'70年代から日米を股にかけて活躍されたチャボ・ゲレロさんが、去る11日にアリゾナ州フェニックスの病院で亡くなられました。68歳でした。
1月に末期の肝臓がんが見つかり、既に手術も出来ない程度だったそうです。

ゴリー・スペシャルの元祖ゴリー・ゲレロを父に持ち、ゲレロ4兄弟(チャボ・マンド・ヘクター・エディ)の長兄、更には息子チャボJr.もWCWやWWEで活躍という名門一家。米国西海岸ではヘビー級戦線でも活躍しましたが、日本ではジュニアヘビー級で藤波辰爾(当時は辰巳)・木村健悟(当時は健吾)・大仁田厚選手らを相手にした闘いを繰り広げられました。
ご本人がベストバウトと語っていたと言われるのが、'78.10.20新日寝屋川市民体育館でのWWWFジュニアヘビー級選手権で藤波選手に挑戦した61分3本勝負。(WWWF=後にWWFを経て現WWE。この頃は先代ビンス・マクマホンSr.の時代で新日と業務提携していました)
チャボさんが1本目を丸め込んで先制した後の2本目、ドラゴンロケットを自爆した藤波さんが場外フェンスの無かった客席に頭から突っ込み、パイプ椅子の金具で目の上を切って大出血。ドクターストップギリギリの状態で2・3本目を短時間で連取して逆転防衛を果たした試合でした。
ベルトを獲った試合などではなく、負けた試合をベストバウトに選ばれたところにご本人の思い入れを感じます。

最後の来日は昨年11.27全日両国~11.28東京愚連隊後楽園の2日間。元気なファイトを見せてくれた、わずか2ヶ月半足らずでの訃報となってしまいました。

心から御冥福をお祈り申し上げます。
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