こんばんは。
この頃、コスプレ回顧録で盛り上がっているばっかりに、日々の生活っぷりを紹介していませんでした。 かといって、これといって取り上げることもありませんが、この前裁縫をするために購入した糸の束が、メーテルの後ろ姿に似ていることを発見しました。http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/5/e/5e93a693.jpg" width="176" height="144" border="0" alt="5e93a693.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />それから、先週引っ越しました。それから、今朝いもが、ビニール袋を吐きました。これぐらいですかね。
あぁ、そうだ、もうご存知の方もいるかもしれませんが、GAEAのホームページがなにやら一新されています。
そんな感じで、これからも地道にやっていく次第ですので、皆さんは私の成長過程の目撃者として、引き続き、巻き込まれていってください。いい機会なので、今日からコメント欄もオンにします。今までと変わらず、皆さんのセンスが問われる場だと思って、一つ粋なコメント頼みますよ。
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こんばんは。
今日は、2005年2月11日後楽園ホールでやった、ジャガー横田コスプレの話です。

この頃は、ジャガーさん、ダンプさん他、毎回のように大物選手と対戦させられました。“もう解散するし、今のうちに、まだ当ってない大物レスラーと、どんどんやらせとけ”ぐらいの勢いでした。そして、大物対決ピークとなったのが、このジャガー戦でした。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/7/f/7f247c26.JPG" width="348" height="531" border="0" alt="7f247c26.JPG" hspace="5" class="pict" align="left" /> 私としては、戦う機会など絶対にないと思っていたので、万感の想いで、ありがたくジャガーコスプレをやらせていただきました。でも困ったのは、コスチューム資料が全女時代のものしかなかった事です。今のものは、なんとなくイメージはあっても、制作できるほど鮮明な資料はありませんでした。(それぐらい、戦う事になるとは思っていなかったのです)

そこへ、ちょうどよくブラディー選手が道場に練習にいらしたので、どんなコスチュームか聞きました。ブラディー選手は「びずぎばでぇ、だだべでぃぼようがあっで、がうんばでーつで、ぶわぶわついでる」と、いつもの舌っ足らずな口調で一生懸命教えてくれましたが、訳すと“水着は斜めに模様があり、ガウンはレースでフワフワが付いている”というだけの内容でした。

それでも何とか資料写真を入手し、わからない部分は、斜めに模様を入れたり、ガウンをレースでフワフワにしたりと、ブラディー選手の貴重な情報を元に、想像で適当に作りました。
一番の問題は、現在のジャガーさんのイメージが、白か黒かということでした。
実際、同じデザインで白黒バージョンを持っているそうで、これは、多数決で多かった色にしたほうがいいと思い、他の選手に聞き回りました。そして、昔のジャガーさんを知る人は“黒”、若い世代は“白”と見事に分かれ、私の独断で白にすることにしました。当日はご本人も白バージョンのコスチュームだったので、すばらしいWジャガーの競演が出来ました。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/4/4/443a3421.jpg" width="283" height="186" border="0" alt="443a3421.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />

コスプレ制作は、簡単かつ低予算で完成しました。
女帝と呼ばれるレジェンドレスラーのコスチュームを100円ショップで買い揃え、計700円弱です。着てみると、なんとなく原始人に見えなくもなかったですが、ワイルドなほうが、ジャガー度割り増しだと思ったので、手直しはしませんでした。

