先日「W−1」に行ってきました。
私の席は升席で、砂被りのすぐそばでした。
砂被りといったら、選手(力士)の入退場の際、柵から身を乗り出して選手の体を触れる(叩ける)ポジションです。この日も、フェンス際にはロープが張られ、警備員がいましたが、お構いなしで観客は選手の体を叩いたり、握手を求めたりしました。http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/3/d/3d8eccd2.jpg" width="352" height="288" border="0" alt="3d8eccd2.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" /> 入場の際寄ってくるファンの方は、容赦なく選手の行く手を阻み、かなりの力で叩いてくるので、セコンドに力を注いでいた私としては、かなりの天敵でしたが、でも、入場する時、ファンにモミクチャにされて出てくるレスラーを見て、これもプロレスの醍醐味の一つとしていいものだと思いました。
きっと、レスラーに触れた子供は、それがずっと先までいい思い出となるでしょう。私が“てるてる坊主”をやった時に、近づいてきて泣いて逃げ帰ったあの子も、きっといい思い出(またはトラウマ)になっているに違いありません。

そして今回のW−1で、ミル・マスカラスとテリ−・ファンクの黄金期を体験していない私は、マスカラス&テリー対本間選手&中嶋選手の第1試合を楽しみにしていました。
テリー・ファンクの“スピニング・トー・ホールド”とマスカラスの“SKY HIGH”がかかると同時に、砂被りにはむさ苦しい男たちが群がりました。昔、マスカラスとテリーに熱狂していたであろう中年の男たちは、少年に戻ったように柵から手を伸ばしていました。
「男って、いつになっても子供なんだから…」
場末の居酒屋の女将のような気持ちで、私はその光景を見ていました。
そんなシーンや、2人が入場した時の空気感が体験できただけでも満足でした。

でも、興行が終わってみて思ったのは、プロレスのリングに上がるのなら、やっぱりプロレスが出来なければお客さんには受け入れられないということです。
この場合のプロレスが出来るというのは、バックドロップをやったり、ウラカン・ラナをやったりということではなく、お客さんが期待することに、プロレスラーとして応えなければいけないということです。
曙選手が場外でフェンスに飛ばされた時、見ているほうは「うわ〜、曙がフェンスにぶつかったら、これは凄い事になるぞー!」と、一瞬で期待したと思います。でも、そこで足がもつれたのか、フェンス前で失速してしまい、カシャン…とフェンスに倒れ込んでは、期待したお客さんも「…え〜〜…」となってしまいますし、やっぱりフライング・ボディプレスを狙うと予告したら、狙う素振りくらいは見せて欲しいものです。
スポーツ界において、すごく偉大な人だとは分かっているし、プロレスは初心者で、技術はないのもわかっているからこそ、技術よりも、豪快さとか、頭の中で思わず膨らんでしまう期待に応えてほしかったな、というのが私の正直な感想です。
どうです、この感想!元プロレスラーっぽいですよね。
それでは、自己満足したところで、さようなら。
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