'80〜'00年代にかけて日米のメジャー団体を股にかけて活躍し、数々のタイトルを獲得したビッグバン・ベイダーさんが、米現地時間18日に肺炎の為亡くなられました。
63歳でした。
'87年12月、新日両国に乱入したビートたけしさん率いるTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として初登場。この日の両国はアントニオ猪木vs長州力のIWGPヘビー級戦と藤波辰爾(当時は藤波辰巳)&木村健悟vsビッグバン・ベイダー&マサ斎藤というカードが組まれていたのですが、リング上でTPG勢の挑発に猪木さんが乗った事からカードが二転三転。猪木vs長州の真っ向勝負を期待していた観客達にとってはIWGP戦が消滅しただけではなく、最後に猪木さんがベイダーさんに3分弱でKOされるに至って遂に不満が大爆発。新日史上に残る汚点の両国暴動事件となってしまいました。
この騒動で唯一株を上げたと言えたのがベイダーさんでした。「猪木を秒殺」という実績を足がかりに新日のトップ外国人選手に君臨。’88年の藤波選手の「飛龍革命」には、ベイダー超えもテーマの一つだったのは疑う余地がありません。
新日では猪木さん・藤波選手・闘魂三銃士と激闘を繰り広げ、IWGPヘビー級選手権は通算3回獲得。更に新日と業務提携していたWCWでも、WCW世界ヘビー級選手権を獲得しました。
’93年にUWFインターナショナルに移籍。この時「ビッグバン・ベイダー」のリングネームの権利は新日にあった為スーパー・ベイダーに改名し、プロレスリング世界ヘビー級選手権を獲得。
その後WWF(現WWE)に移籍後は「ベイダー」のみを正式なリングネームとし、'05年に「ビッグバン・ベイダー」の権利が自らの物となるまでこの状態でした。
'99年には三沢全日で三冠ヘビー級選手権を獲得。NOAHの旗揚げ当初にも看板外国人選手として参戦されました。
今に至るまでIWGPヘビー級と三冠ヘビー級を両方獲得した外国人選手は唯一。また、タッグではIWGPタッグ・世界タッグ・GHCタッグ全てを獲得するグランドスラムを達成しています。
近年は交通事故の影響から心臓を患い、余命2年と告知されていたそうです。最後の来日は昨年4年のドラディション、かつてのライバル・藤波辰爾選手の45周年記念ツアーでした。
心から御冥福をお祈り申し上げます。
63歳でした。
'87年12月、新日両国に乱入したビートたけしさん率いるTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として初登場。この日の両国はアントニオ猪木vs長州力のIWGPヘビー級戦と藤波辰爾(当時は藤波辰巳)&木村健悟vsビッグバン・ベイダー&マサ斎藤というカードが組まれていたのですが、リング上でTPG勢の挑発に猪木さんが乗った事からカードが二転三転。猪木vs長州の真っ向勝負を期待していた観客達にとってはIWGP戦が消滅しただけではなく、最後に猪木さんがベイダーさんに3分弱でKOされるに至って遂に不満が大爆発。新日史上に残る汚点の両国暴動事件となってしまいました。
この騒動で唯一株を上げたと言えたのがベイダーさんでした。「猪木を秒殺」という実績を足がかりに新日のトップ外国人選手に君臨。’88年の藤波選手の「飛龍革命」には、ベイダー超えもテーマの一つだったのは疑う余地がありません。
新日では猪木さん・藤波選手・闘魂三銃士と激闘を繰り広げ、IWGPヘビー級選手権は通算3回獲得。更に新日と業務提携していたWCWでも、WCW世界ヘビー級選手権を獲得しました。
’93年にUWFインターナショナルに移籍。この時「ビッグバン・ベイダー」のリングネームの権利は新日にあった為スーパー・ベイダーに改名し、プロレスリング世界ヘビー級選手権を獲得。
その後WWF(現WWE)に移籍後は「ベイダー」のみを正式なリングネームとし、'05年に「ビッグバン・ベイダー」の権利が自らの物となるまでこの状態でした。
'99年には三沢全日で三冠ヘビー級選手権を獲得。NOAHの旗揚げ当初にも看板外国人選手として参戦されました。
今に至るまでIWGPヘビー級と三冠ヘビー級を両方獲得した外国人選手は唯一。また、タッグではIWGPタッグ・世界タッグ・GHCタッグ全てを獲得するグランドスラムを達成しています。
近年は交通事故の影響から心臓を患い、余命2年と告知されていたそうです。最後の来日は昨年4年のドラディション、かつてのライバル・藤波辰爾選手の45周年記念ツアーでした。
心から御冥福をお祈り申し上げます。