○小野武志&土方隆司(14分34秒 タコ絡み)田中純二●&真霜拳號

十年前。

プエルトリコでデビューし、日本に帰国する時、
「帰ったらここに連絡しろ。住み込みで練習させてもらえるようにしてあるから。」
と代表から渡された連絡先が、バトラーツだった。

帰国して連絡してみると、
「そんな話は知らない。第一、今は寮に空きが無いから、住み込みはしばらく先にならないと無理だ。」
とのこと。

当時は“どういうことだ、これは?”と憤慨したものだが、代表のこともバトラーツのこともよく知る今となっては、さもありなんというエピソードである。

なんだかんだで話を通し、しばらく実家で過ごした後、バトラーツのある越谷へ。
しょうがないのでウィークリーマンションを借り、そこから練習に通うこと一ヶ月。
その後、寮に入れてもらい、住み込みで二ヶ月ちょっと。
計約三ヶ月の間、バトラーツにはお世話になった。

まだ入門して一年も経っておらず、何も知らないも同然の自分にとって、その三ヶ月の間に学んだこと、経験したことは、プロレスラー・真霜拳號が形作られる上で、非常に大きなことだった。

当時のKAIENTAI DOJOはまだ旗上げ前で、団体ではなくプロレス学校だった時。
さらにプエルトリコという異国の地にあったわけで、日本のやり方とはあらゆる面で違いがあった。

全く未知の練習法。
何度も何度も行われるスパーリング。
他団体選手との遭遇。
日本デビュー戦。
地方遠征。
リングスタッフ。

全てが初めての経験だった。
プロレス界の挨拶の仕方も教わったし、リング作りもバトラーツ流で覚えた。
とにかく、いろんなことを教わった。

プロレスラー・真霜拳號の基礎の部分には、確実にバトラーツがある。

そして十年後。

バトラーツの解散興行。
当初は参戦予定では無かったのだが、紆余曲折あって参戦することに。
その紆余曲折も実にバトラーツらしく、自分にとってのバトラーツは最初から最後まで変わらないものとなった。

だが…いや、だからこそ、この大会に参加出来たのは光栄だった。
バトラーツの歴史の一部に関われて、本当に良かった。

バトラーツでは、貴重な対戦経験等もあり、書きたいこともまだまだあるのだが、長くなるのでこれくらいで…。

最後に、一番鮮烈に覚えていることだけ記しておこう。

カール・グレコ選手とのスパーリング。
本当に強かった。
あまりの実力差で、悔しさも全く無かった。
開始3秒でギブアップすることなど、おそらくプロレス人生で一度だけのことになるだろう。
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