芝新堀町児童遊園(赤土公園)でのZERO1「芝まつり2016プロレスNight!」、20時の時点でメイン前に蝶野正洋選手と地元消防団の皆さんによる、AED講習会の真っ最中です。赤坂へのハシゴは最初から無理でした(爆)

第1試合の途中に間に合いました。
第2試合が私にとってとんでもないボーナス!
ミックスドマッチ・引退直前スペシャル
アジャ・コング&金村キンタロー
VS
田中将斗&ダイナマイト関西
共に12月に引退試合を控える金村選手と関西選手が敵味方に別れての対戦。
おー、「カムアウト・アンド・プレイ」だ!そしてリングに上がって、アジャ選手と2人でブリブラダンス!
生で観たのはハッスルのパシフィコ横浜大会以来だから、いったい何年ぶりだろう?それが商店街のイベントプロレスで観られるとは思っていませんでした。
金村選手の必殺技・爆YAMAスペシャル(コーナー最上段からのダイビング・セントーン)は残念ながら観られずに、FMW時代から闘ってきた相手の田中選手がスライディングDで勝利。
直後にリングに上がってきたパフォーマンス集団の皆さんとの絡みがグダグダになったものの(その空気を読んだアジャ選手のマイクはさすが)、最後にみんなでブリブラダンスとなったのを観て、来て良かったと幸福な気分になれました。

書いている最中にメインが終わりましたが、将軍岡本選手のSMOP電撃加入が決定!
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今日は東京・港区の2ヶ所で入場無料のプロレス興行があります。
ZERO1芝赤土公園(18:00)
DDT赤坂サカス(12:30&20:00)
目黒駅前の現場で17時半まで仕事なので、終わって着替えて目黒から芝公園まで都営三田線で10分。第1試合には無理でも全4試合のセミなら何とかなりそう。後は唯一の火祭り公式戦・浜亮太VSフジタ“Jr.”ハヤト戦がメインになるか、セミになるか。
そこから赤坂は……それから横須賀まで帰る時間を考えたら、明日も仕事なので涙を呑んでパス。
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週モバの熱戦譜を見ていたら、こんな試合が。

7.26新木場
ミスター雁之助プロデュース興行・鬼神道リターンズ20新木場
メインイベント
○はやぶちゃ
(16分1秒体固め)
ミスター雁之助×
※ファイアーバード・スプラッシュ

……って、ちょっと待て。
「はやぶちゃ」って、「鍛えてるからだー!」の蒼魔刀使いのあの選手が、帝京の学プロの時代に使っていたというリングネーム。
だとすれば最低でも来月の「インディーのお仕事」は見逃し厳禁だし、素顔でも例えば雁之助選手が参戦しているガッツワールドで「GWC王者VSDDTのエース」なんてスペシャル感充分のカードが。
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神戸ワールドがドラゲーで沸いたのと同時に、東では両国で大日本「両極譚」が大成功を収めました。
決定戦を含めて5試合のタイトルマッチの内、実にBJWタッグを除いた4試合で新王者誕生。
特にセミの世界ストロングヘビー級で新王者となった神谷英慶選手。そしてメインのデスマッチヘビー級選手権で新王者となった星野勘九郎選手。
おめでとうございます。そして感動をありがとうございます。
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「早稲田大学の学生会館の、薄汚れた二十七号室が私たちのたまり場だった。そこには詩人会と短歌会と俳句会が雑居していて、いつもビールの空壜や、アジビラの屑が散らばっていた。(中略)いつも、長身で痩せた上級生が一人いて、いつも早口でまくしたてているのが印象的だった。」

競馬をこよなく愛した詩人・歌人・劇作家で'83年に47歳の若さで急逝した寺山修司さんは、'79年初版の「旅路の果て」のロックプリンスの節の冒頭で、早稲田の2年先輩の大橋巨泉さんと出会った頃の印象をこう書いています。

今は大半が休刊してしまいましたが、'73年か'74年に小学館の学年誌に掲載されていた人気芸能人の小ネタ記事で、巨泉さんが「なんでもとくいだが、なかでもけいばはとくいちゅうのとくい。じぶんでも、ロックプリンスごうといううまをもっている。」という記事を読んだ記憶があります。まだ「馬主」という言葉を知る数年前。
'70年生まれのロックプリンスは、明け4歳(当時は数え年。現在なら3歳)になって未勝利を脱出すると、条件平場・特別を連勝して、滑り込みで日本ダービーに出走しました。
東スポの追悼記事で巨泉さんとロックプリンス、更に鞍上の横山富雄騎手(現役の横山典弘騎手の父)のスリーショットが掲載されていましたが、恐らくこのダービーのパドックではなかろうかと思います。
ハイセイコーブームに沸いた'73年の日本ダービー。27頭立て(当時のフルゲート28頭から1頭取消)の21番人気のロックプリンスは、勝ったタケホープからは大きく離されたものの、人気よりははるかに上の11着。健闘したとも言えます。
その後伸び悩んだロックプリンスは巨泉さんの元を離れて宇都宮競馬にトレードされ、ナショナルボーイと改名されました。北関東(今は全て廃止された宇都宮・足利・高崎の3場)では活躍しましたが、'77年にレース中の故障で競走中止。あわや殺処分になる所を助かった同馬は、巨泉さんの口添えで牧場で余生を送りました。

巨泉さんのロックプリンスへの愛情は、冒頭に掲げた「旅路の果て」で寺山さんが書かれています。また、ナショナルボーイとしての牧場での晩年を、漫画家のやまさき拓味さんが「優駿たちの蹄跡」の中で描かれています。
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