どちらにしようか迷っていましたがこの話を…ということで、一気に大関昇進まで駆け上がった栃ノ心についてお話を進めます。

初入幕からちょうど10年、60場所で大関昇進を果たした栃ノ心。5月30日に協会からの使者を迎えて昇進が正式に決定しました。特別かしこまった言葉を使わず、「親方の教えを守り力士の手本(と)なるように稽古に精進します」と素直な言葉で使者を前に決意を述べたように見えました。一時期親方に生活態度について激しく叱責され稽古が制限されたり膝の大けがで大きく番付を下げたりして、決して順風満帆ではなかったようですが、諦めずに戦い抜いて大関まで駆け上がりました。

データでも彼の不屈ぶりがいろいろと証明されています。
・一度三役に昇格も幕下55枚目まで転落した後に三役に番付を戻したのは戦後初
・三役に昇格も幕下まで転落した後に大関に昇進したのは昭和以降では琴風(現在の尾車親方)以来2人目
・初入幕から60場所での大関昇進は現在の6場所15日制が定着した1958年以降では増位山(現在の歌手・増位山大志郎さん)と並ぶ「最遅」タイ
・大関昇進までの3場所での通算勝ち星37勝は21世紀以降最多
逆境をここまで跳ね返してしまうということを考えるとポテンシャルは確かなものだと思います。ただ、これがゴールというわけではなくまだ横綱への道がつづいています。確固たるスタイルを得たことを強みにして横綱への道を突き進んで欲しいというものもあります。

ところで、新聞やテレビでは大関昇進、横綱昇進というときに四字熟語を使うかどうかを伝えたがっていますが、それって現在の貴乃花部屋のルーツにあたる藤島部屋の人たちが好んで使っていただけだろうと思うのは私だけでしょうか? 師匠の初代貴ノ花さんがそうしろと指示したという話を聞いたことはありませんが、四字熟語をつかいたがる空気は部屋にあったような気もします(「一生懸命」は一般的なフレーズだから「四字熟語使いました」感はありませんが)。

もう1つ迷ったテーマは例のアメフト問題ですが、これについては手短に。
選手は「言うこと聞かなければ後がない」という危機感があってありえない行動をとったのに、監督・コーチは「あいつ真に受けやがって」とせせら笑っているような構図が浮かんでいる気がします。そして、コーチと監督の間には忖度というか行間の読み合いが当たり前になっていることで恐怖支配が当たり前になっているような気もします。この主従関係が昔は当たり前だったかもしれませんが、対話を大事にする上下関係が重く考えられるような今はずれているのかもしれません。

では、また次回です。
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