リオ五輪の一部競技がいよいよ始まりました。
スポーツ観戦大好きな人にとっては家に居るだけでも忙しい?日々となります。
プロ野球や競馬中継はいつも通り。
7日からは夏の甲子園。
テレ朝チャンネル2では12日からG1両国3連戦生中継。
SAMURAIでは21日にSUPER J-CUP決勝生中継。
そこに五輪の中継が入ってくる。
嬉しい悲鳴と言うか何と言うか……がしかし。
7日にリオ五輪生中継のあるテレビ朝日の番組表に、開幕初日の「熱闘甲子園」が無い。翌朝のスカイAでも放送が無い。
朝日放送のHPを見たら……「8日から連日放送」。
即ち今年の「熱闘甲子園」は第2日から、という事実が。
地上波キー局はサブチャンネルを使う事を知らないのか、とつい思ってしまいます。
(悪魔の囁き――もしも7日の甲子園が雨で開会式から順延になれば、第1日から熱闘があるぞ)
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昭和の名司会者で競馬評論でも一時代を築いた大橋巨泉さんが、去る12日21時29分に急性呼吸不全の為に亡くなられました。
82歳でした。

幼稚園の頃に「巨泉×前武・ゲバゲバ90分!」「お笑い頭の体操」で巨泉さんを見て以来、'90年代初頭にセミリタイアするまで、アナウンサー出身ではない昭和の司会者のトップランナーは間違いなく巨泉さんだったと思います。
'66年にスタートし、ご自身が放送作家から司会者としてブレイクした「11PM」では当時TVで触れるのはタブー視されていたという麻雀や競馬を積極的に取り上げて陽の当たる場所へ導いてくれました。
私は「11PM」を視始めたのは実は'83年に大学生になってからでしたが、劇画原作者の小池一夫さんとゴルフ対決をしていた記憶があります。

巨泉さんの番組のレギュラーからスターになった人達も忘れられません。
「11PM」でイカサマ技を披露するなど、麻雀界のスターとなった小島武夫さん。
巨泉さんと共に「お笑い頭の体操」の顔と言えた5代目月の家圓鏡(現8代目橘家圓蔵)師匠。
「クイズダービー」の歴代「当たらない大学教授」の皆さん。(鈴木武樹・篠沢秀夫・北野大の各氏)
同じく「クイズダービー」で漫画家の機知を発揮しまくっていた、黒鉄ヒロシ・はらたいらの両氏。
「世界まるごとHOWマッチ」で日本語の達者な外国人タレントの新しいイメージを作ったケント・ギルバート、ケント・デリカット、チャック・ウィルソンの各氏。
みんな巨泉さんが彼等の専門ジャンル外に届くレベルのメジャーにしたようなものかも。
競馬実況の手腕を見込まれて東京12チャンネル(現テレビ東京)から引き抜かれた小倉智昭さんも含めて、巨泉さんによって人生のステージを引っ張り上げられたのだと思います。

改めまして、心からご冥福をお祈り申し上げます。

巨泉さんと競馬でもう少し書きたい事もあるのですが、それはまた稿を改めて。
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早大2年の19歳女性・南谷真鈴さんが、デナリへの登頂に成功。7大陸最高峰制覇の日本人最年少記録を更新する快挙を成し遂げました。
……で、「デナリ」ってどこの山?と思って検索してみたら、我々が「マッキンリー」として記憶していた山の事。
元々先住民の間では「デナリ」と呼ばれていたそうで、アラスカ地名局では'80年から、連邦地名局でも'15年8月31日からデナリに改称したそうです。

「エベレスト」と「チョモランマ」と「サガルマタ」が同じ山というのは知識として知っていますが、「デナリ」も早いところ覚えておかねば。

旧称の「マッキンリー」で植村直己さんを思い出すのは、私くらいの世代には大勢居るはず。
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今日はさして予定も立てていなかったので、家でゴロ寝しながらスポーツ中継を観まくり。
ゴルフ全米オープン、ル・マン24時間、巨人VS千葉ロッテ、高松宮記念杯競輪決勝。
録画しているのは「みんなのKEIBA」とワールドプロレスリングLIVE。
裏で注目の中継をザッピング三昧です。
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プロボクシングで3度の世界ヘビー級王者に君臨したムハマド(モハメド)・アリさんが、現地時間3日に呼吸器系の病気でアリゾナ州フェニックスの病院で亡くなられました。
74歳でした。

正直に言えば、アリさんの現役時代のボクシングの試合は、TVで一度しか観た記憶がありません。
但し'76.6.26武道館の「格闘技世界一決定戦」猪木VSアリは、当時小学6年生で生中継を観戦しました。
当時は世間からは酷評された試合となりましたが、私は15ラウンドを手に汗を握って観戦していた記憶があります。

猪木さんのテーマ曲「炎のファイター」は、映画「アリ・ザ・グレーテスト」の「アリ・ボンバイエ」をこの試合の後に譲られたもの。
この「ボンバイエ(ボマイェ)」から取られたのが、中邑真輔選手のボマイェ。
そして映画でも描かれたキンシャサの奇跡('74年に当時の王者ジョージ・フォアマンに挑み、圧倒的不利の下馬評を覆して8ラウンドKOで7年ぶりに世界ヘビー級王座奪回)は、ボマイェのWWEでの技名「キンシャサ」へと、記憶はつながってゆきます。

現役引退後、'80年代半ばからはパーキンソン病との闘いを強いられたアリさん。'96年のアトランタ五輪開会式で、震える手で聖火台に点火した場面は忘れられません。

心からご冥福をお祈り申し上げます。
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