JRA・後藤浩輝騎手が、自宅で首を吊って亡くなられました。

再起が危ぶまれた大怪我から去年復帰し、今年も順調に勝ち星を重ねているように見えた矢先でした。
TVの競馬番組にゲスト出演した時の、サービス精神旺盛なキャラの裏に、一体何があったのか。
今回に限らずこういう事が起きると、最終的に一ファンは一介の部外者に過ぎない無力感を感じると共に、「何故?」というクエスチョンが頭の中に貼り付いて離れません。

今はただ、御冥福をお祈り申しあげます。
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スターダムの事件が無ければ、週プロの表紙は全日のJr.リーグかこれだったでしょうに…
2・22、東京マラソンを完走したランナーが夜の後楽園に。
NOAHのメインで「X」として登場したのは、ゼッケン付きマラソンコスチュームの矢野通選手。さすがにヘロヘロだった様ですが、タッグマッチを完走してパートナー・丸藤正道選手の勝利に貢献しました。
42.195km走ったその日にリング…大々的に言わずにやってしまうのが凄い。
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pixivの「ピクシブ百科事典」に、「ドラゴンゲート」の項目を作りました。
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DDTさいたま、あるかも知れないとは思っていましたが、全タイトル移動!(アイアンマンはランブル開始前にテックの映像スタッフにベルトが移動し、最終的にアジャ・コング選手の元へ戻りましたが)
メインのKO-D無差別級。
ラストライドの体勢からのフェニックス・プレックスは阻止したHARASHIMA選手でしたが、フィニッシュに狙ったスワンダイブ式蒼魔刀をロープ上で止められ、そこから担いだ飯伏選手がフェニックス・プレックス・ホールド!
5年半前、初の両国での前回対決と同じ技で決着。HARASHIMA選手の悔しさといったら。
彰人選手もX(Xは旭志織)選手に敗れてDDT EXTREME級王座から陥落しており、スマイルスカッシュが夏の両国に向けてどう盛り返してゆくか注目です。
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天龍源一郎さんの11月引退が報道されて1週間。
色々な所で色々語られているので、ご覧になられた方は多いと思います。
が、天龍さんが以前スポットでドラゲーマットに上がっていたのを知らないファンの方々も多くなったのでは?
闘龍門JAPAN~ドラゲーには、天龍さんが立ち上げたWARに関わった人達が5人いました。
武輝道場で参戦していた岡村隆志社長・望月成晃選手・TARU選手、営業部員だったドン・フジイ選手、天龍さんの鞄持ちから業界に入ったマグナムTOKYO選手。
'05年、ドラゲーの当時のユニットの枠を超えた形で、マグナム・望月・フジイ3選手(TARU選手は既に退団)のグループ「ルネッサンス」が結成され、時を同じくして当時フリーだった天龍さんが「最高顧問」という形でドラゲーに迎えられました。
そしてマグナム選手が始めたのが、自ら天龍さんと闘って魂を受け継ごうという「龍魂十番勝負」でした。
不定期にマグナム選手VS天龍選手のシングルを10試合の予定で'05年9月にスタート。
第3戦まで天龍さんが3連勝した後に第4・5戦をマグナム選手が勝って3勝2敗。
(第4戦は後楽園の放送席に座っていた天龍さんをマグナム選手が呼び込んでの緊急決定試合)
この後マグナム選手が負傷で長期欠場となり(結局そのまま'07年に退団)、龍魂十番勝負の残り5戦はモチフジと神田裕之選手(トライアングル戦線での代打でルネッサンスに組み込まれた)に引き継がれました。
'06年一杯まで行われた後半5戦は天龍さんが全勝。龍魂十番勝負は天龍さんの8勝2敗で終了しました。
この時期「龍魂スペシャルマッチ」として天龍さんはタッグマッチでも闘っており、鷹ハル世代まではドラゲーマット上で天龍さんと対峙できる機会がありました。
龍魂十番勝負完結から8年余り。
岡村社長、是非とも引退までに天龍さんの招聘をお願いします。
ミレニアルズやビッグR清水選手とのカードを。
彼らが天龍さんから何を感じ、学ぶかを見てみたいのです。
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