W杯決勝トーナメント1回戦
日本0
(/延長)
0パラグアイ
(PK日本35パラグアイ)


今はとにかく、彼らへの多大なる拍手と感謝と、少しばかりの悔しさを胸に。



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明日の大井競馬場メインレースは、今年上半期のダート頂上決戦・第33回帝王賞(JpnⅠ)。
このレース、過去には毎年の様にプロレスラーが表彰式のプレゼンターに起用されていましたが、今年は誰が?と思ったら…
ボクシングの内藤大助選手でした。
どうやら帝王賞とリングは切っても切れない様で。
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「あなたの、そして私の夢が走っています」
「今年もまたあなたの夢が、そして私の夢が走ります」

元関西テレビの名アナウンサー・杉本清さんの、宝塚記念を象徴する名フレーズです。
最初にこのフレーズが出たのは'76年、米国遠征(ワシントンDCインターナショナル)を控えたフジノパーシアが勝ったレースでした。
その次は宝塚記念ではなく、'77年の有馬記念。
TTG(トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラス)3強最後の揃い踏みとなったレース。
フジテレビの中継ではなく(こちらは当時のフジの名アナウンサー・盛山毅さんの実況)、テンポイントの欧州遠征(その壮行レースの日経新春杯で骨折の悲劇に見舞われてしまいましたが)に向けてのドキュメンタリー用の実況でした。そしてこのレースの向正面での「あなたの、そして私の夢が走っています」が、このフレーズが世に広まるきっかけになりました。
その次はグッと時代が飛んで'88年の宝塚。
天皇賞・春を勝ったタマモクロスと、安田記念や前年の天皇賞・秋などを制したニッポーテイオーが人気を二分したレースの向正面で、久々にこのフレーズが出ました。
このフレーズが毎年の恒例になるきっかけが、'91年の宝塚。
スタート直後に言うつもりのなかった「今年もまたあなたの夢が、そして私の夢が走ります」が口をついて出てしまい、何か付け足さなければと思って続いたのが「あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか、私の夢はバンブーです」という言葉。結果はメジロライアン→メジロマックイーンで決まり、杉本さんの夢・バンブーメモリーは10頭立てのシンガリ負け。これで翌年は控えたところ、「期待していたのに…」との声が上がって、以後宝塚記念では毎年杉本さんの夢が公開される事となります。
ところがこれが来ない来ない。ライスシャワーの落馬があった'95年のダンツシアトルを除けば惨敗続きで、武豊騎手にはマジで「僕の馬を夢にしないで下さい」と言われる始末。それならいっそこの馬に居ない馬を…と思ったのが'99年。前年の天皇賞・秋の骨折で死亡したサイレンススズカの名前を出された時には、恐らく日本中のファンが共感したでしょう。
既に定年を過ぎてフリーとなり、宝塚記念の実況も'04年が最後、ご意見番として司会を務めた「DREAM競馬」からも昨年限りで退かれ、番組自体も今年から「競馬beat」にリニューアルしましたが、今日の放送にはゲスト出演なさるそうで、番組HP以外に中継で今年も杉本さんの夢が聞けそうです。
(関東でもBSフジ競馬中継が、関西GⅠでは「競馬beat」を放送します)
HPでは今年の杉本さんの◎は⑧ブエナビスタ、夢は②アーネストリーだそうです。

あなたの夢はブエナビスタかジャガーメイルかドリームジャーニーか、私の夢は…
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3−1!!
ベスト16!!
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後半42分、本田のアシストを左足で決めて3−1!!
とどめだ!
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