昨日ベルトから値札を思いっ切りブラ下げてた男性オペレーターの話を書いたが、昨日帰ってから少し経つまで何でまたそんなシチュエーションになったのかが気になったままだった。

朝になったら忘れてたが。

2年前にもかなり「なぜ?」と想像をかきたてられた出来事があったのを思い出した。

このブログを始める前だったと思う。札幌駅までの駅前通りを歩いていたときで、地下の出入口から女性が出てきて俺の前を歩き出したのだが、何と、チュニックの下からトイレットペーパーを1メートルくらい引きずっていたのだ!!

注意するべきかどうか迷うより先に、何でそんなことになったのかという想像を俺は例によって一瞬のうちにしていたのだが、そうこうしてるうちに俺の近くをお喋りしながら歩いていた2人組のオバチャンが、
「あんら、ちょっとぉ!!」
と笑いながら彼女に小走りに近づいて肩を叩き、教えてあげていた。

その女性、かなり打ちのめされたような表情でトイレットペーパーをむしり取って放り捨て、そのまま目撃者たちと一緒にまっすぐ札幌駅に向かって歩くのは耐えられなかったのだろう、また別の入口から地下道へと入ってしまった。

あれはもう、文字通り穴があったら入りたいという心境だったに違いない。

しかし、今でも不思議なのが、例え公共のトイレを利用したとして、何でまたあんなに長いトイレットペーパーを引きずるような羽目になったのだろうということ。

映画『メリーに首ったけ』の主人公が、己の分身を勢いよく引き上げたズボンのファスナーにはさんでしまった際にどういう訳か「ソーセージよりも豆の方が上」に来てしまったという、あの謎を考えたときの気持に限りなく近い。

くだらないこと書いてるうちにそろそろメイク直しして休憩室を出なきゃ。

今日も絶対に流通金額1位になってやる!!
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予想通り「生まれて来なければよかった」状態で、嫌々ながら起床。

だが、録画した『スチュワーデス物語』観たさで何とか起きられたので、いったん観始めると大爆笑してしまいすっかり目が覚めた。

何度観てもおかしい。生活の潤いだなぁ、大映ドラマは(笑)。

ところで、実家のお父んからくだらないノロケ話のメールが来た。

スーザンが、
「ジイちゃんと一緒に寝る」
と自ら布団に入って来たのでデレデレ状態になったお父んは、
「じゃあ、ジイちゃんにご本を読んでくれる?」
と言ってみたら、早速スーザンは『桃太郎』の絵本を持って来たそうで。

だがまだ字なんか読めるハズもなく、かなり簡素化した『桃太郎』となる(笑)。

冒頭の、桃の中から赤ちゃんが生まれるシーンからしていきなり省略するので、「どうしたの?」と尋いたところ、
「赤ちゃんは、嫌い」
と言って先を進めたとのこと。

今ノエミさんのお腹の中には第2子がいるので、早くもお母さんを奪られる危機感を覚えているのではないか。

スーザンはお母さんが一番大好きだからなあ・・・

しかし、驚いた。

さて、ちょっと急いでメイクするか・・・14時から勤務は一番人が多い時間帯だから今から憂鬱・・・
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困った。まだ眠くない。

今日は14時から勤務なので、遅くとも10時には起きないとならんのに。

眠れないから1990年7.22の思い出なんか書いちゃおうか。

この日の興行で妙にインパクトがあったのが、オープニングの木村 健悟の歌謡ショー。

女性歌手とのデュエットで、素晴らしく派手なシルバーの衣装で歌い上げるその曲名は『デュオ・ランバダ』。

ランバダ、流行ってたからなあ(笑)。

キムケンが歌をリリースしたのは知っていた。だが当時の俺は頭が固く、キムケンに恨みはなかったが、プロレスのリングでプロレスに関係ないことをされるのがあまり好きではなかったから、
「まさかリングで歌うとは!!」
と呆気に取られて観ていた。

で、キムケンは歌を歌っておいて試合に敗けた。

もう1つの衝撃が、当時新日本プロレスに参戦していた北尾 光司が何か外国人選手と異種格闘技戦をしたんだよな・・・名前がどうしても思い出せないのだが。

前田 日明兄さんを標榜したようないでたちの北尾がどんだけ凄い試合を見せてくれるのかと思いきや、技も何もなくメチャクチャつまらない試合だったことだけはハッキリ覚えている。

