サンレモ音楽祭が開催され,先にステージに立ったルイジが歌い始めたが…

今にも卒倒するんではないかというくらい,厳しく思い詰めた顔つきで,失敗フラグがビンビンにおっ立っていた。

しかもこの『青春の墓標』って曲…私はカンツォーネはあんまり解らないけど,何だかヘンな曲に思えたよ(笑)。

ついでに書くと,歌声も気色悪かった。

途中で歌うのを放棄してステージを去って行ったルイジを,ダリダは心配で追いかけようとするが,出番が次なので名前を呼ばれてしまう。

同じ曲を歌い始めるが,その差は歴然。

映画ではあまりにもはしょり過ぎてダイジェスト的になっているため,あれだけラブラブだったルイジが,どういういきさつでダリダに劣等感を持ち,追い詰められていったのかは解らないのだが,音楽祭の後は無謀な運転で八つ当たり。

打ち上げ会場に到着するも,機嫌を直して一緒に出席しましょうと促すダリダを1人下ろして,ルイジは走り去ってしまう。

心配で打ち上げ会場を早々に後にしたダリダは,ホテルのルイジの部屋に向かうのだったが…

何と,ルイジは拳銃自殺していた。

「人生に疲れたわけじゃない」と書き置きを残して(じゃあ,何でなのか書きなさいよ!!)…

ルイジの亡骸を抱きしめ,大号泣するダリダ。

そんな彼女が1ヶ月後に同じ部屋で,後追い自殺を図るのである。

実はこの映画,ルイジの後を追おうと考えているダリダが,空港にやって来たブルーノといとこ(名前は忘れた)を「1人で大丈夫だから」と追い返し,じっと待合室で過ごした後,飛行機に乗ったと見せかけて空港を出,タクシーに乗ってルイジと過ごしたホテルに向かうところから始まるのである。

この空港のオープニングシーンでダリダが着ていたバーバリーのトレンチコートがもう,素敵過ぎて素敵過ぎて…

借金してでもいいから欲しくなり,クレジットカードを引っ張り出してバーバリーに買いに行こうかと思っちまったわ,夏なのに(笑)。

等身バランスと顔が違うんだからやめておけ…と必死に己に言い聞かせて,何とか思い止まった訳だが。

主演女優のスヴェヴァ・アルビティは長身なのでワイドパンツもよく似合い,トレンチコートと同色のスカーフをマチコ巻き,大きなフレームのサングラス…という装いが本当にカッコよかったなぁ。

発見が早く,自殺は未遂に終わる。

彼女を心配して病院にやって来たブルーノ,リュシアン,そしてジャンが精神科医に語る回想シーンでようやく映画の中での"現在"にピントが合ってゆくのだ。

退院し,ルイジの死から懸命に立ち直ろうと,哲学書を読み漁るダリダ(何か,かえって逆効果のような気が…)。

そこへ兄のオルランド夫婦が,生まれたばかりの息子を連れてやって来る。

自分もいつかは子供を持ちたい…と思っているダリダは,甥っ子を愛しげに抱き上げる。

自分の人生がどんなに大変でも,身内の幸せを自分のことのように喜ぶ姿が涙を誘うのだが,よりによって甥っ子の名前はルイジ。

お兄さん夫婦は「嫌なら別の名前にする」とか言ってたけど…そこまでしてつけたい立派な名前なのかな,ルイジって。

それでもダリダは愛おしそうに笑って,「ルイジ…ルイジ…」とキスを浴びせる(涙)。

ようやく立ち直り,もう1度イタリアで歌うことを決めたダリダは,空港でも大歓声で迎えられる。

押し寄せるファンの1人で学生めいた若者が,ルイジの大ファンだったと言って,ルイジの書いた詩や言葉を集めて作った薄い本を,ダリダに差し出した。

若者に興味を持ったダリダは,ガードマンに命じて,彼をホテルに呼び寄せる。

礼儀正しく真面目な青年で,名前はルチオ。

やはり学生で哲学を専攻しているが,今は休学して働いているのだと言う。

静かに語り合ううちに惹かれ合い,親密になってゆくのだが,ルチオが12歳も年下であることを考え,懸命に理性を保とうとするダリダ。

だが,クリスマスに「どうしても会いたかった…!!」と言って,イタリアからヒッチハイクでモンマルトルのダリダの邸まで会いに来たルチオを愛しいと思う気持を,止めることは出来なかった。