あとは動きですが、私としては、あのジャガーさん独特の頭の傾けを再現していいものかどうか非常に悩んでいました。
何せまったく面識がないので、本当にぶっ殺されるんじゃないかと。
そこに、長与さんが「ちょっと、入場やってみろよ」と(またコスプレ作りで忙しい時に)言ってきました。
私が、やや控えめに頭を傾けて入場シーンをマネすると、長与さんは「おまえ、そうじゃないだろ!俺のがウマいよ〜」と、言いながら実演してくれました。
「あ、やっていいんだ…」と、安心した私をよそに、長与さんは続けざまに今度は完璧な振り付けで“愛のジャガー”を熱唱し、一通り踊って満足したのか「これ試合中、絶対やれ」とポツリと言い放ち、去っていきました。お陰さまで、当日まではジョイアのように鏡の前で夜な夜な練習する日々が続きました。
しかし、その甲斐あって、当日は旦那様の目の前で、Wジャガーによる“愛のジャガー”を披露することが出来ました。素晴らしいネタを提供してくれた長与さんには感謝しています。

余談ですが、4月の横浜大会の開場前、選手がリング上でウォーミングアップを行っている時に、照明さんがタイミングなどを確かめるために、1試合目の入場リハをやることになりました。この日の1試合目は、ジャガー対水村。でも、タイミングのためだけに、控室からジャガー選手を呼ぶ訳にはいきません。そこで私の出番でした。
「じゃあ、自分が代わりに…」といって、舞台袖に向かうと、すかさずリングでアップをしていたライオネスさんが「広田、わかってんだろうなぁ!」と叫びました。
私はジャガー選手の入場曲に合わせ、首を激しく傾けて、眼光を光らせながら入場しました。手は、小さく前へならえです。リング上では手を叩いて笑っているライオネスさんの姿が見えました。よかった、正解で。
その後、リハーサルが終わって控室に戻ると、ライオネスさんは「ジャガーさん、広田がさっきマネしてたよ。ひどいよね、勝手に」と、本人にチクッていました。
チッ、雌ライオンめ。

それにしても、ジャガー選手のコスプレをやった時、クラッシュの2人はとっても楽しそうにはしゃいでいました。そんな姿を見ていると、ジャガー選手とクラッシュの信頼関係が伝わってきて、なんか感動しました。

綺麗にまとまったところで、また次回。
ちなみに、いつも“じかい”と打つと、まず始めに“自戒”と変換されます。
はい、戒めます。


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今日は、ダンプ松本コスプレのお話です。http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/6/7/67023d9e.jpg" width="142" height="208" border="0" alt="67023d9e.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" /> ダンプさんを初めてやったのは、2000年11月23日後楽園ホール大会のライオネス戦でしたが、振り返ると意外にコスプレ率が高く、通算4回もやっていました。(最後は本人とも対戦しました)
クラッシュの二人ともシングルで対戦し、どちらの時もクラッシュ揃ってのW正拳突きをやられています。ダンプコスでクラッシュ絡みの試合は、ベテラン選手も含め、選手総出でクラッシュ側のセコンドにつくことが多く、最後に私がW正拳突きをやられると、みんな決まってとても羨ましそうな顔をして見ていました。

ダンプコスプレをやる時は、当時の雰囲気をいかに再現するかがポイントでしたが、中でも一番重要だったのは、トミーレフェリーによる阿部四郎コスプレ・トミー四郎の存在です。
トミーさんは私が控室で用意をしていると「阿部レフェリーはいないの?」と声をかけてくれ、「用意してないです」と私が答えると、「いないと駄目でしょ〜。私がやってあげるよ!」と言うや、即席の衣装も快く着てくれ、入場時のテンションも見事なものでした。この時から、ダンプコスの時は、高速カウントや理不尽な反則補助など、試合中も大いに協力して頂きました。

ダンプコスを作る時に重要な事は2つあります。
1つは、試合中に中の詰め物が出ないように作ることです。
ダンプコスに関わらず、詰め物系はいつも試合中にが出ました。この頃は特に詰め物の知識がなかったので、タイツの中に新聞紙などを詰めていましたが、首や股からぼろぼろになった新聞紙などが出てきてしまい、レフェリーやセコンドに、素で嫌な顔をされながら片付けてもらったものです。

