25日まで行われた大相撲九州場所は貴景勝が初優勝。小結の優勝は2000年夏の魁皇以来、初優勝3人の年も2000年以来と、いろいろな意味で歴史に残る優勝となりました。部屋の解散・統合があった最初の場所で優勝というのも歴史的なものになったかもしれません。

貴景勝といえば小学校の卒業文集で披露した人生設計が注目されています。「中学卒業を機に貴乃花部屋に入門(プロ入り)し18歳で三役、20歳で横綱に昇進。そして優勝は35回以上」というもの。実際には埼玉栄高校に進学したため貴乃花部屋への入門が設計よりも3年遅くなっているものの、入門から三役初昇進までの所要期間はピッタリなんだとか。貴景勝(本名・佐藤貴信)を勧誘した埼玉栄高校の監督は「中学卒業してすぐにプロになっても壊れる危険があるからまずは高校で鍛えなさい。佐藤君にとって決して遠回りにはならないはずだから」と説得したといいますが、大相撲でもこういうストーリーが聞かれるようになったのかと感じています。プロ野球では甲子園で活躍した高校生が即プロ志望届を出さずに大学で4年鍛えそれからドラフトへという話を昔から聞きますが、大相撲は中学卒業即プロ入りというルートが当たり前だった時代が長かったのを考えると時代が進んだなって。

力士は立身出世のためになるものというイメージが人々の間に定着しているからか、アマチュアでの実績をひっさげてプロになる人が異質に見える時代が長かったから時代の進歩を感じるようになったのかもしれません。本気でプロを目指す気持ちは変わりないでしょうが、強化・育成の考え方は時代によって変わっていくのかなとも思います。貴景勝のような努力を重ねてトップクラスへ上がっていくのが当たり前になる時代はもう来ているでしょうか。

では、また次回です。
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17日にJ2が終わり、松本山雅FCが1位、大分トリニータが2位になってJ1返り咲きを決めました(J1昇格は松本山雅は2015年以来4年ぶり、トリニータは2013年以来6年ぶり)。更にJ2の3位から6位のチームとJ1の16位のチームによる変則入れ替え戦でJ1に加わるもう1チームが決まります。

先に昇格を決めた2チームだけでもいろいろ背負っているようです。松本山雅は2015年にJ1に初めて昇格も1年ではね返されてしまいましたが、反町監督が再建に尽力して返り咲きを果たしました。一方、トリニータはかつてナビスコカップ(現在のルヴァンカップ)で優勝したしたのに低迷を極めてJ3にまで転落してしまったこともありました。そこからの立て直しですから大変なものです。入れ替え戦に進むチームも久しぶりの昇格を目指すところばかりなので、各チームのサポーターの思い入れも物凄いものかもしれません。大相撲では幕内下位の力士が大きく負け越して十両に落ちても次の場所で優勝してすぐに幕内に戻るケースがまぁまぁありますが、Jでは最近お目にかかりません。まぁ、柏レイソルのようにJ1返り咲き即優勝なんてことができるくらいでないとそういう芸当もできないかもしれませんが。

大相撲でも長いブランクを経て上位に返り咲くケースが増えています。膝の大けがで1年棒に振ってしまい幕下の下位まで落ちたあとに大関にまで上り詰めた栃ノ心はもちろん、アキレス腱断裂から2年以上かけて番付を十両まで戻した豊ノ島も大変話題になりました。リハビリや医療の技術が進歩したからといえばそれまでかもしれませんが、こういった人達の後を追おうという思いの人が多くなったから簡単に諦めない人が多くなったのかなと思います。J2のチームも「いつかはJ1に」と諦めずに戦い続ける気持ちというのが大事なのかもしれません。

では、また次回です。
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今週もまた競馬の話です。
11日の京都競馬で12レース中11レースで外国人騎手が騎乗した馬が勝つという珍事が起こりました。前日10日の終盤2レースでも勝っていたため外国人騎手13連勝という記録も生まれました。

JRAでは1994年から最大3ヶ月まで中央競馬のレースに騎乗できる短期免許を外国出身の騎手に交付するようになり、外国人が多くのレースに騎乗しGⅠレースを制するのが当たり前のようになりました。地方競馬所属でも中央競馬の騎手に負けず劣らずの実力を持つ人もまた、中央競馬対地方競馬の対抗戦で存在感を増すようになりました。やがて、地方競馬所属の騎手と外国出身の騎手が、これまでのライセンスを放棄するのを条件に中央競馬の無期限ライセンス(一定期間の更新は必要)を試験に合格すれば取得できるようになりました。

