帰りの飛行機では、また機内食を短時間で2食ガッツリ食べ、後は気絶するように眠り続けました。
夜、成田空港に無事到着。
そして出国手続きをする列に並んでいる時、約1週間ぶりに携帯の電源を入れてメールチェックをしました。
ありがたいことに、4月12日付けで誕生日のお祝いメールが怒涛のように受信されました。
と、それを遮断するかのように一本の電話が掛かって来ました。
まるで電波が繋がるのを待ち受けていたようなタイミングです。
それは妹・明日花からの電話でした。

さくら「なにぃ、久しぶりー。今ねーどこにいると思う?空港だよー。どこ行ってきたと思う?」

妹「知っとるてー、タイやらー」

姉「は!?なんで知っとんの!!」

私は長期旅行を家族には伝えていなかったので、驚かせるつもりが、妹が知っていることに逆に驚かされました。

妹「もーねー。もー…もーっ!お姉ちゃんと連絡取れんから、こっちは大変だったんやにー!」

と、妹はかなりご立腹な様子。

妹「もー、お母さんも、おばあちゃんも大変だったんだから…とにかくお母さんに話聞きゃー。んで怒られやー。ガチャ」

と言い残し電話は切れました。
一体何が…。
とりあえずメールチェックを再開、里村選手からもお祝いメールをいただいていたので、“実はタイに行っていて、返信遅れました”と送ったところ、すぐに里村選手から電話がありました。

里「なにー!?タイに行ってたの?ウケる!」

広「そうなんですよ〜一人旅してきました」

里「ふーん!んで、電話したのはその話じゃなくて、あのさー、中華丼って何入れる?」

広「ん?は?ええ?!ちゅ…中華丼ですか?!」

里「今、中華丼作ってて」

広「あ、あー。えっと、白菜、しいたけ、かまぼこ、鶉の卵とかですかね。あとにんじんとか、きくらげとか」

里「あー…しいたけかぁ、あー…にんじんねぇ、ありがと。ガチャ」

…まさか帰国後すぐに、中華丼のレシピを教えることになるとは。
タイから中華に頭を切り替えるのが難しかったです。
一種の時差ぼけでした。

そしていよいよ覚悟を決めて、母・世津子に電話することに。

…と、その前に祖母・貞子に電話を入れ、やんわりと世津子の様子をうかがうことにしました。

貞「ほいほい。(祖母・貞子はいつも“ほいほい”といって電話に出ます)あんた帰ってきた?もーお母さんが、あんたと電話繋がらんって騒いで、大変だったんだに〜。まぁ、お母さんに話聞きゃー。ガチャ」

結局なにも解決しないまま、世津子に電話をすることに。
でもまた世津子の話が長く、それを書くとタイ在紀・世津子編になり、年も越して
しまうので略します。
要は、誕生日に私に電話をしたところ全く繋がらず、心配で心配でいてもたってもいられなくなり、母は警察に電話して、私の捜索願いを出そうとしたり、私のマンションの管理会社に私の部屋を覗いてもらうように電話したり、もう私が“死んでいる”という前提で行動していたらしいのです。
妹にも相談したらしく、妹も妹で「死んだか。だとすると、この時期で日も経っとるで、かなり腐乱しとる…」と踏んだらしいです。
(当時妹は、臨場介護の仕事をしており、その辺妙に説得力がありました)
そしてとうとう母は自分の目で確かめるべく、愛知から東京の私の部屋に来たのです。
覚悟を決めてドアを開けたと言っていました。
まず、いもが出てきて、奥の方でとろが鳴いていたそうです。
もちろん私の腐乱死体はありません。
部屋を見回した母は、机に置かれた携帯電話を見つけました。
私は海外携帯に機種変したものを持っていったので、タイに行く直前まで使用していた携帯です。
母は携帯のメールの履歴を確認し、そこで私が友達に“来週からタイに行ってくるから、ねこの餌お願いね”というメールを発見。
「そういうことか〜」と一気に脱力し、代わりに「一言言ってからタイに行け!」と怒りが込み上げてきたそうです。

もっともです。
お母さん心配かけてごめんなさい。

こうしていろいろ騒動を起こしながら、私のタイ旅行は幕を閉じました。

・言葉は通じなくても何とかなるもの。
・タイ旅行は女の子の方が得をすること。
・そして、旅行へ行く時は家族に報告してから行くこと。

これが、私が今回の旅行で学んだことです。
このタイ在紀に長い間お付き合いしてくださった皆様、ありがとうございました。
楽しんでいただけたでしょうか。

いつかまた、どこかの国の旅日記を綴りたいと思いますので、ご期待ください。
さあ、ギリギリセーフで今年中にタイ在紀を終えることが出来ました。
明日からは日々のことエトセトラエトセトラで、またブログ更新していきますので、お楽しみに!!
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