ゆぐっちゃんがどこに行って何をしようと、彼女がいつも健やかで楽しく過ごすことが出来、輝けるように・・・と俺は祈っている。

いつも俺は、
「もしゆぐっちゃんが街でスカウトでもされて、すぐ写真集撮影なんてことになってそれがバカ売れして、テレビやCMでガンガン火が点いてCDデビューして、パリコレなんかにも出演するようになって、最終的にはどっかの、軽く油田でも持ってる男にプロポーズされてとてつもないセレブになる・・・なんてことになればいいなぁ」
などと半ば本気で夢見ていた。

「わぁ。そんなことにホントになればいいなぁー」
ゆぐっちゃんもそれを聞いて大ノリだった。

「美香輔さんといると何だかどんどん夢が広がるぅー!!」
と笑顔で目を輝かせるのだったが、こんなときのゆぐっちゃんは本当にチャーミングというか可愛らしくて、誰もが彼女に恋をするのではないかと思うくらいであった。

まあ、仕事中に一体何の話をしているのかと俺たちの会話を聞く人がいたら、きっと頭がおかしいと思ったにちがいないが、一目ゆぐっちゃんを見たら、この子がそんな壮大な夢を見るのも無理はない、この子にはその資格がある!!と考えるに決まってる。

さらに調子に乗った俺は、
「今から有名になったときのためにサインの練習、しときなよ」
と持ちかけたのだが、そしたら彼女はホントに自分のサインを考案し始めた。

俺も大いに協力し、一緒になって考えた。

ついに出来たのはティアラのように見えるローマ字のサインで、いかに早く格好よく殴り書くかがポイントなのでさっそく練習となった。

その日たまたま入電が少なかったので、熱中したゆぐっちゃんは尋常じゃない量のメモ紙を消費して自分のサインを何とか形にしたのだった。

そして、
「できた!!完成です!!」
と言って、俺にありがたくも記念すべき第1号をくれた。

俺はそのいかにも売れっ子モデルか歌手みたいな可愛いサインを(メモ紙にだが)大事に受け取り、クリアケースの中にそっとしまいこんだ。

「いつかゆぐっちゃんが超セレブになったら、これ、凄いプレミアつくだろうなー」
と言ったら、
「そうですよぉ。大事にして下さいね」
と大真面目な顔だった。

大事にするよ・・・それにもし君がセレブになっても、このサインは自慢こそしても売ったりなんか絶対にしない、と俺は心の中でつぶやいた。

ゆぐっちゃんがいなくなって2週間以上経つ。

そろそろ俺も彼女のいない職場というものに慣れ始めて来た。

悲しいが、やっぱり人はそうやって生きていかなくてはいけないからだ。

でも、ホントにゆぐっちゃんが映画みたいなシンデレラ・ストーリーを実際に生きてくれたらいいな・・・と今でも、そしてこれからも俺は願い続けることだろう。 (完)
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去年の今頃だったか、まだ俺が1時間休憩を17時前後に入れられていたときだった。

例のお気に入りの休憩室には結構隣の部署の奴らが同じ時間帯に休憩で来ていたが、その日はどういう訳か誰もおらず、「ラッキー!!」と思ったが、10分程経つと"アルマーニ野郎"が入って来やがった。

前々から大ッ嫌いだったので無視していたが、奴はことさらにやかましく音を立てて椅子を動かしたり、私物を置いたりホントにうっとうしかった。

何度か出入りしてたが、そのドアの開閉やドアノブの回し方すらひたすらうるっさい。

死ねばいいのにと思っていたが、傑作なことに奴は大休憩室の魔法瓶から湯を入れて来たらしいカップラーメンを思いっ切りこぼしたのだった。

俺は顔も上げず、全く注意を払わずに本を読み続けていてやり、手伝いなんかしてやらなかった。

「いい気味」と思って。

5分程かけて何とか自分で掃除をしてアルマーニは出て行ったが、何しに来たんだろ・・・って感じ!!ククク・・・!!

滑稽な奴!!

だからそのときの話を俺は怒っているゆぐっちゃんに、せめてもの気休めというかなぐさめになればと思い、話して聞かせたのだ。

いくらムカつく野郎でもいちいちそんなことがあった、などと周囲に吹聴したりはしていなかったのだが、ゆぐっちゃんがそのことを知れば少しはスッとするかなと思って。

アルマーニのみっともない話だけではなく、あのとき俺は他にも何とかして彼女を笑わせようとあれこれ喋りまくったのを覚えている。

あのとき一緒になって怒ったとて奴をぶん殴れる訳でなし、ゆぐっちゃんもますます不機嫌・不愉快な気分が増幅するばかりだったろう。

少しでも「ホント?!いい気味!!ザマ見ろって感じ!!」というふうな気分で帰り、翌日からの連休を一点の曇りもなく楽しんでくれたら・・・と俺は願いながら帰ったのだが、つくづく思わずにいられなかった。

ああ、俺はホントにゆぐっちゃんのことが大好きなんだなぁ・・・と。

変な意味じゃなく、本気で尊敬していて大事に思っているんだなぁ、と。

そのゆぐっちゃんを一瞬であんなにも不愉快な気分にさせやがったアルマーニはこれからも俺は許さない。断固、闘う。
         (続く)
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2晩続けて睡眠時間が3時間未満だった為、昨夜はいい加減にきちんと眠った。