家族でクリスマスパーティーの最中,アポなしで訪ねて来たルチオを,家族は戸惑いながらもおおむね歓迎ムードだったのに,ブルーノだけがさっさと帰ってしまう。

このブルーノ,絶対シスコンの気があると思った…とにかくお姉さん大好き,お姉さん第一だもん。

マネージャー業を務めてる時点で自分の人生を姉に捧げてると云ってもよく,姉に寄って来る男性を見る目も厳しい。

ルイジとの恋が悲劇に終わったことで,「会わせるのではなかった」とひどく後悔してたし。

若いルチオを一目見て,姉の名声にタカッてきたクソガキが…と思ったのだろう。

ダリダは確かに富と名声があり過ぎて,釣り合いの取れる相手はそうそういない…と一般的には思われてしまうのは仕方がない。

彼は18歳になったばかり
若さゆえの自信に満ちてたわ
彼が着替えを始めると
もう私の負けよ また孤独に戻るの
引き止めたくても行かせてしまった
平気な顔をして

有名な『18歳の彼』が流れるなかでの愛のシーンは切なかった。日本語訳も出てたせいで。

この歌はルチオがモデルになった歌だったのだなぁ…と涙の出る思いだった。

ルチオのまっすぐで純情な愛を受け止めはしたが,蜜月は長くは続かなかった。

ルチオとの子を身籠ったダリダは,若いルチオの将来を考え身を引く決意をする。

妊娠したことをブルーノといとこ(劇中で名前を呼ばれないので,名前が解らない…可愛い子なんだけど)とに告げると,思いの外喜んでくれ,みんなで支えるから産むようにと言ってくれるのだが…

子を産むからにはきちんとした両親の揃った家庭を築いてからにしたい…と譲らない。

ルチオには,ガードマンに手紙と小切手とを手渡してもらうだけで唐突に別れを告げる。

「もう私に連絡しないで。このお金で勉強を続けてね」

悲しそうにホテルを去ってゆくルチオ。

48歳の自分が36歳の男性とつき合っているパターンとは訳が違うからなぁ…

34歳の時点で12歳年下というパターンなら,この決断は私個人的には賢明だったと思う。

ただ,このルチオ青年…超大物有名人の恋人だというのに浮わついたところがなく,人前でも常にわきまえている感じが凄く好感度が高かった。

確かに年齢こそ離れていたが,歴代のダリダの恋のお相手の中では一番まともで健全な印象だった。

どんなにかダリダはルチオを離したくないと思ったことだろう。

ルチオに別れを告げたダリダは,ひっそりと中絶手術を受ける。

たとえ結婚はしなくても子供の誕生を喜び,「みんなで支えるから」と言ってくれたブルーノたちの言葉に甘えたらよかったのに…

中絶を決心したダリダが聖堂に行き,涙をこぼしながらマリア像に祈る姿を見てションボリしてしまった。

続く。
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全国の奥さん,こんに痴話。

例によって5日連勤後の木・金曜日の連休でつ。

昨日はスガイディノスにて『SUKITA~刻まれたアーティストたちの一瞬』の後,公言した通り,シアターキノにて3回目の『ダリダ~あまい囁き』を観に行って来た。

昨日はファッション,メイク,ネイルを中心にじっくり観て来たよ。

話は変わるけど,最近ショックだったことが…

私は今まで,仕事にはコンタクトレンズとメガネ半々の装用だったのだが,最近とみにコンタクトレンズの長時間装用がつらい。

先週のある日,たまたまコンタクトレンズを装用するのを忘れて職場に着いたのだが,休憩時間近くまで裸眼でいることに気づかなかった。

かえって,裸眼の方が見えやすいじゃねえか!!…と驚愕。

言い換えれば"老眼"ということなのだが,パソコンを見る分には裸眼でも全く支障がなかった。

かえってコンタクトレンズを装用している方が見えづらいという事実に大ショック。

今までの苦労は何だったのか。

だが,やはり帰り道は深夜で危ないので(いや,いくらこっちが気をつけていてもね,自転車やスケボーがいきなり突っ込んで来るから),いくら徒歩5~6分と云えどもメガネはかけようと思った。

