ステイゴールドは3歳時の'97年に未勝利を脱出、同年の阿寒湖特別で3勝目を挙げました。そしてここからがこの馬のある意味本領?
4勝目を挙げたのが'00年のJpnⅡ・目黒記念。そこまで3年近く、計26戦で[0-10-6-10](左から1着・2着・3着・4着以下)という、どうしても勝てない日々が続きました。
決して弱い訳ではない。2着の中には天皇賞が3回と宝塚記念という、時のスーパーホースが集まるGⅠが4戦もありました。ついたニックネームが「シルバーコレクター」。
'01年、7歳になったステイゴールドは海外で黄金の輝きを放ちました。
今はなきナドアルシバ競馬場でのGⅡ(現在はGⅠに昇格)ドバイシーマクラシックを快勝。かつての善戦マンが嘘のような快挙でした。
そして陣営が引退レースに選んだのが、同年12月のGⅠ香港ヴァーズ。
最後の直線、もうダメかと思いそうになった瞬間。日本中の競馬ファンが背中を押した。競馬の神様はきっと見ていてくれた。
最後の1完歩で他馬をかわして、引退レースで初GⅠ勝利という劇的な幕切れを飾りました。
これは産駒も晩成かな…と思っていたら、初年度産駒のドリームジャーニーが世代最初のGⅠ・朝日杯FSを優勝し、ファンを驚かせたものです。
その後も三冠馬オルフェーヴルや現役のグランプリ3勝馬ゴールドシップなど、次々と名馬を送り出してきましたが…

去る5日、今年最初の種付けを終えた後に体調を崩したステイゴールドは、その日の内に21歳の生涯を閉じました。
大動脈破裂だったそうです。
心から御冥福をお祈り申しあげます。
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現場の都合で今日は休みだというのに…
NHKのローカルニュースで、成田山新勝寺の豆まきを視て思い出しました。
池上本門寺の豆まきを、すっかり忘れてた…
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SAMURAIで生中継の新日後楽園。
セミ前でオカダ選手がファレ選手に負けた。
セミで中邑選手が永田選手に負けた。
AJが居ないとはいえ、この流れをしっかり断ち切ったメインの棚橋選手。
やっぱり締める人がエース、という事か。
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