もう1つはメイクです。最初の時は、対戦相手がライオネスさんということもあり、長与さんが面白がって直々に書いてくれました。長与さんはこの日、メインでAAAWタッグ王座次期挑戦者チーム決定トーナメントの準決勝を控えていましたが、またも優先順位の低いことに力を入れていました。
私がペイントをしてもらって控室へ入ると、みんな一斉に「似てる〜!メイク自分でやったの?」「いえ、長与選手が」「やっぱりね〜、さすが毎日試合してただけあってよく描けてるわぁ」と、感心していました。
ダンプコスプレやブル中野コスプレなどを見るとわかるように、私は、現役時代対戦されていた選手が唸るほど、極悪系列のヒールレスラーに似ることが出来ます。ブルさんにいたっては「試合後の髪のよれ方や、ペイントの落ち具合もそっくりだ」と、山田さんから太鼓判を頂きました。
以前、一度“なぜそんなにも似るのか”という話題になりましたが、単に“太り方が似ているんだ”という結論になったらしく、みんなすぐに納得していました。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/7/4/741ab57e.jpg" width="142" height="216" border="0" alt="741ab57e.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />

このように、コスプレは私一人の力ではなく、周りの皆さんの協力があって成り立っていたのです。でも、ダンプコスプレは1度も試合にアタリがなく、試合前の忙しい中、わざわざ協力してくれた皆さんの思いを、私はいつも仇で返してしまうのでした。ではまた次回。


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今日は、2000年5月の有明コロシアム大会で、関西選手と対戦した時の「宝塚コスプレ」話です。
http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/0/7/07f09aa0.jpg" width="142" height="209" border="0" alt="07f09aa0.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" /> この案は、長与さん直々のものでした。
「チエコ(長与選手が関西選手を呼ぶときの愛称)に精神的ダメージを与える」が、
長与さんのテーマだったらしく、「チエコはプロレスに入る前は宝塚歌劇団にも入りたがってたが、顔と体格を考えて断念したんだ」というようなことを、薄ら笑いで語っていました。クラッシュ復活というあの大事な時期に、優先順位としてはかなりどうでもいい事にエネルギーを注いでいた長与さんのバイタリティには、今思い返しても頭が下がります。
だから、この時の宝塚衣装は、長与さんが手配してくれたのです。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/4/0/406da4f6.jpg" width="142" height="189" border="0" alt="406da4f6.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />

最初は“コスプレは自分で作る”というポリシーを持っていた私でしたが、この頃はまだコスプレ費用が自腹だったので、少しでも費用が浮けばと、悩みもせず快くお借りしました。
長与さんは「宝塚といったらこの曲だ」と、入場曲も用意してくれただけでなく、入場時の演出も考えてくれました。
「宝塚スターになったチエコを、いつもの人形のように、たくさん引き連れて入場させろ」という演出でした。
前回の尾崎選手然り、どうもベテラン選手は「私のコスプレ=連なった人形」のイメージがあるようで、いつも簡単にリクエストしてくれました。
ほんと、大変だったんっすよ、アレ作るの…。

でも、無理難題を出されると燃えてくるのが、私のコスプレ魂。
「たくさん引き連れる」という長与さんのオーダーに応えるため、入場ゲートの大きさを計算し、人形を横並びではなく、私を先頭に三角に並ばせることで数を稼ぎました。人形は膨らませた傘入れ袋で作りましたが、このアイディアは偶然の産物でした。ハンズへ買出しに行った日がちょうど雨で、入り口に備え付けられたビニール袋に傘を入れているときに、ハッと、ひらめいたのです。我ながら画期的な思いつきでした。まぁ、日常生活にはなんら役立ちませんが。

そして、出来上がった体に、関西選手の拡大コピーした顔を貼り付け、軽量にするため、服も色ビニールで作りました。
一つ一つ見ると、とてもチープで貧乏臭い人形でしたが、私自身のコスプレは、長与さんの用意してくれた限りなく本物に近い宝塚衣装だったので、最終的にはそれはそれは豪華なものになりました。

