…成る程、そういう事でしたか(笑)。
今晩のDDT新木場で、ディック東郷選手のラストマッチ…だったのが、試合後に東郷選手(の遠い親戚のフランチェスコ・トーゴー)&アントーニオ本多選手のイタリアン・フォーホースメン復活!!
会場のお客さんは驚きと共に喝采だったそうです。
これだけきれいに騙されたら、本当に気持ちいいわ!
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DDT9・28後楽園のWタイトル金網戦は、ディック東郷選手の金網トップからのダイビング・セントーンを自爆させた高木三四郎大社長がシットダウン・ひまわりボムからのエビ固めでKO−Dとエクストリームの2冠統一となりました。
試合後のマイクで、何と東郷選手がDDTからの撤退を発表!
「残りのプロレス人生も短いんだ。後は海外行ったり、自由気ままにエンジョイしたいんだ」という東郷選手に、大社長が明日の新木場大会を「ドラマティック・ディック東郷」として、そこでのタッグ結成を要請して、東郷選手もそれを受諾しました。

前にも南米で試合した事もあったし、今後の東郷さんはプロレス伝道師として世界を回って…なんていうのも充分ありそうですね。
あ〜、退き方がメチャクチャ格好良いわ!

…でも、元々全日横浜文体とのダブルヘッダーを諦めた位で、明日の新木場に観に行ける元手が無い…。
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母の実家と自分の生まれが上伊那の辰野町なので、春夏の甲子園で長野県代表は無条件に応援チームなんですが、'70年代〜'80年代半ばににかけて、松商学園や丸子実業が「出ると負け」という惨状でした。そういう状態からようやく脱した'91年の選抜に、松商のエースとして上田佳範選手が登場しました。
1回戦で愛工大名電を3−2で破ると(この時の名電のエースが鈴木一朗=現マリナーズのイチロー)、2回戦〜準決勝で3試合連続完封で決勝進出。決勝の広陵戦では途中で外野に下がり、最後は6X−5でサヨナラ負けしましたが、「夏こそは!」とファンは思ったものです。

そして迎えた夏の甲子園。優勝候補の筆頭と言われた松商は2回戦迄を順当に勝ち上がり、3回戦の四日市工業戦が甲子園球史に残る名勝負になりました。
井手元健一朗投手(元中日→元西武)との投げ合いは3−3の同点で延長戦に突入し、迎えた16回裏松商の攻撃。満塁のチャンスで打者は上田というエース対決。井手元投手の初球は…左打席の上田選手の右腕を直撃しました。サヨナラ押し出し死球。夏51年ぶりのベスト8でした。
連戦の疲れに死球のダメージもあったかどうか、準々決勝の星稜戦では2−3で敗れましたが、主砲だった松井秀喜選手をしっかり抑えています。また、甲子園の後に行われた国体の高校野球では優勝して全国タイトルを手にしています。

同年ドラフト外れ1位(田口壮選手をオリックスに負け)で日本ハムに入団後、'95に外野手に転向してから頭角を現し、'97年には規定打席と打率3割をマークしています。その後は故障に悩まされたりした様ですが、日本ハム〜中日で貴重なバイプレイヤーでした。

昨日の中日VS横浜戦の試合前に引退表明がありました。
長い間お疲れ様でした。夢を見させてもらって有難うございました。
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埼玉西武ライオンズのペナントレース優勝、おめでとうございます!

私にとって「デビューから活躍を知っている選手が監督になった」のは、巨人の第一次原政権が最初だったと思いますが、遂に私より学年が下の優勝監督が出ましたね。('65.8.2生まれ)
歳取ったなぁ〜!?
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「あぶさん」でホークス

「セニョールパ」「かってに志土」でライオンズ

「虹を呼ぶ男」でスワローズ(後半相撲漫画になりましたが)

「ササキ様に願いを」でベイスターズ(地元に元々練習場がありますが)

…漫画のおかげだけではありませんが、気がついたら「アンチ」な球団が無くなってました。
















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