プロフィールの「私の自慢」に、「新崎人生の念仏ケブラーダ(旧大田区体育館のサスケ戦)を生で観た事」と書いているんですが、この手の自慢の種をもう一つ思い出しました。
必殺技の初公開を3回観ています。

土井成樹選手のマスキュラーボム
('07・9・22旧大田区体育館、vsCIMA)
飯伏幸太選手のフェニックス・プレックス・ホールド
('09・8・23両国国技館、vsHARASHIMA)
船木誠勝選手のハイブリッド・ブラスター
('12・8・26大田区総合体育館、vs秋山準)

首都圏在住の強みとも言えそうな。
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お手元に週プロの大日本両国増刊号をお持ちの方は4~5ページの見開きを見ていただけると判りますが、両国で北側(向正面)にステージとビジョンを設置した場合、それより後方の席はクローズされるのが通例です。
(概ね北側1/3程度。リング上に4面スクリーンを吊る新日G1 CLIMAXが数少ない例外)
8・23DDT両国も同様の設定なのですが、完売発表後に追加発売の有無について質問が殺到したそうで、急遽クローズしていたエリアの追加発売が決定しました。
入場ゲートの裏になっても、作り込んだ映像や煽りパワポが見られなくとも、それでも!という方々にはチャンス。
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DDT8・23両国大会のチケットが、今日完売したそうです。
去年は8月のビアガーデンプロレス最終日(両国前最後の大会)に完売が発表されましたが、今年はそれよりはるかに早く、まだ4週間近く残しての完売。
DDT両国、最早ブランド化してます。
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ラグビー日本選手権は、'63年度の第1回からトップリーグ発足直前の第34回まで、社会人王者vs大学王者の一発勝負でした。
この間の成績は社会人王者26勝vs大学王者8勝。
その内選手として社会人1勝、監督として大学1勝を記録したのが、慶應義塾大学・トヨタ自工(現トヨタ自動車)OBで慶應の監督を務められた上田昭夫さんでした。

慶應で主将を務められ、卒業後は東京海上火災(現・東京海上日動火災)に就職しましたが、ラグビーで勝負しようとトヨタ自工に移り、'77年度('78年1月)に日本選手権で優勝。
160cmと小柄ながらスクラムハーフとして日本代表キャップ6を獲得した名選手でした。
現役引退後、トヨタの社員としての勤務の傍ら、母校慶應の監督に就任。新日鉄釜石の日本選手権7連覇が途切れた'85年度、慶應を大学王者に導き日本選手権に進出しました。
対戦相手は何と、勤務先であったトヨタ自動車。こんな経験をしたラグビー指導者は、日本中で上田さん位ではないでしょうか。そしてこの時、慶應はチーム史上唯一の日本選手権優勝を果たしました。
後に慶應監督とトヨタを両方とも辞められ、転進した('87年)先がフジテレビのキャスターだったのには驚かされました。
慶應ラグビー部には後に総監督として復帰し、創部100周年だった'99年度には大学王者に輝きました。
'12年にフジテレビを定年退職。晩年は女子ラグビーの指導に情熱を注いでおられたようです。

今年に入って、「アミロイドーシス」という代謝性疾患である事が判明した上田さん。もしかしたら女子日本代表が出場するかも知れない'16年リオ五輪の7人制ラグビーを見ることなく、23日7時39分、都内の自宅で亡くなられました。62歳でした。
心から御冥福をお祈り申しあげます。
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DDT7・19後楽園のオープニングで、「プロレスキャノンボール2014」のDVD発売がアナウンスされたそうです。
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