でも、実は出来上がったのはまさにギリギリ。何と、当日の入場式が終わって関西選手が入場し、私の入場前に流れるVTRが始まった時、ようやく完成しました。それまでもギリギリまでコスプレを作っていた事はありましたが、このときばかりは、さすがにもう間に合わないと、半泣きでした。失礼な話ですが、1万人規模のビッグマッチで、関西選手とは初シングルだったにも関わらず、試合に向けて緊張する時間もありませんでした。きっと、瞳孔は開きっぱなしだったと思いますが。
そして、この経験を糧に“こんな経験はもうしたくないから、余裕を持って作ろう”と、素直な子になれればよかったんですが、“これを乗り切ったんだから、相当ぎりぎりになってもいける”と、のんびりコスプレを作る歪んだ子になってしまいました。

ところで、この試合にはもう1つサイドストーリーがありました。実は、関西選手は私がプロレス界に入ろうと、決めるきっかけになった選手なのです。私は「プロレス技をやられてみたいからこの世界に入った」というのを幾つかの雑誌で語りましたが、その“やられてみたい技”というのが、関西選手の“スプラッシュ・マウンテン”だったのです。
ラッキーなことに、試合中、スプラッシュ・マウンテンの体勢なりました。ついに、私の夢が叶うかもしれない時が来たのです。が、これを喰らったら絶対に痛いと一瞬の間に判断し、寸前のところで後ろに回転して切り返してしまいました。
結局、フィニッシュはラリアットか何かで、その後も、何度か関西選手と対戦する機会はありましたが、そのときはもう「コイツには、スプラッシュを出すまでもない」ということが、関西選手にバレたらしく、その技の体勢になることすらありませんでした。

今でも気になるのは、この試合で関西選手は思惑通り、精神的ダメージを負ったようでしたが、果たして、発案者の長与さんが満足してくれたのか?ということです。
あの時、何もリアクションがなかった事を考えると、多分、この日はクラッシュ復活で忙しく、見ていなかったのでしょう。
それでは、また次回。
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こんばんは。今日は小林幸子コスプレのお話です。
このコスプレは、1999年12月27日後楽園、年内最終戦の植松・広田組対永島・中山組でやりました。
この日の試合は勝ち抜き戦で、勝利チームは、第2試合で当時のヒールユニット“チーム・ノストラダムス”と戦うという、嫌がらせのようなマッチメークでした。

http://image.blog.livedoor.jp/gaea_sakura/imgs/c/d/cd21ad25.jpg" target="_blank">http://image.blog.livedoor.jp/gaea_sakura/imgs/c/d/cd21ad25-s.jpg" width="159" height="86" border="0" alt="小林幸子" hspace="5" class="pict" align="left" />http://image.blog.livedoor.jp/gaea_sakura/imgs/c/d/cd21ad25.jpg" target="_blank">http://image.blog.livedoor.jp/gaea_sakura/imgs/c/d/cd21ad25-s.jpg" width="159" height="86" border="0" alt="小林幸子" hspace="5" class="pict" align="left" /> 年末のこのタイミングに小林幸子コスプレをやった理由は、いわずもがな“紅白歌合戦”だったのですが、この試合のポイントはもう一つあり、私は99年いっぱい、つまりこの日で、コスプレを辞めると宣言していたのです。
なぜ辞める事になったかというと、イマイチ記憶が曖昧なのですが、確か何かの雑誌の取材で「来年、ヒール対ベビーの抗争に参加するために、コスプレは今年で終わりだ」みたいな事を言ってしまい、後に引けなくなったからだったと記憶しています。
そんな訳で、このゴージャスなコスプレには、最後の幕引きの意味も込められていたのです。