さて,話は戻って映画『ダリダ』の続きです。

ようやく結婚するも,もうリュシアンのことは単なる仕事上のパートナーとしか思えなくなってしまったダリダは,パーティーで出会った画家のジャン・ソビエスキーと恋に落ちる。

これが結構堂々とつき合ってるもんで驚きなのだが,デイツのシーンをマスコミに撮られて新聞にデカデカと掲載されてしまう。

怒ったリュシアンはわざと目につくところに新聞を置き,ダリダを問い正す。

記事は本当よ,と認めるダリダにさらに怒りを増幅させたリュシアンは,
「有名になりたい男が寄って来て利用しているだけだ」
「彗星のように現れた君は一瞬で転落する」
「それでなくとも,もう世の中はツイストとロックの時代なんだ。もう君は終わりだ」
などと喧嘩を売るような言葉を吐いてしまう。

すでにリュシアンへの愛は冷めきっているダリダは,「部屋は好きに使って」と言って家を出て行くのだった。

ジャンのためのアトリエを用意し,ジャンとの愛に生きるダリダだったが,リュシアンはラジオでダリダの曲はかけない,コンサートの宣伝も一切しない…というやり方で仕返しし,新しい妻と生活し始める。

世論もダリダには厳しく,「浮気をした女に歌う資格はない」などと思うファンもいた。

だが,それでも観衆はダリダの歌を求めた。

宣伝なしでもチケットはソールドアウトで,オランピア劇場は超満員。

オープニングはまばらだった拍手も,いったんダリダが歌い始めると皆が夢の世界に連れ込まれ,曲の終わりにはスタンディング・オベーション,「ブラボー!!」の歓声が湧き起こるのだった。

部屋にいながらドキドキしてラジオでの生放送を聴き,ラジオを抱えて一緒に熱唱しながらダリダを応援していたジャンの姿がなかなか可愛かったが,曲はかけなくてもコンサートの生放送はあったのね(←素朴な疑問)…

コンサートの大成功を2人で祝おうと(多分,約束していた),ささやかだが花と酒を用意して待っていたジャンだが…

ダリダは来なかった。

その頃打ち上げでは,リュシアンが素直な気持で成功を祝い,ダリダの実力と人気を認めてくれた。

遺恨は去り,抱きしめ合う。

ジャンは歌手としてのダリダを愛してはいたが,常々から「歌はやめて,僕だけの女神になって」と口にしていた。

リュシアンとの絆に太刀打ち出来ないものを感じたジャンは,そっと身を引くのだった。

心機一転,弟のブルーノと芸能会社を立ち上げたダリダは,活躍の場を広げるため,サンレモ音楽祭に出場を決める。

イタリアの人気歌手,ルイジ・テンコの『青春の墓標』を歌うために。

歌手であり作曲家でもあるルイジと会い,打ち合わせやレッスンをするうちに,2人は恋に落ちた。

秘密の逢瀬が,始まった。

ハイデッガーを信奉するルイジは,寝物語によく破滅的な言葉を口にするのだった。

「人は死に向かって生きる存在だ」

だが,そんなタナトス思考のルイジの腕の中で,ダリダは,
「私は愛に向かって生きる」
と言って微笑むのである。

続く。

ここで,画像を。



現在もシアターキノで好評上映ちうの『犬ヶ島』のフィギュアが飾ってあったので,撮ってきたよ。

この映画も凄かった。とにかく,見るところがいっぱいあるの(←頭の悪い文章)。

あんまり見所があり過ぎて2回観に行っちゃった。
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エジプトで何本かの映画に出演した後,「君はきっと物になる。フランスに行くといいよ」という,ある人物の言葉を真に受け,単身フランスに渡ったダリダは,しばらく芽が出ず不遇の時代を送る。

この映画では全く描かれていなかったが,オーディションを受けては落とされ,女優業に見切りをつけて歌手として歩み始めるもやはり同じで,じり貧の日々だったらしい。

ナイトクラブの歌手として働きながらオーディションを受け続けるダリダだったが,とうとうスターへの扉が開かれる。

『明日のスターを探せ』というオーディションに登場したダリダは,大物プロデューサーのリュシアン・モーリスの目に留まり,即芸能事務所と契約。

「彼女をスターにしたい」という衝動を抑えることが出来なかった…と語る彼のセリフを聞き,それはやむなき…と思った。

ダリダは特に歌唱力に秀でていた訳ではなく(御無礼)一定レベル以上のものだが,やはりその美貌とスタイル抜群の長身から発せられる尋常じゃないオーラがそう思わせるのだろう。

