そう、日本人で唯一WWF(当時)ヘビー級王者になったんでした。
前にも書きましたが、当時のシリーズは今より長丁場だった事もあって、シリーズ中に同じタイトルの選手権が2試合組まれるのはよくある事でした。
あの時は徳島で猪木さんがボブ・バックランドを破って王座奪取。1週間後の蔵前国技館でのリターンマッチがタイガー・ジェット・シンの乱入でノーコンテストとなり、王座返上という形で猪木さんがベルトを手放したんでした。
プレゼンターを務めるのはスタン・ハンセン。新日で猪木さんとNWFヘビー級王座を争い(猪木さんを破って王者となったのはシンとハンセンだけ)、後に全日に移籍した後も、長年に渡って日本マットでトップ外国人であり続けた彼ですが、ブルーノ・サンマルチノの首を折ったり(ウエスタン・ラリアートではなくボディスラムの失敗でしたが)、AWA世界ヘビー級王者になったりと、米国でもれっきとしたレジェンドだという事を知らしめる起用です。
そう言えば、JBLのクローズライン・フロム・ヘルは、ウエスタン・ラリアートのオマージュだと聞いています。
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