「騎手の中途採用」が始まり、地方競馬出身の騎手や外国人騎手が年間勝利数ランキングの上位を占めるようになったのでこの日のような珍事がおきても不思議でない状況だったかもしれません。自分の馬に誰を乗せるかを決める調教師や馬主の間では「勝つためには生え抜きの騎手にこだわってはいけない」という考えが広まり、こういった騎手達へのオファーが増えたそうです。ただ、こういう考えは日本独特だという人もいるとか。中央競馬の短期免許を取得した経験があるドイツ人騎手によると、海外ではGⅠは自国の騎手に勝たせてあげたいという考えが支配的でよそ者には冷たいというんです。しかし、日本の場合は勝てる騎手なら日本人でなくてもいいじゃないかと考えられているので欧米よりも人種的にフェアだという印象があるそうです。お金を賭ける競馬だからこそ勝てる騎手ならいいという考えが成り立つのかもしれません。ただ、だからといってファンの間では生え抜きの中央競馬の騎手達を否定的にみていることはなく、「生え抜き達もガンバレ」という励ましの声も絶えないようです。切磋琢磨しあって世界に誇れる日本競馬を築けるようにしていけばいいでしょう。

では、また次回です。
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4日に京都競馬場でJBCの冠がつけられたGⅠレースが3つ行われました。同じ会場でGⅠレースが2つ行われたのは過去にもありますが、3つ行われたのは中央競馬史上初のケースとなりました。元々JBCは地方競馬全国協会主催で各地の地方競馬の競馬場持ち回りの大会として2001年から実施しているものですが、今回は試験的に中央競馬の競馬場でJRA主催の大会として行われました。GⅠが行われなかった昨年の同じ時期に比べて観客動員も馬券の売り上げもアップし一定の成果を残せたとJRAは評価しているそうです。

今回のJBCをきっかけに中央競馬でも1日に複数のGⅠレースを行う日を恒常的に設けてもいいのではないかという意見が聞こえるようになりました。ただ、JRAは一定の売り上げを安定的に出すことを優先したい考えがあるようで慎重になっているとか。推進派としては、1日に9つのGⅠレースを行うアメリカの「ブリーダーズカップデー」やアラブ首長国連邦の「ドバイワールドカップデー」、香港国際競馬など一定の成功をおさめていて世界的に認知されている大会が多くなっているから日本にもそれらに肩を並べるようなものを作るべきと考えているようです。一部の人からは年末の有馬記念開催日に昨年からGⅠに認定された2歳限定の「ホープフルステークス」と障害GⅠである秋の「中山大障害」を一緒にやればいいだろうと具体的な提案もあります。

CSを入れるほどではないけどテレビやラジオで競馬を楽しむのが好きな私としては抽象的な注目度だけでなく観客動員や売り上げなど具体的な成果も残せると思うのでやって損なことはないと思います。ただ、その日のGⅠレースを全部地上波で放送できるような体制も必要なのかなとも思います。GⅠレースは注目度も重要性も最も高いもの。だからこそ地上波での中継は必須でしょう。地上波のテレビ中継は基本的に午後4時で終了しますが、レース編成に合わせて放送開始時間を午後3時から2時半に繰り上げるか終了時間を午後4時から5時に繰り下げるようにJRAが中継する各局に働きかけることも必要だと思います。決してやって損することはないはずです。だからこそ万全の体制をとって世界と肩を並べるような競馬が見られるようなアクションを期待したいところです。

では、また次回です。
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10月27日に行われたルヴァンカップ(旧ナビスコカップ)決勝で湘南ベルマーレ横浜Fマリノスを1-0で下して初優勝。現在のチーム名になってからは初、前身のベルマーレ平塚時代から数えると1994年度の天皇杯優勝以来24年ぶりのタイトルを獲得しました。

Jリーグは1992年に創設メンバー10チームが決まりましたが、何度かのエクスパンションを経て現在に至っています。ベルマーレは93年にあった最初のエクスパンションでジュビロ磐田と共にJリーグに加わりました。この時は準会員という位置づけだったベルマーレジュビロ柏レイソルのうち2チームが加われるという状況で熾烈な誘致合戦が展開されたので大きな話題になりました。しかし、前期後期完全制覇をはじめ何度もタイトルを獲得し、中山雅史選手や高原直泰選手、名波浩さん、福西崇史さんといった代表の常連を送り出してきたジュビロに対して、ベルマーレは辛酸をなめ続けていました。親会社が撤退しチームの強化にあまりお金が使えず主力選手を何度も引き抜かれ、J2暮らしも長く続きました。経営危機が何度となくささやかれたこともありました。そんな中でもビーチバレーやトライアスロン、ソフトボールにも参入していち早くスポーツクラブの多角経営に乗り出したことで注目を集めました。ビーチバレーではサッカーよりもワールドツアーの代表を多く送り出し、ソフトボールでは五輪代表経験者が加入して業界騒然なんてこともありました。

さて、サッカーでは現在のちょう・きじぇ監督が「みんなで走って、みんなで攻めて、みんなで守る」サッカーを徹底すると低迷期から脱するようになり、J1に定着してきました。浦和レッズのような強豪を慌てさせるような試合も何度もありました。そして、今回のルヴァンカップ優勝にまで実を結んだわけです。同じ神奈川の雲の上の存在といっても過言ではなかったFマリノスに勝っての優勝ですから、感慨深いと思う方も多くいるでしょう。ただ、ベルマーレはまだJ1残留が確定出来ていない現状がありますので喜びに浸れるのはもう少し先になりそうな気もしますが、この優勝で一緒に参入したジュビロに追いつけるようになるきっかけは間違いなくつかめたでしょう。

では、また次回です。
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