第1次W☆ING、リングス、DDT等で活躍された木村浩一郎さんが、去る28日に肺炎で亡くなられました。
1969年11月生まれ、45歳の誕生日を来月に控えての訃報でした。

確か私が初めて名前を見たのは、第1次W☆INGでの「格闘三兄弟」でした。
柔道出身の徳田光輝、空手の齋藤彰俊、サブミッション・アーツ・レスリングの木村浩一郎というトリオとして売り出しにかかったのですが、程なくして団体が分裂。そしてユニットも自然消滅してしまいました。
齋藤選手は所属していた誠心会館の代表として新日との抗争に突入、これが後に反選手会同盟→平成維震軍へとつながってゆきます。
一方、木村選手はリングスに参戦。長井満也選手との試合が高評価を受けました。その後は「ヴァーリ・トゥード・ジャパン・オープン1995」でヒクソン・グレイシーと対戦。
プロレスでは新格闘プロレス・西日本プロレスに籍を置いた後、高野拳磁選手が率いていたPWCへ宇宙パワーX(2代目だそうです)として参戦。'96年にPWCが事実上の崩壊を迎える(この最後の大会に拳磁選手は来場していなかったらしい)と、所属していた高木三四郎・野沢一茂(現NOSAWA論外)・三上恭平(現MIKAMI)の3選手が翌'97年に立ち上げたDDTに旗揚げからスーパー宇宙パワーとして参加。当時まだ若手(MIKAMI選手に至ってはPWC最終戦でデビューしたばかり)だった選手たちに対する強大な壁として立ちはだかる役目を担われました。
MIKAMI選手によれば、練習や試合では非常に厳しく怖い先輩で、プライベートでは一緒に遊んでくれる優しい兄貴分だったそうです。
近年は栃木のEAGLEプロレス等にレギュラー参戦されていたとの事で、最後の試合はEAGLE'14・7・20小山大会での木村浩一郎&梅沢菊次郎VS藤原喜明&戸井克成戦でした。
この時に藤原組長とシングルで対戦する約束をされたそうですが、残念ながら永遠に叶わない事となってしまいました。
44歳で、早すぎますよ…
MIKAMIさんは訃報を知って号泣されたそうです。
PWC当時選手兼広報で、先年他界された「ニセ大仁田」森谷俊之さんと、今頃天国で再会なさっていらっしゃるのでしょうね。
心から御冥福をお祈り申しあげます。
[Web全体に公開]
| この記事のURL

1件中 1~1件目を表示


1