最後はバックドロップか何かで北尾が勝ちとなったのだが、あまりにもつまらない試合だったので物凄いブーイングだった。

そして、件の橋本vsチューリンだが・・・

ホント当時の新日本プロレスは異種格闘技戦のためにソ連やカナダなどから柔道界やボクシング界の大物選手をよく招聘していたものだ。

藤波もリチャード・バーンていう人と闘って、一時期は「ボクサーに転向か」とか騒がれてたし。

このアレクセイ・チューリンも「全盛期の山下選手を脅かした」と、解説席では語られており、この体格だけでも物凄い威圧感。

両手をこんなふうに上げるだけでも2メートルを越す体格が一層デカく見えた。

テレビを観ながら当時の記憶が次々と明確に蘇ってきて気分がよかった。第1ラウンドではこんなに背の高いチューリンの頭にキックが届くハズもなく、ミドルキックも分厚い体には効きそうになくてなかなか踏み込めない橋本。

このチューリンにあまり踏み込むと下敷きになってしまう為、1歩踏み込むところを半歩踏み込みで隙を見てパンチ攻撃。

試合は第2ラウンドで大きな展開を見せる。大外で巻き込むようにして橋本を投げ、顔面そしてあばらの上にのしかかりスリーパーを極めるチューリン。

危うくゴングに救われた橋本だが、第3ラウンドでは構えるチューリンの両手があまり上がらなくなって来た。

それは「スタミナを消耗している証拠」とは解説席の小鉄さんの弁だが、そこをローキックで活路を見出し上半身が前に下がったところを頭突きの連発、そして起死回生のバックドロップ!!

バックを取った橋本がスリーパー。チューリンがマットをタップしたが、思いっ切りリングの外にチューリンの足が出ていたのである。

「ロープ!!ロープ!!」と、つい小声で叫んだが、次の瞬間『爆笑宣言』あっ、間違えた、『爆勝宣言』が流れ出し橋本の勝利となってしまった・・・

橋本が勝つところは確かに見たかったが・・・疑問の残る格闘技戦だったなあ。

テレビでこうして改めてじっくり観てもやっぱり、あれでよかったのだろうかと思ってしまう。

疑惑のレフェリングはミスター高橋だけじゃなかったのだっ(ちなみにこの試合のレフェリーはタイガー服部)。

という訳で、気が済んだから寝る。

10時には起きられますように。
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やっぱりすぐには寝つけず、今夜は蒸しタオルの後首と背中の上部分にクリームローションパックしながらキノコサラダを作って食べた。

食べながら、録画しといた『ワールドプロレスリングクラシックス』を観たのだが、自分が会場で観た試合が放送された!!

1990年7.22札幌月寒グリーンドームで行われた橋本 真也vsアレクセイ・チューリン。

当時妹がとある娯楽施設の社長さんと付き合っていて、その方がもう、凄いプロレス狂。

たった1度だけ妹と2人で俺の独り住まいに遊びに来てくれたことがあったのだが、妹が引くくらい(笑)プロレス談義をしたっけ。

で、ツテでリングサイド席を用意してくれるというので、コッソリとお言葉に甘えて観に行った興行である。

なぜ「コッソリ」だったかというと、当時は札幌のプロレス会場といえば中島体育センターと月寒グリーンドームしかなく、俺を含め一緒に観戦していた仲間はいつも皆2階自由席ばかり買っていて、
「絶対2階席の方がよく見えるよな!!」
「1階席なんかで観る奴の気がしれないよな!!」
と言い合っていたからである。

半分は本気、半分は金がなくて高い席が買えない負け惜しみだったのだが。

俺も中島では何度か1階前列で観た経験があるが、ウロウロ歩き回る人が多くて落ち着かず、イライラしたのでそう思うようになってしまったのである。

確かに2階席の方が雛壇になっているのでよく見えたし。

今思えばやはりリングサイド席は、席を行き来しながら挨拶し合っている人たちが多かったので、選手がお金を落としてゆく店の関係者やそのお客が大半を占めていたのだろう。

それに比べて2階席はコアというか、ホントに真剣に試合を観に来ている人たちばかりで、そこに1人でまたは仲間たちといると何となくホッと出来た。

その橋本 真也が初の異種格闘技戦を行った日に、俺はアリーナ席の前から確か3列目だったかな、放送席のすぐ後ろという物凄いロケーションで観戦した訳である。

テレビに映るかなと思ったが、猪木の真後ろだったので全然映らず(笑)。

そう、橋本の試合のときは猪木が解説席に来たので、そのおかげで「仕事だが行けたら当日券で行く」と嘘をつき地味な格好をして行ったにも関わらず2階席にいた仲間たちからはリングサイド席にいたことがバレてしまった。

2階席からはリングだけではなく、客席までもがひじょうによく見渡せるのだ。

「何、アリーナ席で観てるんだよ!!」
と翌日電話で散々罵られたのは言うまでもない。
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