26日の中山10レース・ブラッドストーンステークスに、前走から中1週でドラゴンゲートが出走しました。
2番人気で結果は3着。
早くオープン~重賞戦線に上がってきて、名前と走りでドラゲーファンを楽しませてほしいものです。
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JRAでは毎年2月末が騎手・調教師免許の更新時期に当たり、この為定年の調教師や昨秋の新規調教師免許試験に合格した騎手は2月の競馬開催の終了で引退となります。
今年調教師への転身で引退する騎手の一人が、武豊騎手の弟・武幸四郎騎手。'97年デビューからちょうど20年の騎手生活でした。
先週まで通算693勝とトップジョッキーと呼ぶには物足りないものの、デビュー2日目に初勝利をGⅡのマイラーズカップで決めたり(JRA最年少重賞勝利)、父の故・武邦彦調教師の引退当日に管理馬で勝って花を添えたり、人気薄の馬でばかりGⅠを勝ったり(逆に1番人気での勝利は無し)と、記録より記憶に残るジョッキーになったと思います。
現役ラストの今日は阪神競馬場で騎乗。メインのGⅢ阪急杯では人気薄の①カオスモスに騎乗します。
過去に'75目黒記念での故・野平祐二元調教師、'06阪急杯での松永幹夫調教師の2人しか達成していない「騎手引退最終日の重賞勝利」を飾れるか。乗る以上はチャンスはあります。
明けて3月からは新人騎手がデビューし、新規調教師の厩舎が開業。
順当に行けば来年3月に「武幸四郎厩舎」が開業します。
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'03年フェブラリーSをはじめGⅠ級レースを4勝し、種牡馬としてもスマートファルコン等何頭ものダート王を生み出したゴールドアリュールが、18日に心臓疾患で急逝しました。18歳でした。
そして明けて今日は今年のJRAのGⅠ第1戦・フェブラリーステークス。
競馬界でジンクスめいて語られている言葉に
「死んだ種牡馬の子は走る」
というのがあります。
今回弔い合戦に挑むのは2枠の2頭・③ゴールドドリームと④コパノリッキー。共に有力馬の一角を占めています。
私の馬券は3連複1頭軸印順に③≡⑩⑥⑨⑪④⑤で。
心からゴールドアリュールの御冥福を祈ります……が、ちょっとだけこっちに残って息子のケツを押してやって下さいませm(_ _)m
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長年パナソニックDIGAの古いDVDレコーダーを使っていましたが、7月末に新品のディスクを全く受け付けなくなる故障に見舞われ(何か書き込んだディスクは問題無し)、8月初頭から同じDIGAのBDレコーダーを使用しています。
でCMカットなど編集してHDからBDにダビングするわけですが、最近のレコーダーは番組分割だけでなく、番組結合が出来るんですね。これが私には実に有難い。
最もよく使っているのは競馬のレース実況の後に全着順を付け足すケースですが、その他にもこんな実例をやっています。
①新日1.4東京ドームのワープロLIVEのメインが尻切れになった→後日ワープロ2017で放送された全試合ノーカット版(その代わりに試合間のインターバルや入場をカットしまくっている)から第0試合とメインだけ抜き出して結合し、自分なりの完全版に
②日テレG+のSUPER BOWL LI初回生中継(ハーフタイムショウが唯一ノーカット)時間枠に、DVDのサルベージの都合上録っておきたかったグリーンチャンネル「競馬ワンダラー」が被っていた→中抜けになる形でワンダラーを優先させ、SUPER BOWLについてはリピートをもう一度録画し第4クォーター開始時点で結合して完全版に
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'70年代から日米を股にかけて活躍されたチャボ・ゲレロさんが、去る11日にアリゾナ州フェニックスの病院で亡くなられました。68歳でした。
1月に末期の肝臓がんが見つかり、既に手術も出来ない程度だったそうです。

ゴリー・スペシャルの元祖ゴリー・ゲレロを父に持ち、ゲレロ4兄弟(チャボ・マンド・ヘクター・エディ)の長兄、更には息子チャボJr.もWCWやWWEで活躍という名門一家。米国西海岸ではヘビー級戦線でも活躍しましたが、日本ではジュニアヘビー級で藤波辰爾(当時は辰巳)・木村健悟(当時は健吾)・大仁田厚選手らを相手にした闘いを繰り広げられました。
ご本人がベストバウトと語っていたと言われるのが、'78.10.20新日寝屋川市民体育館でのWWWFジュニアヘビー級選手権で藤波選手に挑戦した61分3本勝負。(WWWF=後にWWFを経て現WWE。この頃は先代ビンス・マクマホンSr.の時代で新日と業務提携していました)
チャボさんが1本目を丸め込んで先制した後の2本目、ドラゴンロケットを自爆した藤波さんが場外フェンスの無かった客席に頭から突っ込み、パイプ椅子の金具で目の上を切って大出血。ドクターストップギリギリの状態で2・3本目を短時間で連取して逆転防衛を果たした試合でした。
ベルトを獲った試合などではなく、負けた試合をベストバウトに選ばれたところにご本人の思い入れを感じます。

最後の来日は昨年11.27全日両国~11.28東京愚連隊後楽園の2日間。元気なファイトを見せてくれた、わずか2ヶ月半足らずでの訃報となってしまいました。

心から御冥福をお祈り申し上げます。
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