かつて全日で天龍源一郎選手との「龍原砲」で人気を博した阿修羅・原さんが28日、入院先の長崎県諫早市近郊の病院で肺炎の為亡くなられました。
享年68。

社会人ラグビーの近鉄時代に日本代表としてキャップ16を獲得、更に日本人初の世界代表選出という栄光を背負って国際プロレス入り。本名の原進でデビューした後に、ラグビーファンで知られた作家・野坂昭如さんの命名で「阿修羅・原」と改名しました。
'80年代に爆発的な人気を誇った「爆弾小僧」ダイナマイト・キッドの初来日は国際プロレスであり、最初の日本人ライバルは原さんでした。
後にヘビー級に転向してIWAタッグ王者となり、このタイトルの最終保持者となりました。
国際崩壊後は全日に活躍の場を移し、ここで天龍選手との運命的な出逢いを果たします。
闘って意気投合した2人は龍原砲を結成。一躍大人気チームとなりました。
インターナショナルタッグ選手権(現在の全日世界タッグ選手権の前身の一方)を巡る五輪コンビ(ジャンボ鶴田&谷津嘉章)との抗争が思い出されます。
しかし一方で金銭にルーズという欠点があり、遂には控室や記者会見場にまで借金取りが押し掛けて来る事態になり、「私生活の乱れ」を原因として全日を解雇されてしまいました。
原さんが復活したのは、全日を離脱した天龍選手が移籍したSWSのリングでした。(註:初稿では「SWSを経て立ち上げたWAR」としていましたが訂正します)
そうしてWARで現役を全うした後は母校でラグビーを教えていた事もあったそうです。
ここ数年は肺炎や、3年前には心筋梗塞も患っていたそうで、入院生活が続いていたようです。
心から御冥福をお祈り申しあげます。

今回の記事を書くに当たっての参考にと某サイトを閲覧してみたら、WWEが公式でかつての「AWAの帝王」バーン・ガニアさんの逝去を伝えていました。
享年89だそうです。

改めまして、2人の偉大なレジェンドの御冥福をお祈り申しあげます。
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1件のコメント


  1. by- on 2015年5月6日 @13時38分

    学生プロレスからの絆ですね♪