それでも短時間ではあるが、すっきり目覚めた。

はっきりとは覚えていないのだが、変な夢を見た。

俺は街角で白いYシャツの男性(きれいめのお兄さんだったような気がする)にぶつかる。

その男性のシャツに赤いものが・・・「あっ!!口紅つけちゃった?!」と思って謝るのだが、よく見たら鼻血なのだ。

「クリーニング代を出させて下さい」、それがダメなら体で払います・・・と言いかけるも、その男性はにっこり笑って「大丈夫です、洗えば落ちます」と去って(逃げて)ゆくのだった・・・

目が覚めたとき右の鼻の穴の中が少しガビガビしてるんで、ヤな予感がしたが、やはり鼻血で固まっていた。

幸い枕などには付着していなかったが・・・夢の中だけではなく就寝中にもリアルに鼻血を出していたのかとビックリした。

昨日円華ちゎんのそっくりさんが目にもまぶしい白いシャツを着ていたのがあまりに印象的だったのであんな夢を見たのだろうか・・・

昨日そっくりさんは、19時台のプチ休憩でブース外に出る際、やたらと速い足取りで、しかもめっちゃ不機嫌そうな顔でドアに向かって歩いていた。

明らかにいつもと様子が違ったのでどうしても目が行き、「おだやかじゃない・・・」とひそかに思っていたが、多分不愉快な電話にでもとっつかまっていたのだろう。

でも、10分後に戻って来た様子はいつもどおりだったので、何とか気分を切り替えることが出来たと思われた。

余談だが、そっくりさんはそこの部署のオペレエタアたちの半分くらいがそうであるように何人かで連れ立ってべちゃくちゃ喋りながら歩き回ったりしない。

割と1人で休憩に行くし、業務終了したらさっさと帰る。

ごくたまに俺らの部署の後ろを通って行くときもあるが、まず不自然なルートをたどらないのでなかなかいい子だと思う。

余談が長くなってしまったが、ある友人が言うところによると、「女性は視覚で性的に興奮することはまずないので、何かを見て鼻血を出すとしたら相当男性的ってことだよ」とのこと。

嘘だぁ!!女性だってバリバリ視覚で興奮すると思うけど?!

会社のパソコンを立ち上げる際、画面の片隅に『ボーッとしてたいな』ブログの髪を両手で持ち上げるsexyポォズの円華ちゎんを小さくして貼りつけてるが、何度見ても心拍数が上がり鼻の下が30センチになるもん。

業務中は他の画面もたくさん使うから円華ちゎんの写真は見えなくなってしまうのだが、ふっと現れたとき、やはりすぐに頭に血がのぼってくるのが分かる。

世話の焼ける俺・・・

そろそろ死ぬネロ。←明日の『フランダースの犬』はいよいよ最終回!!

ところで、ようやくDHCの会誌が届いた。今月も届くの遅かったなぁ。気を揉んだじゃないか。

まあ、大目に見てやるけど。

来月買うつもりの新しいQ10シリーズ、早く使ってみたいなー。
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昨日はゆーみんぐと遅番で、管理はりりぃさんだった。

りりぃさんが珍しく「19時から3時間聴きたいチャンネルがある・・・」と言って来て、何なのかと思ったらウラディーミル・ホロヴィッツ特集とのこと。

超絶技巧と嵐のように情熱的な演奏で世界中を熱狂させたユダヤ人のピアニストである。

R&Bや洋楽ヒットチャートのチャンネルがお気に入りのりりぃさんがホロヴィッツなんかも聴くのか!!とビックリした俺は一も二もなく大賛成。

そんな特集をやってることすら知らず、調べたら今月は土曜の19時から22時まではホロヴィッツ特集らしい。

1903年キエフで生まれたホロヴィッツは、ラフマニノフのようなピアニストを目指してキエフ音楽院で作曲とピアノを学ぶが、1917年に勃発したロシア革命で一家は財産を奪われ、生活費のためにピアノを弾くことになる。

彼の演奏はまさに「奇跡」と称賛される。

だが、一党独裁下での演奏活動や生活に不満を感じて出国。

1926年、6ヶ月の出国許可でロシアを後にしたホロヴィッツだが、結局再び祖国の地を踏んだのは60年後のことだった。

"鉄のカーテン"を越え、西側に渡ったホロヴィッツはベルリンで衝撃のデビュー。

急病のピアニストの代役で。演奏曲はチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』。

彼の演奏は観衆を熱狂させ、すぐに2回目のコンサートのオファーが。

1928年にはニューヨークに渡り、アメリカの各地で大成功をおさめる。

語り草になっているのが、ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団との共演である。指揮が遅いので、ホロヴィッツは自分のペースで演奏を進めるのだが、批評家は「鍵盤から煙が出ていた」と評したという。

驚異的なテクニックと色彩を感じさせるかのような音色でホロヴィッツは「20世紀最高のピアニスト」と呼ばれるようになる。

一方で気難しく神経質な性格だったホロヴィッツは、世界中から招かれ演奏旅行が続くうちに神経をすり減らし、50を前にして引退してしまう。

だが、12年後に「カーネギーホールで1度だけコンサートをする」ということでカムバック。

チケットを買うために徹夜の行列が出来たとのこと。

勿論、コンサートは大成功に終わり、「奇跡のカムバック」と言われた。

1986年、ロシアに帰郷したホロヴィッツは、モスクワとレニングラードでコンサートを行う。

1989年には「最後のレコード」を録音するも、心臓発作で死亡。ミラノの墓地に埋葬されたという。

特集の後半はラフマニノフの曲が続き、入電がまるで少なかった為、俺は惚れ惚れと聴き入ってしまった。

「鍵盤から煙が出る」ほどの情熱的なスピードで曲を弾くピアニスト、ホロヴィッツの生涯・・・誰か映画化してくれないかな。

何だか面白そうじゃないか。
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