そして何より,低めで甘い,どこか哀し気なやさしい歌声。

華やかな衣装に包まれ,ライトを浴び,長い腕を差し出しながら表情豊かに歌う姿は,ただそれだけで絵になり,観衆は彼女の世界に引き込まれる。

こうして本格的にシャンソン歌手としてデビューしたダリダは,セカンドシングル『バンビーノ』が大ヒット。

フランスに渡って2年で,一躍大スターとなる。

あらゆる雑誌の表紙を飾り,社会現象にまでなったというのだから,当時はファッションや髪型,メイクを真似する女性が後を絶たなかったのであろう。

出す曲は次々と大ヒットし,フランス国外…イタリアや故国エジプトでもコンサートは大成功(ただし,映画では描かれていなかったが最初のアメリカ遠征は大失敗)。

順調にキャリアを伸ばしていったダリダは,仕事のパートナーとして長年共に歩んできたリュシアンとの愛に悩んでいた。

リュシアンは妻帯者だったが,ダリダを愛してしまい,離婚する。

離婚してくれたはいいが,スターとしてのダリダのキャリアを第一に考えて行動する男で,愛し合っているというのになかなかプロポーズをしてくれなかった。

ゆくゆくは普通の女性として子を産み,家庭を築くことを望んでいたダリダだったが,リュシアンに妊娠を真っ向から反対されてしまい,そうこうするうちに愛は冷めてゆく。

知り合ってから5年目にしてようやく指輪を手にプロポーズしに来たリュシアンを,三面鏡に向かっていたダリダが振り返るシーンが印象的だった。

真ん中の鏡に映っているダリダは,微かながらも笑みを浮かべて振り向いているのに対し,右の鏡のダリダは「愛は冷めたわ」,左の鏡では「友人にしか思えない」と内心を吐露するのだ。

…にも関わらず,次のシーンでは式を挙げている2人。

家族からも関係者からも祝福されて,幸せいっぱいに見える披露宴だったのだが,ダリダの表情が浮かないことに気づいたのは,弟でありマネージャーでもあるブルーノだった。

続く。
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ダリダは,エジプトのカイロ生まれである。

本名はヨランダ・クリスティナ・ジルロッティ。

ムッソリーニ政権によるファシズムの時代であったため,イタリアを出奔しエジプトにやってきた両親から生まれた。

移民の子である。

だが,生後間もなく目の病気になり,目を覆われて過ごさなくてはならず,ゆりかごの中でいつも泣き声を上げていた。

そんな赤ちゃん時代のヨランダを慰めたのは,父の奏でるヴァイオリンだった。

何度も手術を繰り返し,少女時代をメガネで過ごさなくてはならなかった彼女は,学校でも「メガネっ娘!!メガネっ娘!!」「ブス!!」とはやしたてられ,からかわれるエブリデイ。

今でこそモテアイテムとなっているメガネも,昔は容姿の印象を大きく割り引いてしまう,ハンデアイテムだったのだ…

目が悪くてメガネ宣告をされた,特に女の子は,「人生終わりだあああ」くらいに思ってしまうような時代。

自分は醜い…そう思い込んでいつも下ばかり向いているヨランダだったが,
「あなたはとってもきれいよ」
「お前は世界一の美女だ」
と両親に言い聞かせられ,惜しみない愛情を受けながら暮らしていた。

だが,ある日,カイロオーケストラのヴァイオリストの父が,ナチスとの関係を疑われて投獄されてしまう。

お父さんの連行シーンと学校でのいじめシーンでの子役ちゃんの泣き顔がもお,本当に可哀想で可哀想で…私は2度とももらい泣きしたよ。

そんなヨランダ,10代に突入した頃,とうとう手術が成功し目の病からは解放される。

同時にメガネからも解放され,容姿にコンプレックスを抱き続けてきた人生はイッキにバラ色に。

私にも経験がある…大学生になり痩せて,バイトでたくさん稼いで好きな服を好きなだけ買って着られるようになったとき,周りの態度が面白いくらいに変わった。

だから,自分の容姿に自信を持ってよいのだ…と確信出来たときの彼女の気持は痛いほどよく解った。

厳格なカトリック教徒の両親の反対を押しきって,モデル業をスタートさせたヨランダは21歳のとき,ミス・エジプトに選ばれる。

これをきっかけに女優業をスタートさせるのだが,『ダリダ』という芸名はこのときにつけられた。

日本では(確か来日もしている)「ダリダってダリだ(誰だ)?」という,しょうもない駄洒落が流行ったものだが,私はこの名前,圧倒的&絶対的美女をイメージ出来る響きで凄く好きだなぁ。

