こんばんは。
今日は、2000年5月の有明コロシアム大会で、関西選手と対戦した時の「宝塚コスプレ」話です。
http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/0/7/07f09aa0.jpg" width="142" height="209" border="0" alt="07f09aa0.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" /> この案は、長与さん直々のものでした。
「チエコ(長与選手が関西選手を呼ぶときの愛称)に精神的ダメージを与える」が、
長与さんのテーマだったらしく、「チエコはプロレスに入る前は宝塚歌劇団にも入りたがってたが、顔と体格を考えて断念したんだ」というようなことを、薄ら笑いで語っていました。クラッシュ復活というあの大事な時期に、優先順位としてはかなりどうでもいい事にエネルギーを注いでいた長与さんのバイタリティには、今思い返しても頭が下がります。
だから、この時の宝塚衣装は、長与さんが手配してくれたのです。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/4/0/406da4f6.jpg" width="142" height="189" border="0" alt="406da4f6.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />

最初は“コスプレは自分で作る”というポリシーを持っていた私でしたが、この頃はまだコスプレ費用が自腹だったので、少しでも費用が浮けばと、悩みもせず快くお借りしました。
長与さんは「宝塚といったらこの曲だ」と、入場曲も用意してくれただけでなく、入場時の演出も考えてくれました。
「宝塚スターになったチエコを、いつもの人形のように、たくさん引き連れて入場させろ」という演出でした。
前回の尾崎選手然り、どうもベテラン選手は「私のコスプレ=連なった人形」のイメージがあるようで、いつも簡単にリクエストしてくれました。
ほんと、大変だったんっすよ、アレ作るの…。

でも、無理難題を出されると燃えてくるのが、私のコスプレ魂。
「たくさん引き連れる」という長与さんのオーダーに応えるため、入場ゲートの大きさを計算し、人形を横並びではなく、私を先頭に三角に並ばせることで数を稼ぎました。人形は膨らませた傘入れ袋で作りましたが、このアイディアは偶然の産物でした。ハンズへ買出しに行った日がちょうど雨で、入り口に備え付けられたビニール袋に傘を入れているときに、ハッと、ひらめいたのです。我ながら画期的な思いつきでした。まぁ、日常生活にはなんら役立ちませんが。

そして、出来上がった体に、関西選手の拡大コピーした顔を貼り付け、軽量にするため、服も色ビニールで作りました。
一つ一つ見ると、とてもチープで貧乏臭い人形でしたが、私自身のコスプレは、長与さんの用意してくれた限りなく本物に近い宝塚衣装だったので、最終的にはそれはそれは豪華なものになりました。

でも、実は出来上がったのはまさにギリギリ。何と、当日の入場式が終わって関西選手が入場し、私の入場前に流れるVTRが始まった時、ようやく完成しました。それまでもギリギリまでコスプレを作っていた事はありましたが、このときばかりは、さすがにもう間に合わないと、半泣きでした。失礼な話ですが、1万人規模のビッグマッチで、関西選手とは初シングルだったにも関わらず、試合に向けて緊張する時間もありませんでした。きっと、瞳孔は開きっぱなしだったと思いますが。
そして、この経験を糧に“こんな経験はもうしたくないから、余裕を持って作ろう”と、素直な子になれればよかったんですが、“これを乗り切ったんだから、相当ぎりぎりになってもいける”と、のんびりコスプレを作る歪んだ子になってしまいました。

ところで、この試合にはもう1つサイドストーリーがありました。実は、関西選手は私がプロレス界に入ろうと、決めるきっかけになった選手なのです。私は「プロレス技をやられてみたいからこの世界に入った」というのを幾つかの雑誌で語りましたが、その“やられてみたい技”というのが、関西選手の“スプラッシュ・マウンテン”だったのです。
ラッキーなことに、試合中、スプラッシュ・マウンテンの体勢なりました。ついに、私の夢が叶うかもしれない時が来たのです。が、これを喰らったら絶対に痛いと一瞬の間に判断し、寸前のところで後ろに回転して切り返してしまいました。
結局、フィニッシュはラリアットか何かで、その後も、何度か関西選手と対戦する機会はありましたが、そのときはもう「コイツには、スプラッシュを出すまでもない」ということが、関西選手にバレたらしく、その技の体勢になることすらありませんでした。

今でも気になるのは、この試合で関西選手は思惑通り、精神的ダメージを負ったようでしたが、果たして、発案者の長与さんが満足してくれたのか?ということです。
あの時、何もリアクションがなかった事を考えると、多分、この日はクラッシュ復活で忙しく、見ていなかったのでしょう。
それでは、また次回。
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