STRONGEST-K 2011優勝決定戦

○稲松三郎(21分58秒 片エビ固め)真霜拳號●

※デスバレーボム。稲松が優勝



決勝の相手は稲松三郎。



リーグ戦中に左肩亜脱臼の負傷を負ったにも関わらず、それがブレーキとなることなく、決勝戦まで勝ち上がってきた。

しかも、その負傷した試合が自分との公式戦であったところに、何かしらの因縁を感じる。



当然のことながら、負傷を抱えていると、どうしても負傷箇所をかばってしまったり、技を受けると通常よりも大きなダメージを負うことになり、本来の実力を出すことは難しくなる。



が、レスラーは時として、負傷を抱えていることにより、普段よりも大きな力を発揮する場合がある。

それは、いわゆる火事場の馬鹿力というやつかもしれないし、精神が肉体を凌駕するというやつかもしれない。



この日の稲松は、まさにその状態だった。



明らかに左肩に異常が見られるのは、戦っていて実感出来た。

少し肩を動かしただけで、肩関節の骨が微妙にズレるのが分かる。

おそらく、左肩がかなり外れやすい状態になっていたのだと思う。



実際、左腕を掴まれることを頑ななまでに嫌っていたし、何度も肩を抑えてうずくまり、動けなくなることもあった。

決勝戦という舞台でなければレフェリーが途中で止めていたであろう場面も、何度もあった。



それでもギブアップはせず、レフェリーに向かって『止めるな!』と叫び続け、最終的には勝利をたぐり寄せてしまった。



敗因は、稲松がいつも以上の力を発揮したことと、自分が稲松の左肩を外すのをためらったこと。



無道で左肩を極めた時は最大の勝機だった。

いつでも左肩を外すことが可能な体勢であり、外してしまえば、その時点で勝利出来たと思う。



だが、非情になりきれなかった。



全力で戦い結果的にケガをさせるのと、絶対にケガをすると分かっていて技をかけるのでは、全然違う。

自分の覚悟が足りないと言ってしまえばそれまでだが、やはり、意図的に対戦相手を欠場に追い込むようなことはしたくない。



それが偽らざる本音である。



しかし、それによって負けてしまってはどうしようもない。

左肩を外さなくても、他にいくらでも勝つ方法はあったのだから。



自分もまだまだ未熟ということである。
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