続く。
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私が今まで劇場に3回も観に行った映画には『少女革命ウテナ~アドゥレセンス・ラッシュ』『ワンダー・ウーマン』そして最近では『シェイプ・オブ・ウォーター』が挙げられるのだが。



先月末から公開されている『ダリダ~あまい囁き』も仲間入りしそうである。

実はこの映画,シアターキノの待合室のテレビでもシアターでもやたらと予告編が流れていて,主演女優さんが尋常じゃないくらい美しいのが目を引いた。

画面から放出される華やかなオーラに魅きつけられた人はひじょうに多いのではなかろうか。

ダリダとは,1950年代から1980年代後半にかけて世界各国で大活躍,ヒット曲を次々飛ばして社会現象を巻き起こし,物凄い数のレコードを売り上げたフランスの歌手である。

私はリアルタイムで彼女の活躍を目にしていた訳ではないのだが,小学生時代から洋楽に関してはひじょうに早熟な子供だったので,色々な曲を知っていた。

それというのも,個人レッスンを受けていたエレクトーンの先生が,私に何かと洋楽をたくさん聴かせてくれたからである。

S木K子先生という,30代の女の先生で,決して美人という訳ではなかった(御無礼)が,とにかくセンスがよかった。

いつもきちんとした,ベージュやブラウン,アイボリーを基調としたクラス感のある装いとメイクで,キリッとした佇まいの方だった。

子供だった私には今ほどの語彙はなかったが,「エレガンスとインテリジェンス」あふるる女性だ…という印象だった。

先生の自宅の一室でレッスンは行われたのだが,私のレッスン時間の前の人がよくお休み(ドタキャン)する人で,本棚にある『ベルサイユのバラ』や『風と木の詩』を読みたくて30分以上早く来ていた(今思えばウザいガキだったかもしれない)私に,先生はよく洋楽のレコードを聴かせてくれたのである。

私は同年代の子たちのように流行りの歌謡曲や世界の民謡・童謡などではなく,比較的大人向けの"ニューミュージック"や洋楽のヒット曲がレパートリーだった。

レッスン曲や課題曲はすべて,先生の選択である。

自分の弾いた曲のオリジナル曲をレコードで聴かせてもらい,
「これは元々は誰それの曲で,~~という意味の歌なのよ」
「これは映画『○○』に使われていた有名な曲で…」
などと,先生が解説してくれるのを聞くのが楽しかった。

ビートルズやサイモン&ガーファンクルはとりわけよく聴かせてもらったが,このダリダという人の曲もよく聴かせてもらった。

ジャケット写真の美しさには息を飲む思いだった。

先生に「このひと,きれい」と言うと,
「素敵でしょう…もう,大好きなの」
と少々興奮気味だったのを覚えている(笑)。

歌声も,心地よかった。

子供時代から聴覚過敏の気があった私は,甲高い声のヴォーカルが嫌いで,低くやわらかなトーンの歌声を好む傾向があった。

彼女の歌声はひじょうに耳心地がよく,曲もポップでキャッチーなものが多くて,聴いていて楽しかった。

先生はたくさん私にカセットテープをくれた。

そんな訳で,私は映画の予告編を観,『ベサメ・ムーチョ』を耳にした瞬間にテンションが上がると同時に,S木先生の思い出がよみがえってきたのだった。

で,今月1日にいそいそと観に出掛けた訳なのだが,ダリダのドラマチックな人生を描き切るには2時間という時間はあまりに短い…というのが第一印象。

この方,とにかく生まれたときからお亡くなりになるまで,映画のように…というか映画以上にドラマチックなのである。

それをこれから書いてゆこうと思うのだが,確かにダイジェスト過ぎはするが,ダリダを演じたスヴェヴァ・アルヴィティがとにかく美しい…!!の一言に尽きてまた観たくなり,昨日2度目でキノに足を運んで参りました(笑)。

今のところ,22日まで予定されてるらしいんで,来週も観に行く所存でございます。
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