ところで、いつもそうなのですが、コスプレ作りにはマニュアルというものがありません。何の素材を使うか、どう工夫するかは、買い出しをしながらその場で練りだすものなのです。
だからこの時も、デカイ・長い・豪華というイメージだけはありましたが、具体的にどうすればいいか、行き付けの東急ハンズの4階Aフロアで悩んでいました。
とりあえず両手に長い棒を持ち、それに金色の何かを垂らそうと思い、素材を検討。
紙はもろいし重い。布は値が張るし…。軽さと安さを考えて、ビニール袋を金スプレーで塗装し、豪華に見せるために、左右で60枚分のビニールを繋ぎ合わせることにしました。

ちなみに、スプレーを使用する場合、気を付けなければいけないことがありました。
それは「風下で行う」ということです。道場には犬や猫もいるし、選手も練習しています。そんなところで、スプレーの有機溶剤を撒き散らしては体に毒です。だから、スプレーは、いつも道場裏の端っこでやっていました。でも、あそこは風通しも悪く、空気がこもりました。そんな中、私はビニール袋60枚に永遠とスプレーをかけ、有機溶剤をたらふく吸い込んでいたので、途中何度か気持ちよくなったりしました。

そして当日、そのコスプレの巨大さに従来の花道からは入場できるわけもなく、私は普段は締め切りになっている後楽園ホールの最上段・南側非常口から、ゴージャスに入場しました。お客さんも、そのスケールに何事かと驚いてくれ大成功でした。でも、ゆっくりとリングへ降りていくうちに、お客さんたちの顔つきが豹変しました。
なんと、ビニールに吹きかけた金スプレーが、風に舞って剥がれ落ち、お客さんの頭、体、荷物、会場備え付けの椅子など、あらゆるところに付着し始めたのです。
歓声は、私が通り過ぎると悲鳴に変わっていきました。そして、私が近づいて来るのを待っているお客さんは、降臨してくる悪魔に怯える顔をしていました。

後日スタッフから聞いた話ですが、結局、椅子に付いた金粉はとれず、会場からは「二度と小林幸子はやらないでくれ」と、怒られたそうです。
その後しばらくしてから、後楽園の椅子が新しくなったことがありましたが、あのリニューアルは、もしかすると私のせいかも…。
今思うと、罪悪感を感じます。

試合は1試合目で、運悪く私が中山選手に勝ってしまい、ノストラダムス組と対戦するハメになりました。 「1試合目豪華だったから、うちらのときは、さぞ凄いコスプレやってくれんだろうねぇ。ノストラダムス全員の人形バージョンとか、期待してるわ」と、尾崎選手がバックステージで、すれ違いざま呟いてプレッシャーをかけてきました。
とにかく勝つなんて思っていなかったし、コスプレ卒業のつもりで、すべての力を小林幸子に注ぎ込んだので、ぶっちゃけ2試合目の事は考えていませんでした。
でも、そんな脅しを受けたので、すぐさま全日本バレーボールの時のような人形を即席で作りました。
ただ、全日本バレーコスプレは、何日もかけたからあの出来栄えになったのであって、同じ難易度のものが5〜6分で出来る訳もありません。案の定、完成品は目も当てられない無様なものに仕上がりました。
そのあまりの出来のひどさに、尾崎選手には「コスプレないんだったら、勝つなよな」と、突っ込まれました。
余談ですが、試合はなんとノストラダムスを場外に置き去りにし、リングアウト勝ち。パートナーが植松選手だったのが奇妙な縁を感じます。

http://image.blog.livedoor.jp/sakurahirota/imgs/4/e/4eaf79d6.jpg" width="142" height="222" border="0" alt="4eaf79d6.jpg" hspace="5" class="pict" align="left" />

ちなみに、年明けから何もなかったようにコスプレを再開しましたが、これは意志が弱いのではなく、むしろ尾崎選手の言葉の逆を取り「勝たなくていいから、コスプレをやる」という強い信念が芽生えたからなのでした。
観客からはウソツキ呼ばわりされましたが。
それでは、また次回。

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