東スポの坂口征二さんの連載「格闘半世紀 坂口征二」で東京オリンピックの柔道強化合宿に参加したくだりを読んで、改めて'04・6月発行の「やっちゃるけん!〜人間・坂口征二全仕事と日本プロレス史断章〜」の坂口さんの柔道時代を読み返してみました。
柔道家としての坂口さんは、あとほんの少しでオリンピックに手の届く存在でした。重量級(当時80㎏超)と無差別級(現在は廃止)で坂口さん・猪熊功さん・神永昭夫さんの3人の中から2人という所になり、最終的に重量級は猪熊さん、無差別級は神永さんで坂口さんは補欠になりました。当時の坂口さんは「打倒アントン・ヘーシンクの切り札」とも言われていたそうですが、'63年の日本選手権で坂口さんを判定で破った明大の先輩・神永さんが五輪決勝でヘーシンクに挑み、そして押さえ込まれて敗れました。
翌'65年、リオデジャネイロの世界選手権で坂口さんがヘーシンクと対戦し、判定で惜敗して銅メダル。そして優勝したヘーシンクはこれを最後に第一線を退きます。ただ…'68年のメキシコオリンピックには、柔道がありませんでした。
そして'67年2月、プロレスラー坂口征二が誕生します。
柔道は'72年のミュンヘン五輪で復活しましたが、無差別級優勝はウイリエム・ルスカに奪われ、日本人の優勝は'76年モントリオールの上村春樹さんを待つ事になります。
もしメキシコ五輪に柔道があったら、坂口さんはそこまで柔道家として現役を続行して、日本に無差別級初の金メダルをもたらしたかも知れません。
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