23日のDDT両国に向かう前、家を早く出て最寄りの駅(京急「浦賀」です)とは逆方向に、ちょっと寄り道をしてみました。
京急バス「観音崎」バス停の前に広がる小さな砂浜。今は正式な海水浴場の指定は外れていますが、観音埼灯台をはさんだ南側の「多々羅浜」(こちらは'54年にゴジラが初上陸した場所)と共に、地元の家族向けのビーチとして定着しています。
その砂浜の真ん中と、まっすぐ先の海中に建つ構造物。実は'70年代の初めまで使われていた桟橋の廃墟です。
戦前・戦中にかけて東京湾防衛の要塞地帯だった観音埼一帯。元は旧海軍の桟橋だったのではと思います。
今はすっかり海水浴場の飛び込み台と化しています。
キャリアの長いドラゲーファンの方は、これに見覚えのある方もおられるのでは。
この旧桟橋、かつて週プロに写真が載りました。
確か神戸ワールドのメインが横須賀享VSドラゴン・キッドの時だったか?掲載時期の記憶があやふやですが、「横須賀享」のはるか以前、中学生だったか?当時の望月享少年が海に向かってダイブ技をやっていたというのがこの桟橋跡でした。
鴨居四丁目のこの桟橋から、「横須賀一丁目」への歴史がつながっている。
横須賀在住プロレスファンのささやかなお国自慢です。
京急バス「観音崎」バス停の前に広がる小さな砂浜。今は正式な海水浴場の指定は外れていますが、観音埼灯台をはさんだ南側の「多々羅浜」(こちらは'54年にゴジラが初上陸した場所)と共に、地元の家族向けのビーチとして定着しています。
その砂浜の真ん中と、まっすぐ先の海中に建つ構造物。実は'70年代の初めまで使われていた桟橋の廃墟です。
戦前・戦中にかけて東京湾防衛の要塞地帯だった観音埼一帯。元は旧海軍の桟橋だったのではと思います。
今はすっかり海水浴場の飛び込み台と化しています。
キャリアの長いドラゲーファンの方は、これに見覚えのある方もおられるのでは。
この旧桟橋、かつて週プロに写真が載りました。
確か神戸ワールドのメインが横須賀享VSドラゴン・キッドの時だったか?掲載時期の記憶があやふやですが、「横須賀享」のはるか以前、中学生だったか?当時の望月享少年が海に向かってダイブ技をやっていたというのがこの桟橋跡でした。
鴨居四丁目のこの桟橋から、「横須賀一丁目」への歴史がつながっている。
横須賀在住プロレスファンのささやかなお国自慢です。
[Web全体に公開]
2009年08月30日 00:59 |
0件のコメント