は、加藤園子選手のコスプレ話です。
園子選手のコスプレも1回だけではなく、何回かやっており、初めてやったのは、2000年1月の浜松大会でした。
園子選手はGAEAの選手の中でも、私的に1・2を争う、マネしやすい選手でした。一挙手一投足、咳払いまでも特徴的です。山田選手同様、ちょっとデフォルメをつけるだけで、完璧な園子選手が出来上がりました。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/a/e/ae283e18.jpg" width="685" height="425" border="0" alt="ae283e18.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" /> 最初のコスプレの時の格好は、サテン生地の鉢巻きに、青いスカジャンを再現しました。園子選手のスカジャンは日本でもお馴染みでしたが、鉢巻は、園子選手と里村選手がWCWに遠征に行った際、フレッシュなジャパニーズファイターをアピールするため、現地用に用意されたもので、当時でもちょっと恥ずかしい、昔のアイドル親衛隊みたいないでたちでした。
そのスカジャンをあえてだらしなく、両肩をはだけて羽織るのが、このコスプレの最大のポイントでした。

スカジャンは、道場のガウン置き場に掛けてあったものを、拝借しました。
そうとは知らず、浜松大会では、そのガウンを着るつもりはなかった園子選手が、控室に掛けてあった自分のスカジャンを見て「あれ?コレ持ってきたっけ?あたし今日これ着ないよ。え、着なきゃだめなの?」と、不安げにつぶやいていました。

中のコスチュームは、当時本人が愛用していたモノを作りました。
園子選手のウリは、魅惑の太ももと、疑惑のセパレーツコスチュームです。
その頃は、裁縫ノウハウが身に付いてきた頃なので、セパレーツだったり、ファスナーが付いていたりしても、もう作ることが出来ました。

後は、いかにあの太ももを再現するかでした。全身タイツの太もも部分に、詰められるだけモノをつめました。この時は、エアパッキンと新聞紙でした。
でも、詰め物には二つの欠点がある事を当時の私は知らず、試合後、空気を通さないパッキンのムレと、汗を吸いすぎた新聞紙の感触にもだえることになるのでした。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/8/1/81b04f00.jpg" width="425" height="666" border="0" alt="81b04f00.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />その後も園子選手のコスプレは、本人のビジュアルの変化と共に進化していきましたが、それはまた別の機会に。

ところで、コスプレではありませんが、園子選手のモノマネメモリーは他にもあり、以前ガイアのファンクラブ特典で、電話による試合日程のインフォメーションというものがありました。それは、たまに選手が吹き込んだりしていたのですが、なぜか解散までの2〜3ヶ月間は、全部私が吹き込んでいました。
ある時、園子選手のあの歌がうまそうな声色を真似て吹き込んだことがあり、メッセージの最後までネタばらしせず、やりきりました。
でもなぜか、そのメッセージは2日ほどで聞けなくなり、同じ内容のものが、スタッフの声によって差し替えられていました。
「メッセージを聞いたファンが、何の疑いもなく園子選手だと思っているみたいなので、削除しました。」とのことでした。
もはや、姿を見せずとも、騙せるところまで行き着いた園子選手コスプレ。
コスプレレスラー冥利に尽きる出来事でした。

それではまた次回。


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