パッポンでダンスを堪能した私は、タイの有名クラブへ向かいました。
入り口には、Bボーイのガードマンらしき人がうろうろしています。
とても入り辛い雰囲気だったので、私も入り口をうろうろしていると、明らかに不審がられました。

と、そこへ「入らないの?」と、入り口前のベンチに座っているタイの男性が声を掛けてきました。
私が「う〜ん、私踊れないから」とうじうじしていると「じゃあここに座っておしゃべりしようよ」とイスを指差しました。
私はお言葉に甘えて、座っておしゃべりすることにしました。
その人はチャーさんといい、私は誕生日の記念に一人旅をしたこと、タイで巡った場所や、明日帰ることなど、いろいろな話をしました。
するとチャーさんは「最後の夜だから、君に最後の記念を作ってあげる。付いておいで」と、私をどこかへ連れて行ってくれる様子でした。

付いていくと、パッポン通りを抜け、又違うにぎやかなストリートに出ました。
でもパッポンとはどこか違う…そう、そこはゲイのお店が建ち並ぶ、いわゆる新宿二丁目のような男同士のアベックがひしめき合う通りなのでした。
チャーさんがどんどん歩いていくと、店の人、道行く人が全員チャーさんに挨拶しているようでした。
なぜか私にも、チャーさんが連れている女の子だから、という感じで挨拶してくれました。
一体チャーさんは何者か?と疑問に思った私を察したのか、チャーさんは「僕はゲイじゃないけど、この界隈のボスなんだ」と教えてくれました。
「わお!すごいのね」と感心していると、チャーさんはとある店に入っていきました。
「丁度始まるところだ」と店の中に入ると、そこはさっき見たダンスの男バージョンのお店でした。
「おい、ビールをこのレディーに」とバーテンに言うと、快くバーテンがビールを運んでくれ、カンパイしていると、男二人が出てきてダンスを始めました。

男のS○Xダンス…っていうか、ほぼそのままです。
ストリップ劇場みたいなステージ上で、まずは一人がやぐらに登り、次は二人でやぐらに登り絶え間なく繰り返されるダンス。
“あんな体勢で?はぁ〜器用ね〜”と、私はすでに思考回路が鈍くなり、なんだか感心してしまいました。
最後はお互いにサイダーを掛け合ってダンスは終了。
続いては、物色タイムなのか、番号札をつけたパンツ一丁のイケメンが、ステージ上にどんどん出てきます。
男性たちは、ステージ上からもチャーさんと私に挨拶していました。
チャーさんは「気に入った男の子はいたかい?」と聞いてきました。
私はビールを噴出しながら「めめめ、めっそうもない!」と動揺を隠せませんでした。
そして「ふふふ、そろそろ行こうか」と、チャーさんと私は店を後にしました。
すっかり夜も更けていて、チャーさんとの話も盛り上がりましたが、お別れの時間です。
最後に私が「タイにきて、すごく楽しかったです。でもなんでチャーさんは初めて会った私に、下心もなくビールをご馳走してくれたり、お店に招待してくれたり、親切にしてくれたんですか?タイで会った人たちは、ぼったくられそうにもなったけど、みんな親切でした」と言うと、チャーさんは「観光で来た人に、タイの楽しさを感じてもらいたいんだ。そして又来たいと思って欲しいんだよ。僕に出来ることはこのぐらいだけなんだけどね」と、言ってくれました。
私が「また来ます!」と言ってタクシーに乗ったことは言うまでもありません。
タイに来てよかった。
少々危険な目にはあったけど、みんな良い人だった。
私はゲストハウスに戻って荷造りをして、そのままバンコク空港へ向かいました。

しかし!
「100バーツで」と交渉したタクシーの運ちゃんに、空港に着き「500バーツ紙幣しかないから、400バーツお釣りちょうだい」と言ったところ「ふぇ〜、今お釣りありませ〜ん」といって、そのまま行ってしました。
ちっくしょー、最後の最後にぼったくられたよ!
まあ、いいか。
紙幣はなるべく崩して持ち歩く、という教訓になったし。
めでたしめでたし。
私は行きと同じ空路で日本へ向かいました。

しかし、ほぼ誰にも言わずにタイへ一週間の強硬旅行を決行したので(しかも誕生日の日)、私のいない間、日本では私を巡って大変な事態が起こっていたのです。

続く→
[Web全体に公開]
| この記事のURL

1件中 1~1件目を表示


1